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あきらめも、こだわりも、こんちくしょうも面白がる_「昼の夢 夜の国」黒田ナオ詩集

詩集を作るということを、
最近よく考えます。

と言っても、
相変わらずのぼんやりさではあります。

詩集とは、
誰の為につくるものでしょう。
私のため?
だとしたら、書き綴っているノートとこの場所で十分な気がします。

私の詩を好きだと言ってくれるひとのため?
だとしてもそれは、この場所で事足りているように思います。

好きなだけ読んで、
たまにハートを押して、
こころが動いたら言葉を残して。
それで大変に満足を感じます。

作家になりたいと思ってきましたし、
作家になると今も思っている最中ですが、
詩人になりたいと思ったことはそう言えばなかったな、
と思います。


詩を書くことを中途半端な気持ちでやっているから、
というのではけしてなく、
あまりに詩が私の内側に添って生まれてくるために、
それが職業に結びつかなかったのだと思います。
あと、
詩人というのは、職業というよりも生き方なのだとも思っているからかも知れません。
詩を書く人は詩人だし、
それに上も下もゴールも途中棄権もないものだと思っています。

それでも詩集をつくることを考えてしまいます。


前に黒田ナオさんの詩集を読んだ感想を書きました。

28日に返さなくてはいけないのですが、
なんとなくもったいなくてすぐ読めなかった二冊目の詩集をさっき読みました。

その感想も書こうと思います。

タイトルの『昼の夢 夜の国』という言葉に、やさしい空想への肯定感と、それよりも少し重く、えいやっと逃げ込む分厚い夜のベールを握りこむ手の指の力を感じました。

どちらの詩集も素晴らしかったけれど、
私はこちらの詩集のほうがより好きだと感じました。

言葉の軽やかさと、
それが結ぶ物語のやわらかと弾力、
いつでもそこにあるけれど、ふとした瞬間に香り立つ諦め、
だけどそれを可笑しそうに作者が外に立ってみているという、言葉への平等さ。
それが一冊目よりも踏み込んでわたしには感じられました。

詩というものを、苦手なひとが多いのだと知ったのは最近です。
どうりで書店でも図書館でも詩のコーナーは少ないはずです。
逆に気付いてなかったのか、と言われそうですが、
だってネットの世界では詩を書く人はたくさんいるし、
シンガーソングライターだってたくさんいるし、
詩に親しむ土壌はあると思っていました。

この間の文芸会で、
詩を発表したIさんが
「こんなに詩を受け取ってもらえないとは思わなかった。
としさんはいつもこんな気持ちだったんだなと分かった。
これからは“ザ・としさんだな”とか言わず、
もっと言葉を探すね」
と言われたのですが、
言葉や文芸に自分からずぶずぶ嵌っていこうというひとたちのなかであっても、詩はちょっと構えてしまう存在のようです。

詩を書くことが好き、ということと、
詩を読むことが好き、ということはすこしずれてしまうのかもしれません。

私はどちらもとても好きなのですが、、、
詩ときくと「難しそう」だと感じるのが理由なのでしょうか。

たしかに、
自身の心を言葉にしているのだから、
他人の思考や理想や心の動きを理解するのは面倒で大変で難しいのかもしれません。
でも、本当にそんなにも肩に力を入れに入れて読まなくてはいけないものなんでしょうか、、、と私は思うのです。

私は、正直に告白すると、ちっともそういうことを考えて読めてはいないのですが、詩が好きです。
詩集を読むのが好きです。

そこに置かれた言葉が表現するものや、暗喩を解き明かすよりも、
その言葉に触発されて羽を動かしはじめる蝶を追いかけているのが好きです。

前に本を最初から読まなくてもいいと思う、好きなところだけとりあえず読んでみて、興味を持てたら最初を読んだり最後を読んだらいいし、
更に理解したいと思えたら最初から全部を読んだらいいと思うということを書きましたが、
詩も同じでいいのじゃないかな、と。

黒田さんの詩も、
きっと私はちっとも理解できてはいないのだと思いますが、
この詩たちの放つ空気がとても美味しく、楽しかったことは確かです。

そしてそれを許してくれるんじゃないかという気持ちにさせてくれる、
そんな詩集だったのです。



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