身の回りの贈与に気付く
こんにちはあきたにです。
この三連休、岸田奈美さんのキナリ読書フェスに乗っかり積読していた
近内悠太さんの
「世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学」
を読んだのでこちらの感想文を書きたいと思います。
この1冊はビジネス的な話では無く、人間の幸福論について書かれた哲学的な1冊だと感じました。そして自分の置かれているこの場が贈与によって成り立っている事を思い出させてくれて、幸福感を上げてくれる温かい1冊でした。
特に気になった箇所について書きたいと思います。
贈与と等価交換
交換の論理を採用している社会、つまり贈与を失った社会では、誰かに向かって「助けて」と乞う事が原理的に出来なくなる
この本から贈与と等価交換がバランスよく存在しているのが理想なのだと学びました。
僕は今まで贈与と言う考えがあまり好きではありませんでした。この贈与と言う言葉は、ただ自分のものを渡すだけで、自分が損をしている感じがしていたからです。そして自分は「等価交換」の考えに固執していました。
そのため、自分はうまく助けを求める事が出来ないのだと気づきました。今まで、助けを受け続ける事が出来なかったのです。
それは深層意識で「こんなにやってもらうと、自分はこの恩を返しきれない」という思いがあったのかも知れません。
贈与は身の回りに溢れている
僕らは、何かが「無い」ことには気付くことができますが、何かが「ある」ことには気づけません。
日常で当たり前だと思っていることは、それが贈与されたものであることに気づかないですよね?僕はたまたま、引っ越しをして環境を変えたため引越しの前後で各都市の「ある」ことに気付くことができました。
この「ある」ことは、誰かが行った、もしくは作ったサービスのことです。すなわち「贈与」であるそうです。
そう考えると、自分の周りにはたくさん贈与があり、それを受け取っている自分はなんて幸せものなんだろう。と感じます。
例えば
東京であれば、人が多く商店も多いため、欲しいものは直ぐに何でも揃います。荷物を受け取る時も郵便ボックスがあり、注文をして1日もあれば自分が家にいなくても受け取ることが出来ます。午前中に欲しいものがあれば、半日店舗を回れば殆どのものは手に入れることができました。
逆に北海道では、同じ家賃でも東京の倍以上の広さの家に住めますし、スーパーで売っている食材は東京と比べると同じ値段で2倍以上の大きさで味も新鮮なため美味しいです。
まだまだ、考えればたくさん出てくると思いますが、今はこの辺で。
この今の生活で贈与を見つければ、見つけるほどこの北海道生活をより楽しめそうです。
この本を読んで行動をしたいこと
僕はまだまだ贈与への想像力が足りないので、勉強と体験を通して身の回りの贈与に気付ける様に日々精進します。
最後に
この2日間、本に向き合い続けた2日間で楽しかったです。周りの方の進捗具合を見て自分もがんばったり、今日これからは他の方の感想文を読むのが楽しみです。
この様な読書イベントの機会を頂き、岸田奈美さんイベント関係者の皆様ありがとうございました。
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