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なぜ冷蔵庫に食べようと思ったアイスが無いと腹がたつのか

よくあるんです。

うちは妻がアイス好きで、箱買いして常に冷蔵庫にはキープしています。妻は氷菓子系が好きで夏ならかき氷系ですが、冬場はあまり売っていないのでもっぱらガリガリ君なわけです。一方で私はというと、ハーゲンダッツなどの高級アイスか、チョコ系。つまり好みのタイプは全然違うわけです。

なのに、無いんです。

食べたい時に・・・。

そのがっかりの心のモヤモヤについて考えてみました。

期待を裏切られる

当たり前の事ながら、がっかりするわけです。

「楽しみにしていたプラスの未来が、成し遂げられないことで、そのプラスが無くなる。つまり0になることを損と捉える」

ということです。

よくある選択の問題で

・1億円が100%当たるクジ
・2億円が50%で当たるクジ
期待値は同じ「1億円」だけど、多くの人が100%当たるクジを引く
(追記:「プロスペクト理論」というらしいです。)

という、「損と捉える原理」というのがあります。

もともと無いものをポッともらえることについて、やっぱ無しよ!となれば損した気持ちになるわけです。もともとの棚ボタを期待しないってことが、穏やかでいられる理由ですね。

事前の情報との非合理性

つまり好みの話です。
スーパーで買う時に「どんなのがいい?」というのに、強いこだわりがあるにも関わらず、好まない方を食べちゃうってどういうこと?ということ。それなら「アイス全般好きだけど、特にこれ」って言ってくれたらいいのに。それは食べない、とか言っていたのに、実際は食べるってどういうことよ!ということなのです。

買って、冷凍庫に入れる時に、「これは誰の、これは誰が食べてもいいもの」と認識合わせをしたにも関わらず、それを破るという行為に

報連相が無い(配慮が無い)

家族なんでね、業務的な報連相はいらないけど、やっぱ情報の共有は必要なわけで。大きな問題はね、その「勝手にアイス食べちゃった事件」の日、帰宅前に私は

「何かスーパーで買っていくものある?」

と聞いているわけです。

にも関わらず、「特に無い」と返事。まず、上記のようなどれが誰のという意識合わせはできているので「食べていい?」と事前に相談されれば、もちろん良いわけです。聞かずに食べてしまって、「食べちゃった」と言われても報告もらえれば買って帰ったわけだし、「スーパーで買ってく?」と言う連絡の機会があったわけです。なのにその三段構えを華麗にスルーして、さらに俺が冷蔵庫を開けているところを見ても何も言わない。こっちから聞いてやっとテヘペロする。

こんなよくある家庭の事件の中で、深くビジネスや社会でもありうる事象を考える機会になりました。

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