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その指先が零していったものを喉に通したとき__『ツユクサナツコの一生』を読んで

『期待もせんと、
 絶望もせんと、
 それでも人は生きていける。』

32歳の漫画家のナツコは、
バイト前の公園でのコーヒータイムを楽しみ、
ドーナツ屋さんで働き、
父の待つ家に帰る。
そしてその日にあった、
心に転がり込んでいた物事を漫画に差しかける。
それに応えて漫画の中の人物は動く。
その姿は、言葉は、けして自分と同じではない、
たしかにこの紙の向こうに生きるひととしての反応であることを感じながら。


私が益田ミリさんという漫画家を知ったのは、
『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』という益田さんの『すーちゃん』シリーズの映画を観たのがきっかけでした。
(この映画、物凄く良くて、めちゃくちゃ泣いてしまった。)

映画がとても良かったから、
原作も読んで見たくて探したら、
まさかの文庫本だったときのおどろき、、、
これはどうしてなんだろう?と今でも不思議に思っています。

それから時折、文庫の新しいのがでたら買うことが増えて、
今では100均の文庫ケース一つ分は埋めています。

正直、心が痙攣するほど感動したりはしたことはありませんでした。
でも、読んでいて、なんだかいいな、と
ほっとする。
そんな存在でした。

今回、ブクログでこの本を知って、
「へー、新刊だ」
と、文庫コーナーを探していたのですが見つからず、
諦めてハードカバーの新刊を見ていこうと思ったら、
そこにありました笑

あ、文庫じゃなかったのか、と思い、
一度は買うのを待とうと思いました。
でも、もうすこし本屋さんをうろうろして考えた結果、
やっぱり“今読みたい!”と思い、
レジに向かったのでした。

そして、その決断をした私を今心から褒めたい気持ちです。

この最初のところにはさまれている空の写真、うっかり引っ張ってやぶりかけたのは私です。
ちゃんとスピンもついてる!と変なところで感動しました
カバーを外した背表紙のツユクサ

このお話は、
ぼんやりしてみえて、
心の奥の深くまで物事を落とし込んで考えるナツコさんの日常と、
彼女が毎日こつこつ描いている漫画が交互に描かれています。
日々の小さな出来事を、
こういう、心に触れるようなかたちにするというのは、
本当にすごいことだなぁ、と思いながら読みました。


ちょっと、ネタバレ?かもしれません。
お気をつけて、、、



そして、
終盤、
タイトルを回収する出来事がおこります。
それにもびっくりだったのですが、
私は『胡桃』の一場面、というのか一言で、
それまで静かだった水面が一気に波高く揺れ、
私の息を止める勢いで膨れ上がっていくのを見ました。
泣いて自分でこんなにびっくりしたのは初めてだ、という勢いで泣きました。
たぶん、透明人間が見ていたら、思わず突っ込みをいれてしまうくらいの唐突さの涙でした。

ああ、何かをつくるひとって、
こういう救い方もできるのか、と。

胸が潰れるかとおもうほど、
一度に押し出されたものでしたから、
涙の通る管が伸びてる気がします。

おなじコロナ化のなかの、
ナツコさんの物語は、
とても親しいひとのことのようでした。

少し前に読んだ恩田さんの『鈍色幻視行』のなかの人物が語った、
創作、作りごとのなかにこそ、本当はある、
本当が描ける、という台詞が思い出されました。
まさにこれはそういう本当の一つだったのじゃないかなと思います。


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