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西の海を越えていく彼は、あっさりと手の中の光だけを翻した

もう読み終えてしまう、、、
とnoteを書いてしばらく。
その日が昨日やってきてしまいました。
私、このことで何本note書くんだい?
とうんざりしている方もいるかもしれません。
でも、何本でも書きたい。
何ページでも、何時間でも、この“好き”を両手を広げて知らせたい。
そんなふうに思える物語でした。

『王の帰還』の下巻を読み始めて、「読み終わってしまう!」という事実に泣いてしまったのには驚きましたが、
その後も何度もじわ、、、じわ、、、と泣きました。
今度はちゃんと内容で笑

職場の休憩中にもそうしてひとり感動の中に沈んでいました。
誰も入ってこなくて本当によかったです。
おそらくかなりびっくりさせてしまったでしょうから。

映画と小説はけっこう内容や登場する人物が違うよ、と聞いてはいましたが、小説を読んでいると「よくこの人物をカットする決定を下せたな、、、」と監督の英断に拍手をおくりたくなりました。
エルロンド卿の息子ふたりとか(そっくりで超絶美形でお強い。アルウェンとの兄妹エピソードとか可愛いだろうなぁ)
アラゴルンの野伏の仲間たちとか(アラゴルンがあんなに人気になったんだから、それに雰囲気がよく似ているらしい彼らもきっと好きな人多かっただろう)、
ゴンドールの衛兵でピピンと友達になった彼らとか(ホビットとのおしゃべりが本当にかわいいかったのです)
魅力的で、活躍の場面もあって、だけどこの人たちがいたら三部作じゃなくて五部作でも描けるかどうかのものになるだろうし、
きっと長すぎて途中離脱する人がいるだろうなとも思う。
なので監督の「もうこれはフロドの物語として絞ろう」としたのは、
本当にすごい決断だったし、映画としての最善だったのだと思う。

小説を読んでいて、
旅の仲間たちはほんとうにお互いのことを大切な友人として、
ずっと心に留めて、いつでも思いを向けていたんだなと何度も心が温かくなったり、締め付けられたりしました。
映画では最後の黒門の戦いにメリーとピピンは揃って出陣しているけれど、
小説ではメリーはその前の戦いで深い傷を負って療病院で留守番をしていて、ピピンだけがいっしょにいったのだけれど、
サウロンの軍勢が迫る中、彼は
「メリーがここにいるといいのに」
といい
「ぼくたちは一緒に死ねるといいのに」
「かれはここにいないのだから仕方ない、
ぼくとしてはかれがぼくよりもらくな死に方をしてくれるように望むだけだ」
というのです。
そう言いながら、彼はそれでも剣を抜いて、けして逃げ出すことはなかったのです。
こんな場面にきて、親友の死に方が自分よりもらくなものであることを願えるピピンに、どうしようもないくらい胸を刺されました。

サムのフロドくんへの想いなんて、
もう親友とか、初恋とか、家族とか、それらを超越して神様のような、
それよりももっと身近で、
彼のしっかりとした背骨を支えているもののようなひとなんだと
読んでいけばいくほど感じました。
サムが眠るフロドくんの額を撫でたり、
傷ついた手にキスをしたり、
冷たくなる体を抱きしめて眠ったり、
その献身のようすは宗教画みたいに思い浮かぶのでした。
なんたって亡くなったと勘違いをしていても、
世界の滅亡よりもフロドくんの遺体がいたぶられることが耐えられなくて戻ってしまうようなやつなんです、サムって。
目が覚めても、眠っていても、いつでもフロドくんのことを見て、考えて、動き、出来ることは全てして差し上げたい!と当然のように思っているんです。
一体どんなことがあったらそんなひとだと思えるんだろうか。
サムは滅びの山から救出されて最初に目が覚めたときもフロドくんの体のことを、そして痛みが取り除かれたのかを一番に確認し、
王様となったアラゴルンとの再会のとき、
吟遊詩人がフロドくんのことを歌い上げたことを大興奮で聞き入り、
やがてホビット庄に戻って色々あって、
もとの袋小路屋敷に彼が戻るときには、フロドくんと暮らすのか、
大好きなロージーと結婚するのかで心が割かれるほど悩み、
それを聞いたフロドくんに
「さっさと結婚してふたりで袋小路に引っ越しておいで」
と言われて大喜びでそうしたり。
そんな彼の姿を微笑ましく見守ってきたからこそ、
最後のページにはもう突っ伏して泣きました。
「おらはまた旦那もホビット庄の暮らしを楽しまれるもんだと思ってましただ、これから先何年も何年も」
ビルボの誕生日祝いに裂け谷に行くだけだと思って途中まで見送りに来たサムに、海を渡っていくことを伝えたときのことです。
「あんなに尽くされたのに」
もう本当に、この時の彼の言葉にすべて頷いていました。

それなのに、
フロドくんは言うんです。
「愛するものが危険に瀕している場合、だれかがそのものを放棄して失わなくてはいけない。ほかの者たちがもっておられるように」

ホビット庄の平穏を守りたかった彼は、
けれどその平穏は自分のためのものではないのだと言うのです。
ただそうあって欲しかったのだと。
だから自分が傷ついて、治らない病に苦しむことが必要だったと。
サムにフロドくんは言います。
「おまえはわたしの相続人だよ。わたしが持っていたもの、持ったかもしれないものはことごとくおまえに残すからね」
「これからの長い年月、欠けることのないひとつのものでいなくてはいけない」
つまりは心から幸せでいてほしいと。
そうなれる全てはもうそろっているから。
自分はいなくても、十分な世界が彼を包んでいることを。

もう、これを書きながらまた泣きました、、、笑

ピピン、メリー、サムは、
この指輪を葬る旅でとても強くなりました。
ホビットという戦うことに意欲をもやせない種族のなかでも、
奪われることがないように戦うことができるようになりました。
その変化が、ホビット庄に帰り着いた彼らを待っていた村の変貌を解決するために、いっきに現れます。
彼らは敵であれば戦うことを選択するようになりました。
しかし、フロドくんは言うのです。
「ホビットをホビットが殺してはいけない」
「人であっても、逃げるのならばそれ以上手をだしてはいけない」
「倒れた敵に、襲い掛かってはいけない」
それは自分に刃を向ける相手にも変わることはなく、
もうその姿やら心の在り方は仏様のようでした。
彼は、指輪とのあの長い旅の中で、自分の中の慈悲を頼りに戦っていたのかもしれない。
そして指輪が去ったそのなかには、最後までそうしていた心だけが残ってしまったような、そんな透明で、尊い心だけで彼はなんとか立ちつづけていたのかと。

海を渡る彼の目の前には、
うつくしい光景が現われます。
これが彼の迎えられた、
彼の果たしたことへの世界の返答だったのだと思える光景です。
だけれど、本当は、きっと本の最後にサムの帰りついた我が家こそが、
フロドくんの心底帰りたかったところなんでしょう。
でもそれは置いていくと言うのです。

読み終えて、
本当に長い旅にともに出ていた気がしました。
いや、出ていたのだと思います。
足を呑み込む沼地を通り、
いくつもの山を越え、
黒の乗り手に追いかけられ、
うつくしいエルフの裂け谷に見惚れ、
頼もしい9人の仲間と旅立ち、
雪山で雪崩に襲われ埋もれかけ、
(レゴラスは太陽を探しに行っちゃったなぁ)
大きな水底の化け物にも襲われ、
ドワーフの地下帝国の迷路を上り下り、
道しるべを失い、
ロスローリエンの不思議を目の当たりにし、
(ギムリの純粋に慕う心を丁寧に受け入れてくれた奥方さまに感謝して)
川を下り、
かなしい別れを経て
三つに分かれた道を行きました。
ひたすらに走り続けていたらローハンの騎士たちと出会ったり、
恐ろしい夜をひたすらに超えながらオークの飲み物を飲まされたり、
(ポリジュース薬を越えるほどの衝撃の味!!)
深く古い森でエントと怒りに恐れや悲しみを覆い隠して行進したり、
いくつもの戦場で絶望を見ては、
それでもひとりの背負う希望を信じて、
たったひとりの足取りを祈って、
あの瞬間をそばで受け止めたのでした。

若い白の樹が花咲くときも、
歓声が街をおおう様子も、
輝く海へたいせつな彼らが渡っていくそのさまも、
目に焼き付いています。

はあ。
本当に心を満たす物語でした。


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