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【蔦の妃】(ちいさなお話)


どこか遠く、
お妃が蔦に巻かれる国がありました。
それはある日唐突に始まったことでありました。
お妃が城の庭を散策なさっている午後はやく、お妃の足を止めるものがありました。
それは青い様な、緑の濃いような、紫の輝きを秘めたような、蔦でした。
まぁ、なんて。
そうお妃は口に出しました。
そしてそれにそっと触れてみたのでした。
蔦はお妃の指に触れた瞬間、さらにその怪しさを深め、また、それよりも更に深い場所に眠る慈愛を共感したようでした。
お妃は、お供の者に、
あの蔦はけして傷つけないように、
と申されてその場所を去ったのでした。
しかし、お供の者たちにはお妃の言ったうつくしい、そして怪しい輝きの蔦のことが分からなかったのでした。
彼らにとっては、全ては植物。
庭師がよしなにするものだろうと思っていました。

その夜からでした。
寝台に横たわったお妃の身体に、そっと蔦が這うようになったのは。
朝の光りに、起こしにきた者は悲鳴を呑み込み、
横たわるお妃のゆったりとした夜着に絡む蔦とあまりに安らかなお顔のお妃の様子に見入ってしまったのでした。
いったい、この者にどうすることができたでしょうか。
お付きのものは、内密に、内密に、王様の従者に王様をお妃の寝所へと連れてきてくれるようにと頼んだのでした。
震えるお付きのものの指先を見て、王様の従者はお妃の一大事とすぐに王様にお目途折ったのでした。
さて、
お妃の寝所に入った王様は、やはり驚き、最初に目にしたお付きの者よりも長く言葉を失ってしまいました。
やさしいお妃でした。
植物にも動物にも、鉱物にも、そして当然にひとにもやさしさが溢れるようなお妃でした。
そのお妃が今はどうでしょうか。
まるで自身をやさしさで包みこんでいるような様子なのです。
それはうつくしく、やわらかく、光のせいだけではない鮮明な真実だったのです。
王様は意を決しお妃を揺らし、その名を呼んだのでした。
お妃はすぐに目覚め、王様がいらっしゃることに驚き、いつものお付きの者の目にひかるものを見逃さず、
何があったのでしょうか、
とお聞きになったのでした。
王様はゆっくりとお妃を寝台の上に起き上がらせようとしました。
すると、蔦が
ぶつり、
とひとつ切れたのでした。
あぁ。
お妃は悲しい声を落としました。
それを無地し、王様はまたもうひとつつよくお妃の手を引いたのでした。
ぶつり。ぶつり。
三つの蔦を切り、お妃は寝台の上に起き上がりました。
白い夜着には蔦の切れた場所にだけ青いような、緑の深い様な、紫の輝くような液が少量沁みとなっていました。
それを指で撫でるお妃は、王様に朝から騒がせたことを詫びたのでした。
王様はそんなことよりも、お妃の体調を気遣いましたが、その言葉がどれほどお妃を慰めたのかは分かりません。
お妃は、
少しまだ休んでおります、
と告げ、今しがた剥がした蔦の側へと横になったのでした。
王様は悲しい気持ちの裏側に、ぴたりと張り付く気持ちにきつく戒めを与え、
はやく良くなるように、
と言葉を残してお付きの者を残して部屋を出たのでした。
王様は多忙です。
けしてお妃の様子に心を砕かなかったわけでありませんが、次にお妃のもとへ足を運んだのは、夕日が沈みこむ間際でした。
お付きのものによって薄絹が掛けられた王妃は、寝台の上で上を向いて目を閉じていました。
そばに置かれた燭台の蝋燭の火が、白い頬を赤く撫でています。
王様はお妃のそばに立ち、その肩に触れました。
そこで王様は苛立ちに打たれます。
引きはがすように奪い取った薄絹の下は、なんと朝に切り離したはずの蔦がさらに何本か増えた様子で巻き付いていたのでした。
王様は力一杯その蔦を引き千切りました。
お妃は、国のものであり、つまりは王様のもののはずです。
それを侮辱されたような気持ちになったのでした。
蔦はけして太くはなく、朝はあれほど簡単に切れたはずの蔦は、まるで鋼のように強靭に、しかしけしてお妃を締め上げるような暴力を見せずにあったのでした。
王様はふつふつと湧きあがるものを抑えるように息を吐き、従者に言いつけ、庭師の持つ剪定鋏の中で一番よく切れるものを持ってくるように言いつけたのでした。
すぐに王様の元に届けられた鋏は、よく使いこまれ、そして磨き上げられたものでした。
それで王様は何のためらいもなく、蔦を切ったのでした。
蔦は、まるで普通の蔦の顔をして、静かにしていました。
悲鳴を上げたのはお妃の方でした。
まるで自身の腕を切り落とされたかのような、凄まじい声でした。
控えていた従者も、お付きの者も、その声の凄絶さに目を閉じてしまいましたが、王様は一切の心を捨てたように、全ての蔦を切り落としていったのでした。
涙に濡れた顔のお妃の頬を撫で、王様は言いました。
寝所を移しなさい、もっと暗く、もっと深く、光が来ない部屋へ。
お妃は頷く元気もなく、虚ろな目で王様を見たのでした。
急いで宝物庫のひとつが空にされ、そこに冷たい石の寝台が運び込まれ、荷運びをしたものはまるで棺を飾るような部屋だと、帰りの道々口を重く開きました。
月の光も、風のそよぎも、花の香りも、もちろん日の光りも届かない部屋に、王妃は何も言わずに入ったのでした。

翌日のことです。
変わらず同じお付きのものが、地下へ移された薄暗い寝所に燭台の灯りを持って朝を告げに行くと、なんと部屋中、蔦が這い、寝台に座るお妃の身体をまるで守る繭のように包み込んでいたのでした。
今度こそ悲鳴を呑み込めなかったお付きの者は、大きな声で人を呼びました。
大騒ぎするその者を、従者が見つけ、そして昨日と同じように王様が駆けつけたのでした。
中は、壁の石の隙間という隙間から蔦の緑が這い出ており、薄暗いはずの室内をほんのりと明るくしているようでした。
緑の中を光の粒子が流れているような。
そしてそれをお妃に注いでいるような様子なのでした。
王様は魂が抜けたようになり、そっとその扉を閉めたのでした。

蔦に覆われたお妃。
しかし王様は、時々あの鋏を持ってこさせてはお妃の側の一本一本を切るのでした。
お妃は、もう悲鳴を上げず、固く口を閉ざしたまま、時折息を吐くときに、
どうか、どうか、蔦を切らないでやってくださいませ、
といいました。
王様は、その濡れた瞳を見上げることなく、燭台の灯りの下、ぱちり、ぱちりと鋏を動かすのです。
わたしのお妃。
私のお妃。
そう言いながら。           

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