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第4話『名探偵と失われた水』

 夏の土用が過ぎた後の日崎さんは
 すっかり元通りで、
 迷宮入りした哲学者のような様子は
 欠片も見せなかった。

 この頃にはもう、
 日崎探偵が解決した依頼を
 試験のごとく定期的に出題することが、
 僕たちのお決まりになっていた。

 何しろ解決済み案件なので、
 僕が何か力になれるわけでもない。
 当時は、日崎さんの意図はさっぱり
 分からなかったが、
 名探偵助手になったような気がして、
 単純に楽しみだった。

 以下に記すのは
 その中でもその夏、
 最も僕の印象に残った案件だ。
 

 依頼主は、訪問看護師さん。
 担当の大原さん(仮名)の様子がおかしい
 という主治医に相談するかのような内容。

 当の主治医は、
 大学病院に週1回だけ勤務する医師。
 受診も3カ月に1度である為、
 やりとりがしにくい状況だったようだ。

 大原さんは元左官屋の90歳男性。
 軽い糖尿病と高血圧傾向があったが、
 服薬で病状は安定していた。

 記憶力などは年齢相応で凸凹なく、
 簡単な調理・薬やお金の管理・保清
 ・ごみ捨て等、日常生活も一通り自立。

 1日を通してあまり動かず、
 万年床でテレビを見て過ごすような
 暮らしぶりだったようだ。
 それでも年齢を考えれば十分に、
 元気なおじいちゃんで通るだろう。

 1人暮らしで親族が遠方である為、
 買い物援助としてヘルパーが週1回。
 緊急時対応と体調確認で、
 依頼主の看護師が週1回訪問していた。

 大原さんの様子がおかしくなったのは、
 日中の平均気温が35度を越えた8月中旬。
 明らかに元気がなくなり、
 食が細り、手足のしびれやだるさ、
 喉の渇きなどを訴えるようになった。
  
 看護師さんによれば、
 訪問した時クーラーは控えめだが
 毎回ちゃんとついていて、
 本人は水も飲むようにしている
 と言っていた。

 次の受診予約は2ヵ月後で、
 それまでは血液検査もできない。
 まずは脱水を疑い、
 とにかく水分を摂るよう伝えていたが、
 状態は週を追うごとに悪化した。

 同僚の看護師や医師に相談してみると、
 やはり脱水疑いが最も強かった。
 後は、クーラーも控えめだし、
 高齢に暑さが堪えているのではないか。

 引き続き、水分と、食べやすいもの
 で良いから食事を絶やさないように。
 という助言が得られたので
 そのように伝えていたが、
 一向に状態が上向かない。

 何か見落としているような気がして
 気になる、という依頼だった。

 どうやら、日崎探偵の実績から、
 看護師の間でも、最後の砦のように
 頼られていたらしい。

「さてこの依頼、
 松嶋先生ならどう明かりを灯します?」
 
 日崎試験官が僕に問うた。
 相変わらず、声量は小さめだが
 聞き取りやすい凛とした声だ。
 その声で紡がれる言葉には、
 神秘的とも感じる魅力が宿っていた。

 その神秘を密かに楽しみつつ、
 僕は頭をフル回転させて、
 自分なりの回答を伝えてみた。

「医師や複数の看護師が
 脱水だと判断している訳ですから。
 当然、血圧・脈・皮ふの様子とか、
 何かしら根拠もあったのでしょう?
 それなら、
 脱水という見解が的外れだとは
 思えません。
 僕なら、経過を見ますかね」 

「はぁ、見事に普通の答えね・・・。
 それじゃあ、
 脱水対策をしているのに
 状態が悪化する説明がつかないわ」

 思いっきりため息をつかれたので、
 僕は慌ててもう一声付け加えた。

「ただ!
 ひとつ気になるのは、
 大原さんが本当に水分を摂れて
 いたのかということです。
 いくら看護師さんに言われても
 億劫で飲まない人や、
 恰好つけて飲んでいるふりする人も
 いますから。
 特に男は女性の前では
 恰好つけますよ、幾つになっても」

「・・うーんまあ、
 零点では無くなったかな」 

 何とか完全なる落第は免れて
 内心ホッとした僕に、
 名探偵はその後の顛末を
 順を追って話してくれた。

 日崎探偵が確認したのは、

 一つ、
 訪問看護師が脱水だと判断した根拠

 二つ、
 大原さんが飲んでいた水分の量

 三つ、
 大原さんが実際に食べていたもの

 四つ、
 どの程度クーラーを使っていたか
 
 五つ、
 大原さんのいう〈水〉とは何か

「脱水の根拠は教科書通りなら、
 血圧降下・脈上昇・皮ふの張り低下・
 脇喉の渇き・体重や尿量減少などね。

 でも、実際には100%教科書通り
 なんてことはまずないわ。
 なぜだが分かります?」

「えっ?えーっと・・・。」

 名探偵と出会って3ヶ月あまり。
 当たり前のように医学知識を用いる
 姿に僕はもう驚かなくなっていた。

 だが、話の途中で繰り出される
 国家試験よりも難しい質問攻撃には
 まだまだ対応できていなかった。

「はい時間切れです。
 正解は、個人差と薬の影響があるから。
 あと、在宅だと客観的に数値化できる
 ものが限られていたりもあるわね。
 だから、
 根拠にできる指標は意外と少ないのよ」

 不出来な生徒を優しく待つことはなく、
 名探偵の講義は進んでいった。

「このケースでいうとまず血圧と脈。
 確かに、冬に比べると血圧は低く、
 脈は高くなってはいた。
 だけどそもそも、
 訪問看護開始が去年の冬からで、
 1年前の夏頃のデータが無かった。

 あと、大原さんは
 血圧降下薬を常用していた。
 生理現象として、血圧が下がれば
 脈は上昇し易いでしょう?
 この時点で、
 血圧と脈、この2つの指標は
 一段階信頼性が落ちるわ」

 なるほど。
 言われてみれば確かにそうだ。

 訪問リハビリでも血圧などは
 当然測るが、週2回分でも
 参考程度にしかならない。
 
 血圧や脈というものは、
 基本的にはホメオスタシスにより
 一定範囲内で管理・調整されているが、
 様々な要因で変動するものでもある。

 例えば、
 過度の運動・高血糖などの
 血圧を上げる要因と、
 過度の安静・血圧降下薬などの
 血圧を下げる要因が、

 同時に存在したとき。

 この場合、
 血圧の数値は正常範囲内に収まって
 しまうという、
 ややこしいことも起こり得る。

「皮ふの張りも、
 高齢でも落ち易くて個人差もあるから、
 これも明確な根拠にはなりにくい。
 脇の渇き感も一緒ね。

 在宅では、
 こういった他者の目や感覚でしか
 判断できないアセスメントが主役で、
 とっても大事なんだけど。
 扱いもまた難しい。
 せめて毎日観察できれば精度は上がる
 けど非現実的だしね」

 これも実体験として思い当たった。
 看護師ほどでは無いが訪問リハでも、
 皮ふ・表情・声の調子などは
 よく観察する。
 異常の早期発見に役立つ時もある。

 しかし、
 こういった数値化できないものは、
 評価者の体調や精神状態で
 結果が左右される時があった。
 
「いつもと何か違うという感覚
 は大事だと、
 諸先輩方からよく言われましたが、
 一歩間違うと決めつけになります」

「そうね、でも今回の件も結局、
 訪問看護師さんの『何だか気になる』
 という感覚が依頼の決め手だったから、
 要は使いようってことかしらね」

 さてこれで、
 脱水の根拠となった指標で残るのは、
 喉の渇き・体重減少・尿量減少だけだ。

 喉の渇きに関しては
 訪問看護記録を辿ることで、
 明らかに本人の訴えとして増えていた
 ことが確認できたそうだ。

 体重は毎週計測していたが、
 +1kgと微増。

 尿量は自覚としては増えていたが、
 大原さんが水洗トイレを使っていた為、
 正確な把握はできず。

 「ひとつひとつ確認していくと
  結局、
  体調が悪くなる前後で
  明らかに違うと言えるのは、
  喉の渇きくらいになったわ」

 続いての確認事項は、
 大原さんが飲んでいた水分量について。
 これは看護師さんが一工夫していた。

「大原さんに、水を飲む時は、
 できるだけ500㎖のペットボトルに
 移して飲むように。
 空っぽになったら継ぎ足すように。
 と助言していたみたい」 
 
 さすがの訪問看護師さんのアイデアだ。
 この方法なら、
 認知機能が保たれていた大原さんは
 大雑把な量を自分でも把握できたはず。

「ヘルパーさんや、
 週に1回くらい電話で話すらしい
 東京の娘さんに聞いてみたけど、
 大原さん自身も、水を汲みに行く手間が
 省けるから助かると言っていたみたい。

 あと、ヘルパーさんや看護師さんも、
 毎回ペットボトルに透明の液体が入って
 いるのを確認していた。
 大体、1日に1.5ℓは飲めていたみたい」

 となると、水分量としては
 十分だった可能性が高い。

 人が1日に失う水分量は
 約2-2.5ℓと言われているが、
 体内リサイクル分・食事から摂る分
 を除くと、飲料水としての必要量は、
 1-1.5ℓ程度とする研究が多いからだ。
 日崎探偵も同じ判断だった。

 次の確認事項は、食事内容。

「食べていたものに関しては、
 看護師さん、
 買い物担当のヘルパーさん、
 ケアマネさん、東京の娘さんに
 協力してもらったわ」

 1週間何を食べていたかを
 関係者全員で確認してみたところ、
 食べやすい小さい菓子パン、
 レトルトのおかゆ、
 カップめんなどが主だったそうだ。

 このあたりの手腕は名探偵の真骨頂だ。
 同じ患者さんを担当していても、
 各サービス間のやりとりは
 その都度の電話連絡か、
 自宅置きの共有ノート。

 当然、スピード感や統一性の薄い
 ツギハギの連携になってしまう。

 今回のように
 一定期間に同じ目的の為、
 遠方の家族さんを含め関係者が
 統一して動くことは珍しい。

 それこそ日崎探偵の様な、
 強力な旗振り役が必要なのだ。

「確認事項はあと2つ。
 クーラーの使用頻度については
 簡単よね松嶋先生?」

 不意打ちだったが、
 これは僕にも分かった。

「電気料金を確認したら
 良いんじゃないですか?」

「あら、正解!」

 嬉しそうに日崎さんが言った。
 電気料金の推移を見ると大原さんは、
 周囲が思っていたよりは
 クーラーを使っていなかった。
 どうやら訪問者がくる少し前に、
 毎回つけていた程度だったようだ。

「最初に松嶋先生が予想した通り、
 大原さんは【いい恰好しい】だった。
 年代・職歴・性格的には
 クーラーに頼りたくない人だけど、
 炎天下の中、足を運んでくれた人たち
 の為にはちゃんと使う人だったのね。

 あと、毎日のようにテレビで
 節電節電って唱えているし、
 いくらその後
 無理はしないでって言われても、
 大原さんみたいに
 【自分が我慢すれば皆が助かる】
 発想の人は、我慢しちゃうのよ」

 これも納得だ。
 時代背景や教育の賜物なのか、
 自分の祖父母も含めて
 一定以上の年代では、
 男女問わずこういう傾向がある。

 この年代の高齢者は、
 テレビ以外情報源が無い人が多いし、
 チャンネルや番組が固定し易い
 ことも、拍車をかけているだろう。

 毎日お馴染みのキャスターや
 ひいきのコメンテーターが、
 図や映像なども交えて伝える情報は
 大原さんのような人たちにとって、
 抜群に説得力があるはずだ。

 さて最後は〈水〉の正体だが。
 これについては、僕にはいまいち
 意味が理解できていなかった。

 腑に落ちない顔をしていた僕に、
 日崎探偵が唐突に言った。

「松嶋先生は【お酒】飲む人?」

「お酒ですか?
 飲めるのはビールくらいですかね。
 焼酎もワインも好きですけど、
 アルコールに弱いんですよ僕」
 
「先生、同じ質問を患者さんに
 してみたことありますか?」 

 突拍子もない質問だったが、
 僕は記憶を探ってみた。
 訪問リハビリ歴は当時で9年目、
 経験は豊富だったのだ。

「ありますね、何回もあります。
 そういえば、よくすれ違いが
 起こるんですよこの質問」

「それは、
 どんなすれ違いですか?」

「100%じゃないですが、
 80代以上の方にとっての【お酒】って、
 日本酒のことだけみたいで。
 お酒は飲んで無いけど、
 ビールや焼酎は飲んでました
 って方が何人かいました・・・」

 話し終わった瞬間、はっと閃いた。
 もしかして今回の〈水〉にも、
 同じことが言えるのではないか?

 ようやく合点がいった僕の顔を見て、
 名探偵はにこりと笑い、軽く頷いた。

「私自身もそうだけど、
 共通言語だと思っていたけど実は違った、
 なんてことは、よく有ること。
 特に年代や出身地が違うと尚更ね。

 今回の最大の落とし穴はここにあった。
 今までの検証を積み重ねていくと、
 大原さんが常飲していた【水】の正体が
 松嶋先生にも見えてこないかしら?」

 おっしゃる通り。
 駆け出し探偵の僕にも何かが閃きそう
 だったので整理してみた。
 日崎探偵の調査で明らかになったのは、

 一つ、
 根拠の曖昧さと水分摂取量から、
 大原さんは脱水とは言い切れない。

 二つ、
 クーラーの使用頻度から推測すると、
 水分摂取量はむしろ多い可能性さえある。

 三つ、
 食事内容は主食・炭水化物に偏っていた。

 四つ、
 主な訴えは、喉の渇き・だるさ・しびれ。

 これらから導き出される〈水〉の正体は、
 もしかすると・・・。
 理学療法士としての知識と経験から
 見えた答えを、僕は勢い込んで告げた。

「大原さんの訴えと
 一番合致する身体状況は高血糖です!
 〈水〉は透明のスポーツドリンクだった!
 食事も菓子パンなどが増えて、高血糖対策
 になりうる食物繊維系はほぼなし。

 暑さやだるさ、
 もともとの生活を考えると、
 もうひとつの高血糖対策である運動も
 極めて少なかったでしょう。
 大原さんは脱水や食細りになるまいと
 頑張った結果、内服薬で抑えきれない程
 血糖値が上昇してしまったんですね!」

「ご明答よ、松嶋先生。
 かちこちの頭が柔らかくなってきた
 じゃない、私安心したわ」
 
 柔らかな拍手と共に
 日崎さんが嬉しそうに言った。

 名探偵に褒められて悪い気はしなかった。
 だが沢山のお膳立てがあっての正答だ。
 僕ひとりではそもそも、
 確認すべき事さえ思いつかなかったから。
 

 積み重ねた事実から
 僕と同じ推論を速やかに導き出し、
 【水】の正体を突き止めた名探偵は、
 依頼人である看護師さんに連絡し
 この一件は鮮やかに解かれた。

 かくしてその真相は、
 助言を受けた看護師さんが直接ご本人に
 確認することではっきりしたそうだ。

 テレビで、夏場の水分補給は、
 ただの水ではダメです と繰り返し
 放送していたのが決め手だったらしい。

 看護師さん達にただ【水】としか言って
 いなかったのは、
 夏場の水はスポーツドリンクが
 当たり前と思っていたから。

 訪問者が、水分確認用のペットボトルの
 中身に気がつかなかったのは、
 白濁系でなく透明系の銘柄だったからだ。

 普段は買い物だけのヘルパーさんが
 ベランダのゴミ袋を確認したところ、
 スポーツドリンクの空き容器が沢山。
 無くなると自分で、
 近くの自動販売機で買っていたようだ。

 こうして、
 脱水よりも高血糖疑いであると聞いた
 大原さんは、看護師さんの助言を
 受けて、さっそく〈水〉を替えた。
 
 また、野菜やお肉は歯の関係で
 食べにくいので食物繊維が入った飲料や
 アミノ酸ゼリーを飲むようになり、
 みるみる元気になっていったそうだ。

 
 この依頼の顛末を聞いて、
 僕は改めて日崎探偵の能力を思い知った。
 ただ単に知識や推理力が凄いのではない。

 関係者を上手に巻き込みつつ
 様々な視点からの情報を集める力と、
 それをパズルのように組み合わせて
 素早く仮説を立てる力。
 
 そして、感情に振り回されず、
 仮説と検証を徹底的に繰り返し
 論理的に結論を出す力。

 それら全てを、
 日崎マイ子という人物の人となりが、
 柔らかく包み込みまとめ上げている。

 こんな人には、
 今まで会ったことが無い。
 何て凄い人なんだろう。
 僕はそう強く思い始めていた。

 リハビリの最後、
 寝室から事務所の机前までの
 約20mを一歩ずつ、
 自分の体の動きを確認するように
 歩く日崎さんが、
 より大きく、輝いて見えた。

「あ、そうだ。
 日崎さん、次は秋の土用ですよ。
 体調に気をつけて下さいね」

 いつぞやの話以来、
 ひそかに五行説や24節季などを
 調べていた僕は、
 日崎さんが事務所の椅子に座る手前で、
 なるだけさらりと言ってみた。

 座るのを止めて、ふわりと立ち止まった
 日崎さんが振り返り、
 少し驚いたように僕を見つめた。

「そう・・・松嶋先生、
 あなたはやっぱり
 変化を楽しむ人なのねぇ」

 何とも言えない表現だったが、
 顔や声は喜んでいるようにも見えた。

 この時僕は一瞬、名探偵・日崎マイ子と
 同じ土俵に立てた気がした。
 
 それがどんなに端っこであっても
 同じ領域に足を踏み入れたような感覚に、
 僕はとても誇らしくなった。

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