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第2話『名探偵と盗まれた財布』

 日崎さんと出会ってから最初の春、
 僕の記憶に最も残った案件を
 以下に紹介する。

 依頼主は、訪問ヘルパーさん。
 依頼内容は、
 利用者である70代女性の鈴木さん(仮名)
 の物取られ妄想について。

 この妄想は、
 認知機能が低下した時の症状の一つ。
 財布・鍵など大事なものを失くした時、
 自分が失くしたのではなく、
 他人が盗んだと思いこんでしまうものだ。

 鈴木さんは、老人性認知症と診断されて
 おり記憶力にやや難があるが、
 日常の家事は自立しており1人暮らし。

 歩ける範囲内にスーパーが無く
 家族が動ける時間も限られていた為、
 月曜日だけヘルパーに買い物を頼んでいた。

 毎回ヘルパーが訪問し目的を告げると、
 冷蔵庫を見ながら
 買い物リストを作ってくれるが、
 ヘルパーが買い物から帰ってくると
 リストを書いたことは忘れており、
 よく私の欲しい物が分かったね!と驚く。

 直筆のリストを見せると、
 確かに自分の字だと不思議がる状態。

 それでもヘルパーの顔や、
 希望の品を買ってきてくれる人
 ということは覚えており、
 当初は特に問題は無かったようだ。

 約半年前、
 前任のヘルパーが退職した為、
 今回の依頼主が担当になった。

 担当変更後しばらくは
 前任から引き継いだ時と同じ様子だったが、
 1ヵ月後から急に物取られ妄想が強くなり、
 依頼主が買い物に行った翌日に
 必ず事業所に、

「おたくのお手伝いさんが
 財布を返さない!」

 と、普段とは違う強い口調で
 電話をかけてくるようになってしまった
 のだそうだ。

 依頼主は急な変化に戸惑いながらも毎回、
 自分は絶対机の上に返したと
 伝えるものの、信じてもらえず。
 電話はいつも、

「とにかく、
 財布が無いと困るから返して!」

 という言葉で切られた。

 しかし、水曜日以降に電話は無い。
 依頼主が電話をかけて尋ねると、
 財布はちゃんとあると言い、
 苦情電話の件はすっかり忘れている。

 また1週間後に訪問すると笑顔で、
 今日もお買いものお願いします と、
 何の躊躇も無く財布を差し出す。

 依頼主は、事業所の同僚や責任者、
 鈴木さんの家族、かかりつけ医にも
 相談したが皆一様に、
 認知症が少し進んだだけ、
 実際のサービスへの拒否はなく
 苦情とも言いきれない。
 と言うばかりで問題視してくれない。

 それでもその状態が3ヶ月以上続くと
 依頼主は耐えられなくなり、
 担当変更を願い出た。

 昨今ヘルパー事業所はどこも人手不足。
 鈴木さんの自宅がやや辺鄙な立地にあった
 ことも有って責任者が慌て、
 噂のふくせん探偵に一度相談をと助言。

 依頼主は半信半疑だったものの、
 とにかく話を聞いてくれるだけでも
 楽になるかと、電話をかけてきたのだ。

 「さてこの依頼、
  松嶋先生ならどうします?」

 日崎さんにそう聞かれたので
 次の訪問まで1週間ほど考えてみたが、
 出した答えは、
 財布で無く現金を預かるようにする こと。

 それを伝えると日崎先生は、

「それも一つの解決策だけど、
 それだけでは探偵失格ね」

 と優しく落第点をくれた。

 そして、
 いつも以上に姿勢と声を整え、
 【探偵の心がまえ】を教えてくれた。

「探偵とは、
 当事者も気づかないほどの
 奥深い真実まで解き明かし、
 明かりを灯すもの。

 これはわたしが娘時代に出会った、
 本物の探偵さんの言葉。
 私はその人が大好きだったから
 ここを立ち上げようって決めた時、
 相談所じゃなくって探偵事務所にしたの。

 だからこの依頼にも、
 探偵として全力で臨んだわ」

 そう言うと日崎さんは、
 自分が辿りついた真実と
 その後の顛末を聞かせてくれた。

 依頼主からの電話の後、
 日崎さんがまず始めたのは
 より多角的な情報を集めること。

 同じ話を最低10人、
 可能であれば100人からでも
 聞くというのが、
 彼女が昔から探偵として
 最も重要視する方法論だそうだ。

 日崎さんは、
 さっそくヘルパー事業所に電話をかけ
 責任者や同僚からも、
 依頼の件・鈴木さんの人となり・家族構成
 を聞いた。
 
 また、それに加えて
 依頼主の性格や普段の働きぶりも聞いた。

 そして、
 情報を整理し幾つかの仮設を立てた後
 もう一度依頼主に電話をかけ、
 確認したいことがあると協力を頼んだ。
 日崎さんが確認したかったことは、

 一つ、
 依頼主と鈴木さんが認識している
 財布は同じものか?

 二つ、
 依頼主が訪問した時間から
 水曜日までに
 必ず起こることは何かなかったか?

 一つめは、
 鈴木さんには悪いが、
 依頼主に別の財布を用意して貰い、
 買い物の前後で何度か試して貰った。

 鈴木さんは、
 昔から使っているという
 自分の財布をしっかり認識していた。

 鈴木さんに限らず、
 短期的な記憶力が弱ってしまった人でも
 昔のことは良く覚えていますからね。
 と僕は言いたかったが、
 そんなことくらい日崎さんは百も承知。

 ただ最も可能性が高いと思っていた
 仮説の立証に必要だから、
 わざわざ確認したのだそう。

 二つめは、
   鈴木さんの家族に連絡を取ることで
 判明した。

 鈴木さんには、
 亡くなった夫との間に1人娘がいた。
 娘さんは結婚してから、
 鈴木さんのお宅から車で30分程度の
 住宅街に住んでおり、
 フルパートとして毎日働いていた。

 鈴木さんにとっては孫にあたる息子
 が1人居たが、
 大学進学と共に家を出ていた。
 ところがこの息子が、
 大学卒業後も就職先が決まらず、
 1年ほど前に家に戻ってきていた。

 鈴木さんは、
 唯一の孫が帰ってきてくれたのが嬉しく、
 定期的に自宅に呼んでいた。

 おばあちゃんっこだった孫も
 喜んでマメに通っていたらしいが、
 そのうち小遣い稼ぎのアルバイトや
 そこで知り合ったガールフレンドと
 遊ぶことに忙しくなって、
 足が遠ざかっていった・・・。

 ここまでは鈴木さんの娘さんに
 聞いた話ね と、
 日崎さんはそう言って
 一旦話を終えると再び僕に尋ねた。

「どうやら、
 鈴木さんのモノ取られ妄想が
 始まったのは、このお孫ちゃんが
 会いに来てくれなくなってからみたい。
 さあ、松嶋先生。
 この先に明かりを灯してみて?」

 正直僕は困った。
 答えが思いつかなかったのでは無い。
 日崎さんがほとんど
 答えを言っているのにと思ったからだ。

「まさしくそれが答えでしょう。
 降って湧いたような楽しみが
 また急に無くなったことがストレスで、
 鈴木さんの認知症が進行してしまった。
 認知症の患者さんは人一倍、
 環境の変化に弱いと
 文献で読んだことが有りますし」

「ふふふ、
 やっぱり先生は頭が固いわねぇ」

 自信を持っていた答えに
 さらりとダメ出しされ不満げな僕に、
 日崎さんは穏やかに真相を話してくれた。

 日崎探偵は、
 鈴木さんの娘さんの話を聞いても
 僕のように納得はせず、
 最後に鈴木さんの孫に連絡を取った。

 イマドキの若者に電話をかけるなんて
 僕なら大いに躊躇うが、
 日崎さんに言わせると、
 イマドキの若者という生き物は
 100%携帯電話を持っていて
 常に確認する習慣があるから、
 連絡が取り易いとのこと。

 その言葉通り、孫はすぐに電話に応じた。

 最初は怪しんでいたが、
 日崎さんが鈴木さんの名前を出し、
 今回の依頼内容とそれについての推理
 を述べると、
 次第にばつが悪そうな様子になり、

 一つ、
 行く度に、
 鈴木さんからおこづかいを貰っていた。

 二つ、
 足が遠のいたと
 母親に思われていた期間も、
 バイトが休みの毎週火曜日に通っていた。

 三つ、
 その期間は財布ごと借りていた。

 という事実を話してくれたそうだ。
 ちなみに財布には、
 毎回1万円しか入ってはいなかったが
 財布自体も見栄えが良く、
 その日の内に返しに行くと
 すっかり忘れていた。

 それで、ついつい
 毎週借りてしまったのだそうだ。
 
 鈴木さんが孫を喜ばせようと、
 とうとう財布ごと渡すようになってしまい、
 孫もちょうど遊びに行くのに
 鈴木さんの財布があると大変助かった。

 ここまでは分かる。
 しかしどうして鈴木さんは、
 ヘルパーが盗ったと思いこみ
 苦情電話までしたのか?

 一向に要領を得ない僕の顔を見て
 日崎探偵は、
 しかたないわねぇという顔で笑い、
 その先の真実に明かりを灯していった。

「今の鈴木さんにとって、
 病前に培った記憶だけが確かな土台。
 それ以外は、
 しゃぼんみ玉みたく
 気まぐれに消えてしまう不安定な世界で
 毎日必死に生きてる。

 自分の娘だけじゃなく、
 ヘルパーさんやお孫さんのように、
 1週間以内に定期的に訪れる人のこと
 は覚えていたけど、
 財布を貸したことは忘れちゃう。

 けれどふと気が付いた時、
 大切な財布がいつもの場所に無い
 のは分かるのね。

 自分でも忘れてしまうことには
 薄々気がついているけど、
 それを認めるのはとっても怖い。
 だから、
 自分が失くしたなんて論外。
 だからといって、
 娘さんや可愛いお孫さんが犯人
 というのも優先順位は下がる。

 だってそれは、
 自分の拠り所を根底から
 ひっくり返すことと同じだから。
 
 残る容疑者は、
 買い物をしてくれるお手伝いさん
 になっちゃったのね。

 関係者皆、鈴木さんの認知症が
 進行したと思っていたようだけど、
 鈴木さんの認知機能はむしろ
 お孫さんと関わることで活性化していた
 可能性さえある。
 
 鈴木さんは記憶力に凸凹があるけど
 依頼主の名刺を見て、事業所に電話を
 かけることだってできた。

 認知症で記憶障害があるといっても、
 その在り様は人それぞれだから、
 決して全てを一様に考えてはいけない。
 
 そもそも、
 ちゃんと評価をして、
 当人や家族にちゃんと説明するべき専門家
 であるべき医者や看護師、リハビリの人達が
 簡単に【認知症】という言葉を
 使いすぎているように感じるの。

 人の認知機能にどれくらい種類があるか、
 どうやって評価するのか
 皆、学校で勉強したはずでしょう?
 【認知症】なんてあまりに大雑把過ぎるわ。
 
 認知症だからって何もかも分からない?
 ストレスですぐに悪化する?  
 そんなのナンセンスだわ。

 その人のそれまでの人生と
 何らかの脳機能障害によって形作られた、
 その人だけの認知機能の凸凹が
 必ずあるはずでしょう?」

 日崎探偵の指摘は、
 僕にさえ思い当たりが多すぎて、
 その軽やかな口調と相反し
 とてもとても、重たく響いた。

 日崎さんが鈴木さんのお孫さんと
 話して以降、
 彼は鈴木さんから財布を借りるのを止め、
 不安にさせてゴメンと謝った。

 もちろん鈴木さんは
 きょとん としていたらしいが、
 それでも良いから と日崎さんが勧めたのだ。

 例え明確な事象として
 記憶に残らなかったとしても、
 「ばあちゃんゴメンな」に込められた
 反省や愛情は必ず伝わるのだそうだ。

 それ以来、
 鈴木さんの物取られ妄想はピタリと止み、
 後日、依頼主から驚きと感謝の電話が
 あったそうだ。

 話の締めくくりに日崎さんは、
 今回の件を不可解にしたのは
 関係者それぞれの思いこみだと言った。
 
 依頼主のヘルパーは、
 突如始まった鈴木さんの物取られ妄想
 につられて認知症状が進行したと思いこみ、
 事業所の管理者や同僚、かかりつけ医も
 それが正しいと思いこんだ。

 鈴木さんの娘さんは、
 自分の息子が度々訪問していたことを
 知っていたが、関係無いと思いこみ、
 孫は祖母が全て忘れてしまうと思いこんだ。

 全ての思いこみは、
 そう遅くないうち鈴木さんに
 【認知症が進行してしまった】
 という虚像を押し付ける事になっただろう。

 そしてその虚像は、
 雪が降り積もるごとく静かに
 鈴木さんを取り囲み、
 その通りに変質させてしまったかもしれない。
 
「人の言葉や行動には、
 目に見えないけど強い力があるの。
 だからこそ、皆で気をつけなくちゃいけない。
 松嶋先生もきっと何かしらの『思い込み』
 があったんじゃないかしら?」

 日崎さんのその日最後の言葉は、
 僕の胸にするりと刺さって
 しばらく抜けなかった。

 今思えばこの時が、
 僕と【名探偵 日崎マイ子】との
 本当の出会いだったのだ。


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