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ゆりてまりは、ごてんまりの魅力をざっくばらんに語りたい!

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。

ごてんまりの活動をしていると、「ごてんまりは歴史と伝統のある素晴らしいものですね。これからも守っていかなくてはいけないですね」と言われることがあります。

さて、そう言う人がごてんまりの歴史に詳しいかというと、全然そんなことはなく「地域の伝統的な工芸品のようなので、とりあえず褒めるために言ってみた」くらいの感覚で言っていることが多いように感じます。
わたしは地域の伝統的な工芸品について、全員が「これは歴史と伝統ある素晴らしいもの。だから守っていかなくてはいけない」という結論にいたる必要は無いと思っています。
むしろ「歴史と伝統ある素晴らしいものだから守っていかなくてはいけない」という意見は、歴史的事実を直視することを避け、結果的に地域に受け継がれていた物事の魅力から遠ざかってしまう可能性があります。
最初から歴史と伝統ありきで考えないほうがいいと思います。

わたしはこれまで、地域の伝統的な工芸品であるごてんまりを作り、研究し広める活動を行ってきました。

ごてんまりについて調べていくうちに分かったのは、本荘のごてんまりには実はそれほど古い歴史がなく、むしろ新しいものであることです。
本荘のごてんまりは、昭和36年(1961年)に行われた国体がきっかけで全国的に有名になりました。
文献的証拠があり、はっきりと遡れる歴史がせいぜいこのくらいのため、まだ100年続いているという確証がありません。
そのため県の伝統工芸品にも指定されていないのです。


わたしは本荘のごてんまりに、それほど古い歴史がないことを知っても、とくにがっかりしませんでした。
調べていくうちに、それまで知らなかった新たなごてんまりの魅力に気づいたからです。
本荘のごてんまりは、左右と下方の三方に房の付いた手まりという、全国でもここだけの、それまでどこにもなかった新たな美を作り出しました。
この三方に房の付いた手まりは”本荘ごてんまり”と呼ばれていて、街灯のデザインに使われたりマンホールに刻まれたりするなど、市のシンボルマーク的存在になっています。
また由利本荘市では、昭和45年から毎年全国ごてんまりコンクールを開催しています。
手まりで有名な地域はたくさんあるのですが、全国規模の手まりコンクールが行われているのは、今も昔もこの由利本荘市だけです。

つまり、本荘のごてんまりには唯一無二の美を作り出した実績と、よそ者を排除しない自由で開放的な性格があることに気づいたのです。

わたしはごてんまりの独自性と開放性について大きな魅力を感じました。
由利本荘市をベースに活動していると、伝統とはかけ離れた、実に独創性あふれるごてんまりに出会うことがあります。



ゴテンマリ アクアパル

ギネスに載るほど超巨大なごてんまり(在:アクアパル)


花瓶ごてんまり

花瓶のごてんまり(在:カダーレ1階受付横)


サッカーボール  ビアン

サッカーボールのごてんまり(在:にかほ市スマイル内ビアン)


作り手はこんな風に各々好きなまりを作っています。
ごてんまりは本来自由なのです。


にも関わらず、「ごてんまりは歴史ある素晴らしいもの。だから守っていかなくてはいけない!」と思いたがる人が一定数います。
彼らの頭の中には多くの場合、今から100年以上昔の風景ーー江戸時代の奥女中たちが城の中で優雅にまりを作っている風景ーーがあります。
”ごてんまり”がそのまま”御殿鞠”という漢字に変換されることを思うと、御殿女中が作った手まりだからごてんまりなんだ、と考えたくなるのも分かります。
実際、市でも「御殿女中説」を20年以上公式見解としてきた歴史があるので、本気でそう信じる人がいるのはある程度仕方のないことかもしれません。

しかし事実をねじ曲げてしまうと、どこかしらに歪みが生じるのは当たり前のこと。
事実をねじ曲げたせいで、かつて”ごてんまり騒動”という、当時の市長や地元の新聞を巻き込んだ大騒動が起こりました。

この騒動の発端には、当時市の広報紙『市政だより』を担当していた木村与之助という人物が関わっています。
木村は自分が発掘してデビューさせた「本荘市の民芸品ごてんまり」を、「広田庵の木妙尼が伝えたもの」として位置づけたかったらしく、ごてんまり製作に関わったうち、木妙尼をルーツに持たないメンバーだけを意図的に排除して広報活動を展開しました。
国体終了後に記事として取り上げられたのは、豊島・大門母娘だけだったことと、事実が正しく伝えられていないことに抗議して斎藤ユキノ(旧名:田村正子)と児玉八重子(旧姓 石塚)が連盟で当時の佐藤憲一本荘市長に抗議文を提出しました。

このごてんまり騒動については、石川恵美子さんの「『本荘ごてんまり』の歴史と今日的課題」(『由理』第四号 2011年 本荘由利地域史研究会)が詳しいので、ぜひ読んでみて下さい!


地域の伝統的な工芸品について、あまりにも歴史や伝統ありきで考えると、前述した木村のような考えにいたり、妙な騒動に発展しかねません。

わたしのところに来て、ごてんまりを「素晴らしい!」と言ってくれる人の中には、「ごてんまりには古くて素晴らしい伝統や歴史があるに違いない!」とかたくなに思い込んでいる場合があります。
そういう人は自分の思いが先行するあまり、意外にごてんまりの歴史が浅い事実を受け入れてくれません。
そして何故か今では市にも「歴史ロマンを感じさせる説」として否定されている御殿女中説を持ち出して、「ごてんまりについて取材してきました!」とばかりに発信しようとするので、ついにはわたしがキレてしまい、取材自体が失敗することもあります。

本当に「歴史ある素晴らしいものだから守っていかなくてはいけない」と思っているとしたら、きちんと歴史を調べてからそう言うべきです。
もしかすると、待ち望んでいたような古くて素晴らしい歴史はないかもしれませんし、代わりに歴史以外の他の部分で、素晴らしい魅力が見つかるかもしれません。
調べた上でどんなところを素晴らしいと思うかは、その人の見方であり、その人の自由です。

そして「これは守るべき伝統だ!」と本気で思ったとしたら、それを具体的にどうしていくか考えていくことが大切です。
いくら伝統を守りたいと思っても、時代は必ず変わっていきます。

囲炉裏

こちらは昭和30年代のころの写真です。
女性3人が囲炉裏を囲んでごてんまりを作っています。
囲炉裏がどこの家庭でも見られなくなってしまったように、ごてんまりを部屋にぶら下げて楽しむシーンも、あまりメジャーなことではなくなりました。
今と昔では生活様式も大きく異なっていますから、昔ながらの伝統を100パーセント再現し守っていくなど不可能です。
だからこそ、守りたい伝統の取捨選択が必要です



具体的には、自分は地域の伝統的な工芸品についてどんなところに魅力を感じているのかをしっかり認識することです。
そしてその魅力を、今の時代に受け入れてもらうにはどうするかを考えていくことが、地域の伝統的な工芸品を今後も存続させていく策になります。

わたしはごてんまりについて調べてみて、その独自性と開放性について大きな魅力を感じました。
「ごてんまりは歴史と伝統ある素晴らしいものですね」と、まず結論ありきで褒めるよりも、まずはあなたがごてんまりのどこに魅力を感じたか、そこを話してみませんか?
杓子定規な褒.め言葉を言われるよりも、あなたの感じ取った純粋な魅力を教えてくれるほうが、わたしは何倍も嬉しいし、自然なことだと思います。





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