[山岳小説]カンチェンジュンガに降る雪
ヒマラヤの山々には、神々が住むという
人々は神々を崇め、称え
神々は人々を守り、愛した
だが、時に人は愚かにも神々の聖域に立ち入ろうとする
神々はそれを許さない
神々はつぶやく
・・・罰を与えよ
立ち入った者は二人
彼らは氷壁に宙づりにされていた
風は激しく雪をたたきつける
まるで二人を鞭うつように
カンチェンジュンガ北東壁・・・
上の男は、下の男にもがくように手を伸ばした
下の男が滑落していった
上の男は叫んだ
「北原、きたはら~~~~」
その声は、むなしく嵐にかき消されていった・・・
1
山の友社は、東京の四谷にあった。
多くの山岳書や旅行ガイドなどを出版していて、会社の規模は中堅であったが、その良心的な内容には多くの固定ファンがいた。
なかでも月刊『山岳人』は、定期購読者も多く、会社の出版物の柱となっていた。
編集長は田島幸三といい、大学のころは山岳部に所属していて、穂高や白馬をはじめ、日本の多くの名峰をかなり制覇していた。
その親分肌で温厚篤実な性格から、彼を頼って、原稿や写真を持ち込んでくる貧しい登山家たちも多くいた。
彼は、その中から、稚拙だが使えそうな原稿を、面倒がらずリライトして掲載してやっていた。
最近はヒマラヤ・トレキッングが人気らしい。それもあいまって『女性のためのトレッキング・コース』という連載が好評だった。
この連載には多くの女性ファンがついていた。
執筆していたのは藤崎勉というライターだったが、彼は、あえて伴勉というペンネームを使っていた。
その、臨場感あふれる山の描写は好評だった。
そして彼は、田島の中では特別な存在であった。
その藤崎と田島は会議室のに向かい合ってすわっていた。
次号の掲載原稿を藤崎が届けに来たのだ。
田島幸三は、原稿のチェックをしながら言った。
「うん、今月もいい出来だ。お~い、弓原くん、これを確認して入稿してくれ」
田島は、打ち合わせの応接の椅子からのりだしながら、編集員の弓原恵子を呼んだ。
編集員の弓原恵子は、藤崎のことをよく知らなかったが、
なにか不思議に、惹かれるものがあった。
年齢は三〇歳半ばだろう。鍛え上げられた精悍な肉体は、羽織った粗末な上着からも透けてみえる。幾分寂しげな瞳の奥には、なにか深い苦悩を隠しているように思えた。
いつも『女性のためのトレッキング・コース』の原稿を持ってくる男。
藤崎勉・・・彼は何者だろう。弓原はいつも思っていた。
藤崎の原稿は、いつも田島が直接目を通し、そのあとで自分に回ってくるので、ほとんどの修正はなかった。
彼女は、最終チェックした後、入稿するだけだった。
したがって、編集者としての藤崎との打ち合わせもなく、
彼女にとっては謎の人であった。
「はい、わかりました」
弓原は、田島の向かいに座っている藤崎に一瞥をくれると、
軽く会釈して原稿を受け取った。
弓原は田島の隣にすわって、原稿をめくった。
「ありがとうございました」
藤崎は、少しくぐもったような声で、田島にお礼を言った。
田島は足を組みながら、藤崎に話だした。
「それにしてもなあ。最近は女性の山男、いや山女かな。増えてきてなあ。
静かなブームみたいなんだ。この記事のおかげでうちの『山岳人』も売れ行き好調だよ。最近の女子の体格は男と変わらんし、百キロくらいの荷物を担ぐやつもいるくらいだ。それも、日本の穂高や白馬くらいじゃ飽き足らず、
ヒマラヤにいきたいという奴らが増えている」
「でも、トレッキングですよ。ハイキングの延長みたいなもんです」
弓原が笑いながら言う。
「いや、エベレストに登るやつもいるぞ、最近は」
「田島さん、最近、登っていないんですか」
弓原が微笑みながら言った。
「全然だ。この腹をみろ」
田島は膨らんだ腹をポンポンたたいて、自虐的に笑った。
「それこそせいぜい孫とハイキング程度だ。それより藤崎、お前さん、どうなんだ。もうそろそろ、あのことは忘れて」
藤崎は静かに二人の会話を聞いていたが、急に田島の話を遮った。
「田島さん、俺はもう、山はやめたんです」
「そうか・・・しかし、もったいないな」
藤崎は、首を横に振るだけだった。
「今回の連載『女性向けトレッキング・コース』はカンチェンジュンガですよね」
弓原が確認するように、田島に向かって言った。
「そうだ。日本人にはあまりなじみがないがな。欧米人はみなよく知っている山だ」
「たしか、世界で第三番目の高峰ですよね」
「そうだ。この山は、エベレストなんかより難関だよ。なにせ、エベレストの夏山なんかロープがはってあるからな。完全に確立した観光地だ。
ネパールからトレッキング基地まで、ルートはいっぱいあるし、
泊まるところやシェルパの確保もたやすい。しかし、カンチェンジュンガはそうはいかん。登山家のあこがれの地、ヒマラヤには世界最高峰の山々が連なっている。衆知のとおり、世界一の高峰はエベレススト、八八四八メートル、二番目はK2、八六一一メートル、そして三番目がカンチェンジュンガ八五八六メートルだ。ヒマラヤには、八〇〇〇メートル級の山が、全部で
一四座ある。全てがその神秘的な美しさと、圧倒的な存在感に、登山家のみならず、多くの人々を魅了してきた。まさに神々が住む聖地なのだ」
「田島さん、なんでK2だけがこんな名前がついているんですか。記号みたいです」
弓原が素朴な疑問を呈した。
「それはな、昔のインド測量局が、一八五六年からカラコルム山系の測量を始めた時に、南から測量を開始した。そして標高が高い山にカラコルムの頭文字『K』を取って、順に、K1, K2, K3, と測量番号を付けた。
その後、K2以外の山には、新たな名前が付けられた。だが、K2だけは測量番号がそのまま山名に残ったのさ。お前も山岳系の出版社の社員なら、これくらい覚えておけ」
「はい、すみません」
弓原はぺろりと舌をだした。
「ついでにお聞きしますけど、なんでカンチェンジュンガはそんなに大変なんですか」
「まずはカンチェンジュンガがどこにあるか、考えてみろ」
そう言って田島は地図を取り出した。
「見ての通り、カンチェンジュンガの位置は、他の山と違って、ネパールの東の端っこだ。インドとネパールの国境に位置している。本格的な登攀の場合、そこまで行くのが大変だということだ」
弓原は曖昧にうなずいた。
「大体のヒマラヤの山には、ネパールのカトマンズを拠点にして動く。
シーズンが来ると、カトマンズは、山好きのやつらでいっぱいになる。
カンチェンジュンガの場合も、カトマンズから飛行機でピラトナガールまでいく。そこで一泊してからタブレジェンにいく。しかも、装備や食料もすべて持参だ。いいか、トレッキング程度でもこれくらい大変なんだ。
本格登攀の場合、まずベース・キャンプだ。
そこを作るのが大変だということだ。
それでもカンチェンジュンガのネパール側からは、何例か成功している。
初登頂は一九五五年イギリス隊で、南西壁に成功している。
その後、何回か他国の隊が成功している」
ここで、田島はひと呼吸いれた。
「しかし、もっとも難しいといわれるのは北東壁から登攀だ。
これに成功した例は、一九七七年と一九八七年のインド隊だけだ。
それも大きな犠牲者を出してだ。だから事実上は敗北だ。
インド側から本格的な登攀するとなると、準備が大変だ。
インド側からの登攀は、ネパールに隣接するシッキム州を経由するしかない。カンチェンジュンガも、この州の西側の国境に位置する。
つまり、ネパールにとっては東の国境だ」
弓原は、こんどははっきりうなずいた。
「まずは紅茶で有名な、ダージリンから行くのが通常コースだ。
ダージリンから州都のガントクに向かい、準備をすすめる。
しかしそのあとの、山の麓までの交通ルートは、一般的に全くないといっていい。一か月かけて歩くんだ。しかも、山賊まで出るらしいぞ」
「キャー、大変」
「だが、軍隊は別だ。軍用道路を使い、ラチェンまで一気に行くことが出来る」
「軍隊以外はだめなんですか」
「そうだ。一九六二年に、インドと中国で紛争がおきたからだ。
有名な中印国境紛争だよ。昔はインド側からのアタックが当たり前だった。
シッキムがまだインドに統合される前の一九六二年に紛争がおきた。
その後一九七五年、シッキムはインドに併合され、それから外国人に入国を許可していない。防衛上の問題でな。登山目的では軍用道路を使うことが出来ない。それもあって、日本隊単独で北東壁登頂に成功した例はない。
正に未踏だ。ところが、五年前に急に入国許可がおりたんだ。
各国が色めき立った。日本でもそれに挑戦したのが、ここにいる・・・」
「田島さん、やめてください! 俺、失礼します」
藤崎は急に席をたった。足早に去る靴音と、ばたんと乱暴にドアの閉まる大きな音が部屋に響いた。
「ああ、藤崎まてよ。まだ次の取材の打ち合わせが・・・」
田島はあわてて藤崎を追いかけたが、彼の姿はもうなかった。
「行っちまったか。もう、昔のことだからいいかと思ったんだが」
田島は頭をかきながら、座り込んだ。
弓原は、怪訝そうな顔で田島をのぞきこんだ。
「藤崎さんてどういう方なんですか。編集長のお知り合いで、前は登山家だったということでしたが」
「弓原くん、きみは五年まえの、カンチェンジュンガ登頂プロジェクトの話を聞いたことがないか」
「そういえばなんとなく。私はまだ学生でしたので、うろ覚えですが」
「カンチェンジュンガは世界第三の高峰だ。日本ではエベレストの話題にかくれて、あまりなじみがないがな。現地に行けばわかるが、実に美しい山だ。遠くから見るだけならな。この山は、言ったとおりヒマラヤの最東端にあり、インドとの国境に位置している。主峰は八五八六メートル。
周りを西峰ヤルン・カンをはじめ、山群が取り巻いていて、守られるように主峰がある。その壮大さは比類ない。
山名の意味は、チベット語で『偉大な雪の五つの宝庫』という。
ヒマラヤ八〇〇〇メートル級の登攀は、とてつもなく厳しい。トレッキングとはわけが違うのだ。加えて無酸素でやろうというわけだ。ある意味きちがい沙汰だ。いいか、エベレストだ、K2だ、一番高い山だ、二番めだと騒ぐのが素人だ。難しい壁を、無酸素で上る、だからすごいんだ。
そういう意味でカンチェンジュンガ北東壁は、避けられてきたかもしれん。
まさに死の壁といわれるように、遭難率が高い。
北側や南西、つまりネパール側から上る方が、色んな意味で楽だからな。
カンチェンジュンガ北東壁の日本隊単独は、まだ登攀に成功していない。
プロジェクトは、それを、あえてやろうという、とてつもない計画だった。
その登攀のトップをとったのが藤崎だ」
田島はここで拳を握り締めた。
よほど藤崎をリスペクトしているとおもわれた。
田島は、さらに強い口調で語りだした。
「かれは、当時天才クライマーといわれていた。彼にかかると、どんな急峻な壁でも、困難にはみえなかった。彼は、手足に吸盤がついたように、するするとのぼった。まったく無駄のない動き、だれもが見とれる様な、すばらしい登攀技術だった。ヨーロッパの三大など朝飯まえに単独で登った。
だから、彼に白羽の矢がたったのだ。しかし・・・」
「しかし?」
田島は顔を曇らせた。
「やつは失敗した。そしてその時、後輩の北原が遭難死したんだ」
「でも、それって藤崎さんのせいなんですか。遭難は、誰にでもあることなんじゃないですか」
田島はそれには答えず、続けた。
「・・・八千メートルをこえたあたりで、二人は最難関の北東壁で中ずりになったんだ。北原は、その時にザイルが切れて転落した」
「それでは・・・」
「お察しのとおりだ。
マスコミは、藤崎が自分が助かるためにザイルをきったのではないか、と報じた。事実、ザイルはナイフで切ったあとがあった」
「藤崎さんはそれに対してなんていったんですか」
「一切の釈明をしなかった。北原を殺したのは自分だ、悪いのは自分だとしかいわなかった」
弓原はつぶやいた。
「だから、本名の藤崎名を使わず、伴勉なんてペンネームで書いてるんですね。本名の天才クライマーの記事の方が、絶対うれるのに」
田島は遠くを見るように続けた。
「真実のところはわからん。しかし、奴がザイルを切るような男ではないことは確かだ。だが結局、彼がザイルを切ったということが、独り歩きした。
マスコミが彼を中傷したんた。『天才クライマーの本性』とかなんとか、ひどい書かれようだったよ。その後、彼は山屋をやめた」
「そうだったんですか・・・」
「真相は藪の中だ。奴が何も語らないからな」
田島は窓の方に歩いていった。
そして、遠くの空を見上げ、沈黙した。
つづく
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