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居なくなって思い知る祖父母の愛

今年の初め、祖母が亡くなりました。
祖父は5年ほど前に他界していて、そこから認知症が悪化した祖母は、施設で過ごすようになります。
コロナ禍の影響で面会にも行けず、ほとんど会うこともないままでした。

そんな祖父母の遺品が出てきたのは、つい最近のこと。
叔父から、
「整理してたらいろいろ出てきたから取りにきて」
と連絡をもらって受け取ってきました。

1歳のあきむー

僕は、初孫でした。
だから、祖父母たちにとっては、特別かわいい存在だったようです。
祖父母に怒られたことはありませんし、いつもニコニコして、いろんなところに連れて行ってくれました。

写真屋さんで撮影したアルバムがあることは、家族も知らないことでした。
当然ながら、撮ってもらった僕も全然記憶にありません。

他にもアルバムがたくさんでてきて、僕が愛されていたことを思い知りました。
アルバムの総数は、5冊弱。
ほとんどが僕の写真です。
愛されていたんだなぁ、と実感して余りある膨大な写真の数です。

何年何月、どんなときの僕か。
達筆な祖母の字で、書き込みまでありました。
もう、見ることのできない字です。

写真の日々は、祖母と僕の思い出の日々でした。

6歳のあきむーと妹

子供の頃には、多くの夢がありました。
いろんな可能性を持って大人になります。
年を重ねるごとに、それらの可能性がどんどん狭まっていきます。

どんな状況になっても、祖父母は僕のことを諦めることはありませんでした。
どんなに可能性がなくなっても、僕のことを変わらずに愛し続けてくれていたのです。

それを忘れずに、僕は僕自身を諦めずに生きていこうと思いました。
この愛情を、甥や姪にも伝えていけたらいいなと思います。

「100歳まで、まだまだ生きるぞ」って笑ってたおじいちゃん。
認知症になっても、僕が小さい頃の出来事を嬉しそうに、話してくれたおばあちゃん。

ふたりとも大好きだよ。
愛してくれてありがとうございました。

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