「変化する目をもつ少年の話 雪が見たい編」


私の夢で放映されたお話。

これを気に入ってくださった方に、続編は、と言っていただいたのを喜んで、書きました。
それでは、どうぞ。



転校生が雪を見たいと言った。

彼の目は素直で、その言葉はただただ感情が溢れたままにおれに届いた。
休み時間、転校生は必ずまわりをクラスメイトに囲まれる。
その中にはクラスのなかで目立つ男子のグループもいて、
彼はその中に入ってもまったく屈託がなかった。
今まで、どこか大人ぶろうとしていたクラスメイトたちの心のうちを、変質させてしまうようなところが彼にはあるのだろう。
そんな彼は、クラスのなかであっという間に人気者になったのだが、
今でもちょくちょくおれの机にやってきては、一言二言、言葉をかけていく。
それが挨拶のこともあれば、
唐突な願いが投げ込まれることもあった。
「雪が見たい」は、そんな彼からの願いが放り込まれた一例だった。
雪。
それは簡単だとも思ったけれど、教室の真ん中で降らせるものではなかったし、急に雪を降らせることで周りの人間の迷惑になるかもしれないということが頭に回った。
おれの目が起こす天候の変化には、長引くものも時折ではあるが、ある。
ほとんどない、と甘えて大きな変化を起こしたとき、自分自身には何も責任が取れないことは、よく分かっていた。
だから転校生にはがっかりされるか、面倒だと諦めてくれることを願って、
「できるけど、ここではできない」
と言った。
転校生の目は「なるほど」と頷き、
そして続いて頭が揺れた。
納得、と言葉がなくても分かる反応だった。
彼は
「いつならいいんだ?」
といい、おれは
「今度の休みに。山に登って、そこでなら」
と答えた。
休みにいっしょに出かけてまで見たいのでなければ、という気持ちに彼は全く気付かなかったようだ。
「わかった。じゃあ、今度の休みに」
「え?あ、うん」
「場所とか、待ち合わせの時間とかは放課後にでも決めよう」
彼はそう言って、あっさりとおれの席を後にした。
残ったのは、まさか本当にいっしょに出かけることになるとは思っていないなかったおれだけだった。
_いや、期待したくなかっただけで、出かけたくないとは思っていなかったけれど。

山と言ったのは、そのイメージで彼が行くことを渋ってくれたらという気持ちがあった。
幼い頃に何度か家族で行ったことのある、低い山というよりも、
子供でも気軽に出かけられる丘のような場所だった。
穏やかな思い出がある、数少ない場所でもある。
そこにもしも、彼と行かれたら。
それはどうにも心がむず痒くなるような気持ちだった。
明確に言葉はあるけれど、くっきりと文字の形で理解してしまうと、
自分自身が居た堪れないような気がした。
山に行く約束をして数日。
おれは天気のことと、彼の気が変わらないかということを毎日気にして過ごした。
結局、天気は上々で、彼からの予定変更の言葉は聞かれずにその日はやってきた。
そこまできても、待ち合わせの場所に歩きながら、もしかしたら彼は来ないかもしれない、と自分に言い聞かせていた。
しかし、そんな言葉の無駄を思い知れというように、彼はおれよりも早く約束の場所に立っていた。
山の上の公園まで走っているバスの待合場。
その看板の前で、彼は文庫本を読みながら、肩から大きな水筒をぶら下げていた。
おれがどうしたものかと、おろおろと近寄ると、気づいて顔を上げ、
にっと口端を引き上げて笑った。
「悪い、もうちょっとでキリのいいところがあるはずだから、ちょっと隣で待っててな」
彼はおれが頷いたのを視界の傍で確認して、短い感謝の言葉を走らせて再び言葉の海へと顔を潜らせていった。
おれは言われた通り、彼の隣に立ち、その目が動く様子を見たり、バスの来る時刻を確認したりした。
それはほんの数分のことで、彼はすっと顔を起き上がらせると、隣にきちんとおれが居ることを確認して先ほどと同じ笑顔を浮かべた。
「いい天気でよかった」
「そうだね」
「バス、ここからどれくらい乗るんだ?」
「10分くらいかな」
「けっこう近いんだな」
「子供がピクニックに登るような山なんだ」
「よかった。俺は山道なんて初めてだからさ」
「そんなに体躯がいいんだから、何も心配いらないんじゃない?」
「体と体力はすこしばかり話が違うんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
会話は、自分でも驚くほどに滑らかに口から出ていった。
彼がけして急かすようなことを言わないということもあった。
それと同じくらい、彼にならば自分の言葉を恥ずかしがる気持ちが薄らぐのだ。
バスが来て、二人で乗り込み、一番後ろの席で並んで座った。
彼の読んでいた本の話をし、
昨日は楽しみで仕方がなかったことを聞いた。
彼が本を読む姿は学校では見たことがなかったので、
意外な気がしたが、
学校では騒がしくてせっかくの世界が楽しめないから読まないのだと言われた。
それに、人と話をすることも、あとで本を読むことに生かされてくることがある。
何にしても、その時その時に一番刺激を与えてくれる状況に身を置くことが自分にとっては大切なことなのだと、彼は言った。
バスの無遠慮な揺れが、彼の声を聞きながらだとそれほど嫌なものには感じなかった。
彼の声を中心にして立ち上がる音たちは、どこか調和がとれていて、
おれの耳のなかにもやわらかに降り立つ。
窓の外に走っていく景色が、見慣れたものであるはずなのに、どうにも鮮やかに感じるのと、それは同じ理由なのだろう。

山の上の公園のバス停は折り返し地点だ。
ここからは今通ってきた道とは反対の街中を行く。
バスから降り、すぐに後ろでドアは閉まった。
巨大な生き物のようなバスを見送って、二人は公園の端へと歩きはじめた。
この公園に来たのは、もう大分昔のことだったが、
大体の形は変わることなくそこにあった。
木々の種類や、遊具の色は変わったかもしれない。
石畳が敷かれている道を歩き、暫くすると上に上がる石の階段があった。
そこを黙って登り始めるおれに、何も言わずに彼は付いてきた。
細く、長いその階段を上っていくと、小さいながら開けた空間にでた。
そこが一応この山の頂上だった。
四角い石を椅子代わりにするようにと、いくつか放り出しただけの場所だった。
それでもここまで昇って来る人は少なく、
虫取りにはもう季節が過ぎ、紅葉には早すぎる今の季節には、この公園にやって来る人自体もわずかだった。
迷惑は、おそらく掛からない。
そう考えての場所だった。
「ここで見せてくれるの?」
彼は汗をかいたのか、シャツの襟もとをぱたぱたと指で摘まんで揺らしながら言った。
「うん」
「やった」
「時間がかかるかもしれないから、座ってて」
「おう」
彼は素直にすぐ近くの石に腰を下ろすと、楽しみな様子を隠すこともなくおれの顔を見上げた。
赤い頬を見て、ああ冷たくなりますように、と心に言葉を落とした。
うすく目を閉じ、目の中心へと波を寄せていくように変化を願った。
色を主張するわけではない。
そっと風になって波を立てるように、願う。
それが中心まで辿りつくと、くるりとプールの端を蹴ってターンをするように色を折り返す。
そこまでいくと、もう自分の目の色が変化を受け入れていることを感じるのだ。
そっと、瞼を持ち上げる。
空気に触れる。
色が写し取られ、それが波紋を広げる。
彼の期待と、おれの揺らすことの出来る空気の範囲。
そこに変化が生じるのだ。
彼が、おれの目を見て驚いた顔をした。
今までに数度、彼にはこの目の変化を見せた。
そのたびに喜んでくれたが、こうまで驚きを前面に出すことはなかった。
それが何によってなのかを考えようとしたとき、
彼が
「雪だ」
と声を上げた。
ふらりと、白が生まれた。
結晶がいくつも手を結ぶ。
小さかったひとつは、少しずつ空気の中から手を選び出し、彼の目の前に辿りつくころには立派な雪の塊になっていた。
ぼんやりと生まれ、落ちていきながら膨らむ。
それがいくつか続くと、周りの空気はきゅっと縮んだように感じた。
空間が許す範囲を超えるぎりぎりであることを、おれに知らせる。
ほんの少しばかりの雪だったが、彼は満足しただろうか。
そう思いつつ、ふっと目に意識を向けるのをやめた。
しゅるしゅると着物の帯を解くように、色が抜けていくのが見えなくとも分かった。
集中していたのが切れたからか、ゆっくりと体を地面に引っ張る力に逆らえず、膝が土についた。
それに驚き、彼はおれの前へと同じように膝をついた。
「大丈夫か」
「大丈夫だよ。ちょっと集中しすぎただけ」
言いながら立ち上がり、ズボンについた土を払った。
彼は未だ気遣わしそうにおれを見ていたが、座ろうというおれの言葉に黙って頷いた。
ひんやりとした石に腰を下ろすと、まだ空気が凍えたままの空間だけ景色が少し線をぼやけさせていた。
「すごいな。ほんとに雪だった」
「見事に数個だけだけだったけどね」
「でも、雪だ」
「これだったら、教室でも大丈夫だったかもしれない」
「いや、ここでよかったよ」
「そう?」
「ああ、ここ、いいな」
「うん」
そう言って、見下ろせる街の景色を二人はしばらく見ていた。
そのうちに目の変化が起こした歪のようなものは薄れていった。
ふう、と息を吐きだすと、彼が見計らったように口を開いた。
「今さっきの変化は、すごかった」
「何色に変わったの」
「自分では分からないのか?」
「見えないからね。鏡でも見ながら変じさせれば分かるんだけど」
「へぇ」
彼は頷きながら、残念だと呟いた。
「紫色に変化したんだ」
「むらさき」
「それも透明度の高い、澄んだ色だった。まるで神様みたいな色だったよ」
興奮したように話した彼は、そこまで言ってから、すっと真剣な色を目に落とした。
「そして降った雪は、こんなに白いのかと思うほど白かったよ」
「山の空気だったからかな」
そう返したおれに、彼は首を横に振った。
「いや、たぶんあれは、たすくの心が降らせた雪だからだよ」
「大袈裟だ」
「思ったことの通りを言ったんだ」
そう言って彼はもう一度「ありがとう」と、言った。

彼の持ってきていた水筒から、熱いお茶をもらってかわりばんこに飲んだ。
座った石から眺める景色は、特別鮮やかではないけれど、十分に晴れやかで心に残るものだった。
そうやってぼんやりと景色の中に意識を溶かしていたおれに、彼はぽつりと問いかけた。
「たすくの目が変わると、どうして天候に影響が出るのかってことは、結局分かったの?」
彼には、少し前まで大人たちにこの目を研究されていたことを話していた。
特別かなしいことではなかったけれど、誰かれかまわず話したいことでもなかったことだ。それでも彼に聞かれると、するりと口から言葉は出て行く。
今回の質問にも、だからおれの口は意識より早く反応して言葉を捕まえてきた。
「分かった、のかも知れないし、教えてくれたのかも知れないけれど、覚えてないんだ」
おれが印象に残している言葉は、ただ“もうここに来なくてもいい”というものだけだった。
それ以上のことが必要とは思えず、おれはぼんやりとその施設からの道を帰ったのだ。
今更もう少しきちんと聞いておけばよかったと思う。
彼が聞きたいのなら。
「ふうん」
彼は息の音に乗せるように相槌を打ち、そして口を尖らせて少しの間黙った。
それがまた開かれる。
「じゃあさ、こんなのどう?
あのさ、たすくがお腹に居る時に、お母さんに雷が落ちたんだ」
「おれが生まれた日は晴天だったよ」
「晴天の雷なんて、ドラマじゃないか!」
「落ちてない」
「ちぇっ」
わざと舌打ちをしてみながら、彼は可笑しそうに笑っていた。
そこからいくつかヘンテコな仮説を次々に披露しては、おれはそれに否をくり返した。
繰り返すうちにおれまで可笑しい気持ちが湧いてきて、
「ちがう」といいながら、半分では「そうだったらいいのに」と思い始めていた。
「もっと説得力のある仮説を言ってくれよ」
おれの言葉に、彼は
「じゃあ、たすくの両親はどんな人だった?」
と聞いた。
「両親?」
「そう。説得力がほしいんだろう?」
「そりゃね」
「じゃあ、そのために、ご本人たちを少しは知らないと」
もっともらしく彼はいい、おれの話し出すのを待った。
彼の目の中に好奇心が疼いているのが見える。
その光が満足するような話はあっただろうか。
そう思いながら、おれは口を開いた。
「父さんは、ふつうの会社員だよ」
「やさしい?怖い?」
「ふつうだよ。やさしい顔もすれば、ひきつった顔もしてみせる」
「ふうん。じゃあ、お母さんは?」
「おかあさんは」
一陣の風が吹いた。
髪が強く頬を打った。
「水に溶けたんだ」

言葉が終わらないうちに、彼の目が驚きに見開くのを見ていた。


つづく・・・?


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