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青年の主張

私はどちらかと言えば、作文が得意な方の子どもだったと思う。

毎年、青年の主張というコンクールがあり、私たちの学校は全員参加で書いていた。まず最初に学校内での選抜があり、一学年につき二人ずつが選ばれる。そして町内の大会に出て、舞台に立ち発表する。その大会で優秀な成績を収めたら、今度は地区大会に、という形だった。私は一度だけ、地区大会に行ったことがある。それは確か、小学五年生の時だ。

今になって思えば私は作文が上手かったというより、主題の見つけ方が上手かっただけな気がする。大人の心をくすぐるのが上手かった。大人が喜ぶ文章というものを心得ていた。最低限、文章のリズムに気を配るなどの工夫はしていたものの、誉められたのは恐らくそこではなかった。大人を喜ばせる文章が書けること。それが評価されること。私は心のどこかで、人を騙しているような気がしていた。それっぽい文章を書ける自分のことを、ペテン師のように感じていた。それでも、そういう文章を書き続けた。本当のところ、私にはこれと言って、主張したいことなど無かったからだ。実際、私はその時に書いた文章の内容をこれっぽっちも覚えていない。多分、地球温暖化がどうとか、交通安全がどうとか、そういう大きいテーマのことを書いたんだと思う。勿論そういった主題が悪いということではないが、あまりにも大人にとって「良いテーマ」過ぎた。私が書いた文章は、コンクールのための、そして大人のための文章だった。

町内の小さな大会が終わり、舞台は役場の会議室みたいなところから、隣の市のホールになった。私はそこそこに良い服を着て、発表者が並ぶ最前列の席へ案内された。とても緊張していた。私が案内された席の左隣にはもう女の子が座っていた。その子が、明音ちゃんだ。

明音ちゃんは私が席に着くよりも先に、おはようございます、と挨拶をしてくれた。私は内気な子どもだったから、隣に座っている人に挨拶をするなんて考えがそもそもなく、とても驚き、嬉しかったのを覚えている。明音ちゃんはこのような舞台でも緊張しないのか、とてもリラックスしてにこやかにしていた。その表情を見て、私も安心した。さっきまで会場に居る全員が敵に見えていたのに。自分が居るこの場所は、自分を試される場所ではなく、自分の言葉を聞いてもらうためにあるのだという当たり前のことを思い出させてくれた。私が発表している間、明音ちゃんはずっと私の方を見て耳を傾けてくれていた。私も、時々明音ちゃんを見た。伝わっている、と思った。伝わっているのに、私が書いた文章はあくまでこのコンクールのための文章だったから、悔しかった。私が書くべきは、伝えるべきはこんなことじゃないはずだと子ども心に感じていた。

私は地区大会の先には進めなかったけれど、その後も明音ちゃんと私の交流は続く。明音ちゃんの学校には、私が通っていた英会話スクールの子たちも通っていた。その学年は二クラスしか無かったから、皆仲が良いということだった。私はその子たちを通して、明音ちゃんの家の住所を教えてもらった。それをきっかけに、明音ちゃんとの文通が始まる。それは二年くらいは続いたと思う。私は文通という初めての体験にワクワクしていた。そして、多分だけれど、明音ちゃんも私と同じように感じてくれていたと思う。私たちはもう立派に友達だった。
明音ちゃんの手紙は入院している私の病室にまで届いた。小学六年生の夏、手足口病に罹って高熱を出し入院、ということがあったのだ。ピンク色の便箋に書かれた明音ちゃんの几帳面そうな文字の一つひとつを今でも覚えているのは、それがよっぽど嬉しかったからだ。その手紙は、今どこに行ってしまったんだろう。そして明音ちゃんは今どこで何をしているんだろう。私たちの文通はいつの間にか途絶え、それぞれに中学生、高校生、そして大人になった。英会話スクールの子たちとも疎遠になり、明音ちゃんとの縁は本当に切れてしまった。

小学六年生の年、私は明音ちゃんのことを書いた。もう地球のことも、交通のことも書かなかった。明音ちゃんが私に挨拶をしてくれたこと。明音ちゃんが真っ直ぐこちらを見て、私の話を聴いてくれたこと。その後、共通の友人を通して住所を交換し、文通が始まったこと。たまたま私たちが隣同士の席に座っていたという奇跡。それらがどれほどまで嬉しかったかということ。そしてその作文も、学校の代表に選んでもらい、地域の文集に載った。私はこの作文が先生の目に留まったことが、そして文集に載ることで明音ちゃんに読んでもらえることがとても嬉しかった。この作文は、私が「本当に」書きたかったことを書いた作文だったから。

大人になった明音ちゃんが、私のことを少しでも覚えていてくれたら良いなと思う。小学六年生の時に書いた、明音ちゃんと出会えた喜びが伝わっていたら良いな。たとえ忘れられていたとしても、私はこの先もずっと覚えている。だって明音ちゃんとの出会いこそ、私の書くこと、表現すること、発表することについての原体験だから。

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