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教育について考えた

お疲れ様です!あきただです!

そしてとても久しぶりです!
と言っても2週間ぶりぐらいですかね笑
GW期間から今後の自分はどうやって生きていくのか
ということをゆっくりと考えたお休み期間でした!
この2週間は本当にやるべきことだけをやってよかったと思えました。
そこで教育のことも一緒に考えてみたんですね。
それを今日は言語化していきたいと思います。

現行教育の終焉〜50年後の日本はどうなる!?〜

50年後の未来なんて、考えたこともないよ〜と思いますよね!
私もそうなんですよ、そもそも予測したところで数万分の1ぐらいの確率で未来予測なんてできっこないから無駄じゃね?といまだに思います。
ただ色々とファクトを整理しつつ未来を「考える」ことはできるかなと思っていて、今回はそれについて考えてみました。

そして私の考えは、(巷で騒がれている答えと同じで)日本ってこのままだとやばいよねという答えに辿り着きました。

その答えは教育にあるのではないか
という結論に至ったわけですね。だから教育について考えました。


教育の問題がどこに隠れているのか

一応私も義務教育を終えた身として、学校教育がどんな感じなのかは肌で感じてきました。
結論からいうと、現行教育の最大の問題点は「選択肢がない」ということではないでしょうか。

どういうことかというと、文字通り選択肢がないのです。
それは学校に「行く」か「行かないか」というだけでなく、問題の解き方、字の書き順、字を書く範囲の収め方、勉強の進め方などなど、おそらくかなりの制約の中で義務教育を過ごす人が圧倒的に多いのではないでしょうか。

ここで私が言いたいのは、
「バッタを蓋のついたバケツに入れて、蓋をするとバケツをジャンプして越えることができなくなる」ということと同じです。

ガチガチの「制約」という箱の中で、今後の価値観に大きく響く義務教育の期間を過ごすと、本来は箱を余裕で飛び越えられる人間が、箱の範囲内での将来しか描かなくなる

ということなのではないでしょうか。
だから日本人はルールを守る人間側の人間になってしまう。


ルールを作る側が勝つに決まっている

ということで、私たち日本人は、どんなくだらないルールも「遵守する」ということを義務教育の一つとして学びます。
(これが義務教育の真の目的なのかは知りません笑)

一方、海外の人たちは現代に合わないルールなら躊躇なく変えるべきという価値観を持っているそうです。
その違いを象徴するのが、スポーツの世界なのではないでしょうか。

日本はルールを守り、その中で結果を出そうとしますが、
スキージャンプしかり、柔道しかり、日本が強いと言われる部門で悉くルールを変えていってますね。MLBでも「オオタニルール」なるものが取り入れられたり、NBAではゴールデンステイトウォリアーズの#30カリー選手のために「4ポイントラインを作ろう!」という話が出たりと、ルールが適切なのかどうかを判断し、躊躇なく変えるということをやってます。

こういったことがビジネスの世界でも起き、日本は連戦連敗、経済減退しお先真っ暗という状況なのではないでしょうか。

最後に(この問題に向き合わねば)

教育の問題については、もっといろんな意見が出てくることでしょう。
そして私も一つ一つの意見を聞き、議論していきたいと考えております。
どれも間違ってないと思いますし、それを考えることが日本の将来的な問題解決につながると思います。

当たり前を疑うこと
それが本当にいい道なのかを疑うこと
日本人は性善説で考えるいい民族だと思うことも大いにあるのですが、
この問題に関してはまさに沖縄の「なんくるないさ〜」と似ていると思ってます。助けが来るのをただ待っているだけ、ほっといたら傷口が広がるだけです。
皆さんで一緒に考えていきましょう!

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