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アーティストになれるのはどんな人?

先日、大学のときの同級生Aちゃんからメッセージをもらいました。
彼女は地元でアーティストになり、今では大学で講師などもしているそうです。
研究会に参加するため訪れた秋田で、偶然わたしがごてんまり活動をしていることを知り、連絡をくれたとのことでした。

大学のときの同級生がいっぱしのアーティストになっているなんて、なんだか嬉しいですね。
学生時代を振り返ると、「作品を作ることが何よりの喜び!」という人がたくさんいました。
でもそういう人は不思議とアーティストにならなかったような気がします。
学生時代アーティスト活動にさんざん打ち込んだ人は、学校の先生になったり、学芸員になったり、画廊に勤めてキュレーション側にまわったりしていました。
授業以外では一つも作品を作らなかったわたしのほうが、今では作品を作る側になっているなんて、なんだか不思議です。

アーティストになった人とならなかった人にはどんな違いがあるのでしょう。
そう思った時に、ふと思い当たることがありました。
大学の時の授業のことです。
身体芸術の授業で舞踏のビデオを観たとき、わたしとそのAちゃんだけがニヤニヤワクワクしていました。
他の9割方の学生、はっきり言うとわたしとAちゃん以外の全員がドン引きしていました。
吐きそうな顔色をしている子もいました。

舞踏とは、秋田出身の芸術家・土方巽が作り出した、世界に通用する身体芸術です。
秋田が生んだ世界に通用する芸術のはずなのですが、見た目がアレだからか、地元秋田でもあまり積極的にPRされません。
※気になる人は舞踏や土方巽で画像検索してみてください。
多分わたしの言いたいことが分かると思います。

わたしは高校生のとき親から「あんな劣悪極まるもの」と言われ、見せてもらえませんでした。
でも、コッソリ見ていたから耐性があって、大学のときドン引きしないで見られたんですけどね。
高校生のときは、隣の高校の先生が舞踏をやっていたり、教育実習に来ていた大学生が土方巽の奥さんから直接指導を受けた経験がある人だったりして、そういう人にお話を伺っていました。
舞踏は、みんな表立って言わないけれど知っている人は知っている、当時はそんなアイコンでした。

アーティストになれる人というのは、もしかすると9割強の人が「気持ち悪い」と思ったり、目を逸らしたりするようなものに、面白さを感じてニヤニヤするような人なのかもしれません。
そう考えると、アーティストになる人間というのは非常にヤバい人たちですね。

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