祖母に会いに行きました、のときのこと
そう言えば。
この間、父方の祖母におそらく二十年ぶりに(多分、会ったのが最後十代の後半に入った頃だったから、、、)会いに行きました。
その日の朝のnoteはこちら。
そんなわけで会いに行ったのですが、
早く出たために、
その上、下道で山側の道で行ったために、
お土産らしいものを買える店に行きつけず、
結局全然今住んでいる場所関係ない、
(しかも祖母が私の好きなものばかりを作ったり、
用意してくれていたので、ちっとも何が好きなのか分からなくなってて)
「、、、そうだ、祖母は毎朝パンにコーヒー派だった!」
と思い出し、
千円くらいの食パン一本と、
一緒に置かれてた美味しそうなジャム、
あと、祖父(亡くなってますが)がたしか日本酒を好きだったと思い出し、
甘口と辛口を迷い、
煙草好きだったな、甘口っぽくない(イメージ)おつまみだったな、
と思い出し辛口の日本酒を買い、
やっと家へ。
変わっているところもあれば、全然変わらないところもあって、
懐かしい様な、
不思議な気持ちで車窓を眺め、
まずは家の前について中に車を停めていいのかを聞こうと家の網戸を開けました。
中からは、
八十になったのに、
会った頃とあまりに変わらないしゃきっとした祖母の姿でした。
思わず名前を呼ぶと(私の母と、祖母が三つくらいしか違わず、おばあちゃんと呼ばれるのを嫌がった祖母は名前にちゃん付けで私に呼ばせていたのでした)祖母の方が驚いた様で、
「えーーほんまに総ちゃん!?」
とかなり驚いたようでした。
車をとめて、
近くに最近できたうどん屋さんへ。
じろうさん(夫)や子供たちを紹介し、
今までのことをかいつまみながら話し、
この頃の生活も話し、
店を出て、家に着いたらお茶で一服したあと、
じろうさんたちは気を利かせて外へ(なんか撮りたい電車もあったらしい)
そこで祖母に、
母との関係の話や、
あの後のまあまあ大変だった生活の話。
そしていつか母を捨てる決心を固めてきているという話をしました。
途中から涙が出て、
「本当はもっとはやく迷惑をかけたことを謝りにこなくてはいけなかったのに、ごめんね」
と、ずっと気にしていたことを口にすると、
祖母は
「総ちゃんは何にも悪くない。謝ることなんてないのよ」
と言ってくれて、
またひとつ心の澱を流すことが出来ました。
その後、
祖母とお土産にと作ってくれたちらし寿司や焼きおにぎり(子供の頃からの私の好物)、朝から炊いておいてくれたタケノコ二種を詰めたりしながら話続け、その内もうひとつお土産にと米十キロ(マジ感謝!!)が届き、
しているうちにじろうさんたちが帰ってきて、
四時も過ぎてお暇をする時間になりました。
祖母は、今はひとり暮らし。
仕事は去年辞めて、
今は昔から続けているボーリングをし、
足腰を鍛えることを心掛け、
祖父のお墓参り(山の上の方)へ今まではバイクで行っていたのをバイクの免許を返上し、バスと徒歩で行くことにするそう。
何より、私に起こったような大きめの波風が祖母には波飛沫程度(といっても貯めて二百万を返されない状態ってのはどうかと思うけれど、、、父よ)
で過ごせて来られたと聞けて良かったなと思いました。
次はお盆のじろうさんのお休みに、
祖父のお墓参りに一緒に行こうと約束をして別れました。
きちんときちんと生活をしている祖母ですが、
やはり少し寂しいことはあるらしく、
「Nちゃん(叔父の娘さん)は大学が忙しいからなかなかラインくれない」
行っていました。
私もちょくちょく写真送るよ、、、と心の中で呟きました。
一応父の現状なども教えてもらい、(意外だったのは、まだうちが壊れる原因のひとと一緒で、めっちゃ尻にしかれ、金をもぎ取られているということ笑 あと、けっこう近くに住んでいるということ。)
長男があまりに父の子供の頃に似ているのでどうしても写真を送ってやりたい、という祖母に「いいよ」というしかありませんでした。
本当は全く糸を繋ぎたくなかったけれど、
祖母の頼みじゃ仕方ない、、、
父よ、
こんなにかわいい孫に会えないことを後悔するがいい。
と思うことにしました笑
こうして、
私の緊張の祖母に会いに行く、は終わったのでした。
ちなみに、焼きおにぎりも、ちらし寿司も、タケノコも最高に美味しかったです。さすが祖母。料理の腕は落ちていませんでした。
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