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生きたいと生きていいのだと、あなたが言って欲しかったのじゃないのか_「ヴィヨンの妻」と「桜桃」を読んで

どうにも眠たくて、
目を瞑って30分、、、と思っていたら1時間ほど眠っていました。


夢を見ました。

何故か今日昼から仕事行く予定だったのに、
忘れていてあと10分で始まると気付いて青ざめ、
絶対に間に合わない、駄目じゃん、もうヤダ、と癇癪起こしそうにパニックを起こしそうになり、
その瞬間に
「え、なんかおかしい。暑い。ちょっと息が苦しいぞ」
と思ったら目が覚めました。
部屋は扇風機だけ回してたので、
ふつうに暑かったです。
熱中症になる、とそろそろと台所で水飲みました。


この夢にはちょっと心当たりがあるというか、
明日は文芸会の特別バージョン、
〖地域の子供の読書感想文のお手伝いをしよう〗
が開催されます。

果たして人の感想文のお手伝いなど私にできるのか、、、と思ったり。

私の担当のお嬢さんは、
「ダレンシャンで書きたい!」
と言っていたけれど、
七月の初めごろに「『ヴィヨンの妻』に読む本を変更しました」
と連絡役の人からお知らせが来ていました。

(はじまりはこの企画?のためにダレンシャンを読み始めていたのですが、
もう自分がしっかり楽しんでいたので、
ダレンは今自分の趣味で読んでいます。
今朝4巻を読み終えました。
まだ半分もきてない。夏休み中に読み終えたいと思っていますが、、、)

じゃあ私も読まなくてはと仕事の休憩時間に『ヴィヨンの妻』を
青空文庫で読んだのですが、
正直に言いますと
「これは小学四年生の子が読んで感想を書くのに適しているのか」
とちょっと頭を抱えました。

お話は素敵だし、
文章は凄まじくうつくしいし、
主人公を含めて人物も魅力的だし、
物語りとして全くケチをつけることはできない作品ですが、
小学四年生の子が感想を書くのにいいのだろうか。

なんて、
いっちょ前に大人のようなことを考えてみたのですが、
根が不真面目というのか、
自分本位(なんだかどちらもちょっと私の言いたいことと違う気がしますが、、、)なので、

____まあ、本人が読みたいし、書きたいと言ったのならいいか、


と、完全に面白く思う方向に舵を切ったのでした。


さて、私が『ヴィヨンの妻』を読んで感想文を書くとしたら。

まずはどうしてこの作品を読もうと思ったかを書きます。
だって、太宰治を読もう!
と思って最初にこれを選ばないと思うんですよ。
短くはありますが、
「妻」という言葉がなんだか自分から遠い存在に思えるだろうし。
今ならまだしも、小学四年生ならまず読まないと思います。

そのあとは、


「この物語には、作者の太宰治が投影されているのだろう人物が出てきます。彼は若い妻と、成長に難のある坊やを家に残して、自身の苦悩に頭をいっぱいにして、外でお酒に溺れ、他の女性と関係を持ち、それなのに家に帰ってきては妻に優しくしたりもする、言葉だけだと最低の男です。
しかし、読んでみると、やはり彼にも心を感じる場面がいくつもあり、
そんな彼に惹かれていっしょにいる妻のさっちゃんにも、
いつの間にか共感してしまうようになっていました。
文章力の恐ろしや。
この物語の主人公は、この一見可哀そうな妻のさっちゃんです。
彼女は、夫である大谷の盗みを咎めにきた飲み屋の夫婦に頭を下げ、
次の日には坊やを背負って彼らの店に赴き、夫がお金を返しに来るまでの人質を申し出ます。
彼女は大谷といっしょになるまで父親と屋台をして暮らしていたために店の動きは大体分かっているのでした。
お客さんのあしらいもうまく、そうして働いているうちに彼女のなかに火が大きくなるのを感じるのでした。
私はその部分がとても好きです。
自分が取るに足らない、何もできないと思い込んでいる状態の彼女からは想像もできないほど確かな動きで、生き生きと働くその姿は神々しくさえあるように思えました。___

なんて続けると思います。

彼女のやわらかなやさしさ、
したたかさ、
そしてその上で大谷を受け止めて愛する魂の大きさに、
女性という性の強さを感じましたことも書くでしょう。


そんなことを考えつつ、
そうだ、ヴィヨンってなんだろう、とか、
これは作者のどこら辺の作品なのだろう、とか、
大体のお話の動きを書きだしておこうか、とか
考えてネットを開いたら

“「ヴィヨンの妻」を読んだら、「桜桃」も読んだらいい“

という一文を見つけました。

それも読んでないな、
と思い、読み始めたのがお昼のことでした。

「桜桃」は、さくらんぼのこと。
なんだか可愛らしい話でしょうか、
なんて読みはじめたら、
ちょっと自分可愛いなところのあることを自覚している“夫”が
暑いときは鼻のあたまに汗をかく、
というところから
妻に「あなたはどこに汗をかくんですか。内股ですか」なんてことを言う。
すると妻は「私は乳と乳のあいだ、__涙の谷に」と言うという、
なんだか不穏な、
一言間違うと空気中の何かが変化して、
爆発して、
全て木っ端微塵にきれいさっぱり終わらせられるような、
そんな影を感じる会話で始まります。

あ。
これも夫は太宰さんか。

この作品が最後の作品だったと知りました。

読み終えてから、
このひとの可愛いやら、
かわいそうなやら、
どうしようにもこれ以上できなかったんだなという精いっぱいさを感じて、
作品の切実さに胸が膨らむような気持になりました。

ああ、彼女にはこれも勧めてみようか。
なんて、眠たい頭で思いました。
青空文庫ですぐ読めるし。

「ヴィヨンの妻」が心に残ったのだったならば。
きっとこれも読んだ方がたのしい。
大谷というひとや、この『桜桃』の夫のことを、
考える時、
ひとつの見え方を増やせるかもしれない。

そんなことを考えていた昼寝前でした。
そして今、
これを書きながら、
やっぱりちょっと緊張している私なのでした。



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