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ツィメルマン ピアノリサイタル @所沢MUSE (2021.12.4)

 今日は、ショパン好きの私が毎日のように愛聴するツィメルマン(CDはほぼ全て所持)のコンサート(会場の案内HP)のためにプチ遠征して、所沢駅の隣の航空公園駅にある所沢市民文化センター MUSE ARK Hallに来た。約10数年ぶりにツィメルマンの生演奏が聴けるのを待ち望んでいた。
 いきなり脱線するが、改札を降りたらYS-11が見え、久しぶりの飛行機にワクワクして写真に収めた。

 会場は航空公園駅から徒歩10分程度。ARK Hall入口にはツィメルマンのポスターがあり、多くの人が一緒に写真を撮っていた。私はあまりに久しぶりのツィメルマンの写真をじっと眺め、来日してくれたことに感謝し、深くお辞儀した。
 受付の後、会場内に置かれていたホールが発行している冊子にツィメルマンのインタビューが掲載されていたのを見つけた(HP上のリンクはこちら)。こちらに記載されたことから推察するに、今回も当然自らが納得しているピアノを持ち込み、信頼できる調律師が同行してのツアーと思われる。休憩時間中にピアノの蓋が締められていたのも、ピアノの状態を最良に保つためと考えられる。
 また、2006年にARK Hallで演奏した際にホールの響きが気に入り、以来、6回も所沢を再訪し公演してきたらしく、今回は6年ぶり7回目の公演のようだ。

 私の席は2階席正面1番前の左側。少し遠いながら舞台全体を見渡せ、鍵盤も見える良い席だった。こだわりの強いツィメルマンが気に入っていると言われ、響きの良いホールという前評判を耳にしていたので、敢えて2階席にしてみた。
 開始前にざっと見渡したところ、ほぼ満席だった。

 コンサートは17時から開始した。黒い燕尾服姿で白髪のツィメルマンが舞台に登場すると、大きな拍手が起こった(今回ツィメルマンが登場する前に楽譜がピアノに置かれ、バッハなどは自ら譜めくりしながら弾いていた)。
 前半プログラムはJ.S.バッハのパルティータが2曲(今回の来日のお知らせとプログラムの概要記事はこちら)。

パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825

 1音目から透明感のある美しい音色に惹き込まれ、素晴らしくコントロールされた和声の響きに終始うっとり聴き惚れた。教会で聴いているような、オルガンも聖歌隊の歌声も聴こえてくるような重厚な演奏だった。最後のジーグは圧巻。

パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826

 これは10/26、28にブレハッチも弾いてくれ、心が洗われた組曲。ツィメルマンの演奏は冒頭のシンフォニアが気品がありながら情熱的だった。サラバンドとロンドは快活なリズムに身体を揺らしたくなるのを我慢して、静かに指でリズムを刻んで楽しんだ。ちょっとロックっぽさも感じた。

 20分間の休憩時間に外に出てみたら、Hallのイルミネーションが綺麗だった。テレワークが続き、夜はほぼ外出しないため、街のクリスマスのイルミネーションを見ていなかったから、こちらでクリスマスが近づいていることを実感できた。

後半はロマン派の2人の作曲家の晩年の作品。

ブラームス:3つの間奏曲 op.117

 作曲家と同年代になって弾いてみたいと考えて選曲したと思われる曲で後半が始まった。
 第1曲目は子守歌が意識されているらしいが、優しいゆったりした曲調で胸に沁みてくる演奏だった。
 第2曲目は日本人には特に沁みる侘び寂びの世界が表現されていた。晩秋、京都のお寺の境内の落ち葉じゅうたんの上を散歩しているような風景が思い浮かぶとともに、ツィメルマンの心の内を見せて貰ったような特別な気持ちになった。
 第3曲目は前の2曲より暗めの旋律で、冬の陰鬱な空模様が表現されたような曲調だったが、憂いのある音色も味があり本当に美しかった。2階の正面席はピアノがある舞台から結構離れているが、微弱音がちゃんと聴こえた。どうしたらああいう音を鳴らせるようになるんだろう。。

ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調op.58 (1844作曲)

 ツィメルマンが数え切れないほど、弾き込んできたであろうソナタの3番。椅子に座るや否や弾き始めた。拍手を聞き終え、少し間をおいてから弾いて欲しかった気もしたくらい早い始まりだった(笑)。
 第1楽章冒頭の「ソファレシファー」から、ツィメルマンが紡ぎ出すショパンの世界に惹き込まれていった。これぞ私が求めていたソナタ3番(ショパコン最中は、なかなか理想的な3番の演奏に出会えなかったので・・)。力強い第一主題も優雅な第二主題も歌い方が実に滑らかで、安心して身を委ねて聴ける。
 第2楽章の中間部のトリオの和音の響きが美しかった。
 第3楽章のラルゴはショパンらしい詩情溢れる緩徐楽章だが、ツィメルマンが作曲して披露しているかのように、彼がショパンの生まれ変わりなんじゃないかと思うような自然な演奏にひたすら酔いしれた。
 フィナーレは冒頭から力強く、勢いと疾走感もあり(あり過ぎか?と思う時も、笑)、オーケストラを指揮するかのような大胆な弾きぶりに時々驚きながら、壮大に締め括られた。いや〜、これは生演奏ならではの醍醐味と言えるか、というほど、ツィメルマンが冒険したフィナーレだった気がする。CD用の録音ではこんなに大胆に弾かないでしょう(笑)最後はツィメルマン自身がまだ弾いているのに、圧巻の演奏にフライングの拍手が起こったほど。

 何度かカーテンコールが起こったが、数回出てきて四方にお辞儀しつつ、何度か投げキスをした後、会場が明るくなり、暗黙の終演が告げられた。アンコールは無かったが、用意されたプログラムが充分過ぎるほど素晴らしかったので、その余韻に浸って、なかなか席から立ち上がれなかったほどだ。帰りの電車の中でも、余韻に浸って、何の音楽も聴きたくない自分がいた。つい最近のカントロフのコンサートの帰り道もそうだった。どんなに素晴らしい録音の音源も生音の素晴らしいコンサートには敵わない(と思う)。最近の録音や配信のクオリティが良くなっていることは認識しているが。。

最後に

 12月2日にぶらあぼのHPに掲載された、高坂はる香さんが10月のショパコン終了直後に審査員のヤブウォンスキ氏にインタビューされた記事に色々と考えさせられた直後のコンサートだったためか、ツィメルマンのソナタ3番が始まった途端、あ〜これこれ、これがソナタ3番!と素人ながら感じるものがあった。私はショパンの作品の中で、ソナタ3番が特に好きで、ツィメルマン、ポリーニ、アシュケナージなど往年のピアニストたちの音源含め、さんざん聞いてきたから、素人ではあるが、ソナタ3番はこうあるべき、みたいなのが自分の中にあり、それをある人は保守的というかもしれないが、今夜はそれを聴けた気がしたのだ。フィナーレが少し大胆な解釈だったけれど・・。
 10月終わりに来日したブレハッチのソナタ3番もそうだったが、楽譜に忠実でありながら、即興的な表現や遊び心も垣間見られ、でもショパンらしさを逸脱しない、みたいな演奏が耳に心地良かった。ツィメルマン然り、ブレハッチ然り、かつてのショパコンのポーランド人の優勝者たちは、ショパンの弟子たちから脈々と受け継がれてきたこと(楽譜の解釈)を大事にしながら、ある一定の範囲内で自分なりの解釈を乗せていく、伝統と個人的な表現(個性)のバランスを絶妙なラインで保とうと努力(時に葛藤かもしれないが)してきているような気がした。
 ブレハッチもツィメルマンもバッハで始まり、ショパンのソナタ3番で締めるプログラムだったのは偶然なのだろうか。日本国内の感染状況はある程度落ち着いてきたものの、一般の海外渡航はなかなかできず、コ口ナ禍の閉塞感がまだあるタイミングだからか、彼らのバッハやショパンのソナタ3番からは祈りや希望を感じられた。   
 あと、自宅からプチ遠征の距離ではあるが、ホールの響きがとても良かったから、再訪したいと思った。

 11月下旬からオミクロン株の感染拡大の懸念で、音楽家を含む外国人の入国が禁止されるなど厳しい状況になっているが、その前にブレハッチとツィメルマンは隔離期間を受け入れ、何とか来日してくれて生演奏を聴かせてくれたことに心から感謝している。また聴ける日が来るように祈っている。

おまけ

 会場の所沢市民文化センターがTwitterにUPしていたツィメルマンのサイン。なぜ、グリーンの文字なんだろう?!

(終わり)

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