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いまが幸せだとかんがえること

2024年5月16日に
父の見舞いに仕事帰りに
病院に行ったのですが
強いモルヒネを注射している
ために

父はずっと寝ていて
話かけるのもわるいと思い
寝顔を見るだけで終わって
しまいました。

しかし、モルヒネのおかげで
痛みは緩和されているので
寝ることができているのだと
思います。

よく、あの資格をとって将来は
こうなろうとか
もっとダイエットしたら将来は
あの子に告白しようだとか
人は未来の幸せ期待して生きていますが

もっとも大きな幸せは家族が無事に
生きている平凡ないまが幸せだともいえ
ます。

死んでしまうと喧嘩もできません。
資格をとっても喜んでくれる家族も
いなくなります。

本当の不合格とは家族が亡くなる
ことなのかもしれません。

大切な人が亡くなってからも自分は
その人がいない人生をこの先生きて
いかなければならないのです。

自分がお金に困っても病気になっても
他人は助けてくれません。

頼りになるのはやはり家族なのです。
その家族もやがていなくなります。
親は死に 子供がいても巣立ち
嫁さんがいても病死になれば
いなくなります。

結局、家族というのももとは他人同士の
男女が出会って形成されたコミュニティ
です。

最後に親しい家族がだれもいなくなったとき

そのときは親しい他人を家族と思い、大事にして
いくことが生きる希望となり意欲となるのかも
しれません。

結局、血縁関係のある家族だけを大事にするのでは
なくて血縁はなくとも親しいまわりのひとを家族と
思って生きていくことができれば孤独感はなくなる
のかもしれません。

それは外で出会うちょっと話せるだけ関係
のひとも入るのかもしれません。

この文を読んでくださっている読者のひと
なのかもしれません。

親しいまわりのひとが一人でもいるいまが
最高だと考える

そんなことを夜中に思いました。



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