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ごてんまりとジェンダー

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。

ごてんまり含めまりは「女性のもの」というイメージがありますが、歴史を振り返って見ると、その認識は必ずしも正しいものではないことが分かります。
平安時代に時代をさかのぼると、まり文化と言えば手まりではなく蹴鞠でした。
蹴鞠とは、10世紀頃の文献より確認できる貴族の間で行われていた、地面に落とすことなく、蹴り続ける遊戯です。
つまり、このときのまり遊びは貴族男性中心の文化でした。そして平安時代だけにとどまらず、江戸時代初期までは大人の男性もまりで遊んでいたようです。
1814-15年に書かれた『骨董集』という書物には、寛永、正保(1624-1648年)のころの風俗を表した絵として、男女四人で手まりをしている図が載っています。
江戸時代後期になると、『骨董集』にも「今の世に、正月女のわらわのもてあそぶ手鞠のはじめ詳ならず。」(今の時代、正月に女児のもてあそぶ手鞠がいつごろから始められたか不明です。)とあるように、手まりは女児が正月に遊ぶ玩具の定番となったようです。

秋田県由利本荘市で有名な工芸品「ごてんまり」に話を限ってみても、決して男性はまりに無関係な存在ではありません。
むしろ、「ごてんまり」という名前の創始には女性よりも男性の方がよっぽど深く関わっていますし、オリンピック選手や有名な芸能人へごてんまりがプレゼントされ、その様子がメディアで報道されるという重要な場面には、作り手の女性ではなく市長や由利本荘市市役所の某部長など、ごてんまりの作り手ではない男性が出てきます。

ごてんまり業界において、実は男性がかなり重要な役を担っているのです。
しかし「ごてんまり=女性」を強調した言説はよくあるのに対し、ごてんまり業界に男性の活躍を見ようとする意見はほとんど見かけません。

古の時代 ポスター

由利本荘市の観光協会が作ったこちらのポスターには、「古の時代にお城のお姫様に作られたものがやがて盛んになり、庶民にも広まったと考えられている手まりの文化は、女性の間で世代を超えて受け継がれてきました。」とあります。
由利本荘市のごてんまりはお城のまりとは関係ない(今のところ関係を証明できるものが一切ない)ので注意が必要な文章なのですが、とにかく「まりは古くからある」「女性のもの」だということを主張したいらしいことが分かります。

他にも、第52回全国ごてんまりコンクールをレポートしたこちらの動画には、本荘ごてんまりについてこんな説明がされています。

古の時代より、世代をこえて

(43秒部分)
「女性に人気となり生産が盛んに。」とありますが、実際には男性の作り手もいます。
今までごてんまり製作者に関する具体的な人数調査や性別調査が行われたことがないので、はっきりしたことは言えないのですが、実感として女性の作り手が多いというのは確かにあります。
しかし具体的な調査が行われたことがあるわけでもないのに、「ごてんまり=女性」のイメージが強く浸透しているということは、それだけ誰も実際のデータを見ずに、思い込みだけでそう語っているということの証でもあります。

ごてんまりの展示風景によくある、作品名だけでなく製作者名、展示の責任者名すらもない展示風景が、ごてんまりに関する情報を不明瞭にさせ、もともと人々が持っている「ごてんまり=女性」のイメージを増幅させているのかもしれません。

なぜ男性の存在は、こんなにも無視されてしまうのでしょう。
わたしは不思議に思います。

このnoteを読んで、「ごてんまりって、女性のものじゃないの?」と驚いた方は、ぜひ今月行われる第53回全国ごてんまりコンクールにいらしてください!!
ふだん製作者名も作品名も明記されずに展示されるごてんまりですが、年に一度の全国ごてんまりコンクールだけはそれがオープンになります。
きっと、「こんな人もいるんだ」「こんな地域からも出品されているんだ」と、びっくりすることがたくさんあると思いますよ。
わたしも作品を出品しています。
ぜひ、たくさんのごてんまりを見に来て下さいね。


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