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これはただの重いこと

吐き出しnoteです。
たぶん、暗い話をしています。
気分が害される可能性もあります。




ふと、
気持ちが落ちていくことがある。

自分の体が思ったようにならないこと。

仕事をはじめなくてはならないのかもしれない、
と思いつつ、
母になんとか助けてもらえないかと考えてしまう。

だけどきっと母は私を助けないだろう。

そういう人じゃない。

私が楽になること、幸せに暮らしていくことよりも、
意義のある団体や行動をしているひとたちの助けになりたいひとだ。

働くことができるんだろうか、とぼんやり希望を萎ませる。
どうだろうか。
今何故こんなに体調が悪いのか、
説明できるような、できないような。
私に起因していることだけれど、
それは幼い頃からの積み重ねが確実にここにあるからだ。

生きることが苦しければ許されると考えていた。
せめて苦しくないのなら、
生きることを許せなかった。
私が生きていくことを、
私が一番腹立たしく思って生きてきてしまった。
それがカウンセリングで言われた大きなジレンマなんだろう。
その反する動きが協力過ぎて、
体を害している。

座っていて深い眩暈がした。
耳鳴りが続く。

自分が病んでいるとは未だに思っていない。
不調を抱えているとは思っているけれど、
いっそ生きる上で必要な反作用なんじゃないかとさえ思っている。

私は今、自分は甘えていると認識しているようだ。
正直「そんなことはない」と言い切れない。
甘えているのかもしれない、と思うこともある。
苦しい、痛い、しんどい、重たい、息ができないと思いながらも、
出掛けたいときは出かけるし、
会いたいひとが居れば会いに行く。
どうせずっとこの状態ならば、
心が動く時に動かそうと思ってしまう。
それが周りから見て、
好きなことはするくせに、
仕事はしないんだなと思われても仕方ないなと思う。

で、
それに負けて仕事を探して、
また体も心も真っ直ぐとは言わないけれど、
斜めに進むくらいの感覚で死に近付くのだと思う。
大好きだったじゃん、そういう自分にだけ厳しければ許してもらえるみたいなの。
だけどそれは結局どこかに迷惑をかける。
たぶん、実感がうすいけれど心配も。

こんな話何回もしているなぁ。
今ぐるぐるしています。
カウンセリングの目途が未だつかないからというのもあるんだと思う。
退職した会社から未だに書類が来なくて、
保険証の切り替えができないというのも食い込んでいる。

なんで私は母親に「たすけて」を言わないんだろうと思っていたけれど、
今すっと、思い出した。
一度、
兄が私刑をしているという報告をしたあとの、
母の迷惑そうな「やめてよぉ、そんなこと」
「もうセミナーはじまるから切るよ」
をはっきりと覚えているからだ。
あの女は、私が殴られ蹴られしていることよりも、
セミナーに参加することを選んだんだ。
あの「やめてよぉ」は、
「問題起こさないでよ」だった。
脳震盪起こして転がっていた私の目に、
はっきりと私に背を向けてセミナー会場に入っていく母の背中が見えていた。
この人のことを、母親と思うことをやめよう。
そうじゃないと何をするか分からない。
この人に何かして、罪に問われるのはまっぴらだ。
それが私の出した答えだった。

あの人が、
自分のやりたいことよりも私を優先させるわけがない。
自分に利益がない、うまみがない、そんなことを。
ぐらぐらする。
私の不調の第二位は絶対この関係性だ。

因果関係というのか、
理由とか、
原因とか、
そういうものが分かっていたって、
どうしていいのか、どうしたいのか、
それよりもどうできるのか、
さっぱりだ。
いや、
全く考えたくないのだと思う。

私の暗く粘つくような熱は、
どうも未だ衰えていない、のだろう。

成長しないのは、私もいっしょか。

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