かつて東京で自分を見失った日々と、その理由。そして今。
世界を巡って見たいものを見て、やりたいことを叶えていた私ですが、その後実は5年間ぐらい、自分を見失っていた時期がありました。自分に合わない環境と、世界を巡っていたからこその人間関係の経験値の低さに少なからず起因していたように思うので、そのことについてちょっと書いてみたいと思います。
まず私は自然を未来に残すことに繋がる仕事がしたいと思っていましたが、当時はあえて自然から遠い都会で、自然と人をつなげる仕事に就きました。それはそれで後悔はありません。ここでの経験がなければ、今の仕事に興味を持つこともなかったと思います。
けれども、あの仕事一辺倒で閉じられた世界の中というのには、かなりやられました。その仕事に対する経験もないままに入ったので、仕事を覚えながら仕組みを構築して店のマネージメントもする一方で、体育会系の人間関係の中でやっていくのは大変でした。
それでもその仕事を続ける中で、会社の中で認められることが自己肯定に繋がり、競争に必死になり、四六時中仕事のことを考えるようになりました。もちろん休みの日もメールチェックと返信は欠かしません。
私は競争が苦手なのでそんな人生が楽しいはずもなく、早く結婚して仕事を辞めたいと願い、当時の彼に依存しはじめてしまいました。
それでまたその当時の彼というのが、なかなか問題児だったのですが、結婚したい一心の私は目を瞑って合わせていたんですね。
結果、見事に自己肯定感がなくなり、好きだった音楽も映画も何も楽しめず、本当に日がな1日携帯をチェックしてはぼーっとする休みを過ごしていたんです。楽しくないというか、彼のことと仕事のことばっかり考えて、目の前のことに全く集中できなかったんです。
これはとても衝撃でした。やりたいことを叶えてきた自分だけは依存しないと思っていたんですけどね。人は環境に染まるのだなと身をもって実証してしまいました。
その後、わずかに残っていた理性で彼とはお別れし、結婚という希望を失ったまま仕事は続けましたが、人間性に問題ありの方々に囲まれてなかなか苦労をしました。女性に手を出す人やら、お金に手をつける人やら、マウント合戦やポジション争いやら…。
本当に今思い返しても、どうしてあれだけ癖のある人たちに囲まれていたのか…。それは私にも理由があったのだと思います。その理由はふたつ。ちなみに、そういう人が集まりやすい会社だったというのは大前提です。
ひとつめは、人間関係の経験の少なさです。きっと大体の人は20代のうちに社会で沢山の人と触れ合い、人との距離感や人を見る目を養うのでしょう。ただ私はその20代の3分の1を海外滞在に費やしました。
結果、ひとりひとりとの触れ合いは短期的なものであり、かつ、世界観の似た人たちなので話が合いやすかった。だから会社に入って世界観の違う人たちとのズレに戸惑いながらも、真っ向から向き合おうとして疲弊したんだと思います。
ふたつめは、私が正直者すぎて、コントロールしやすい人間だったからです。
これはもう本当に自己肯定感の低さなのか、純粋すぎるのか、あほなのか、誰だって根底は良い人で、その考えや行動には理由があるはずだと理解しようとしてきたんですよね。
だけど相手は私の理解など求めていませんでした。分かりやすい行動をする私を、自分の都合の良いように使っていたのだと思います。
その人をどうにか理解しようとして、でも理解ができなくて、自分の正義とは反して違和感に苦しむ。それでもその人の優しさを盲目的に信じて結果尽くす形になり、そういう私の態度を意識的にも無意識的にも察知して、利用する人たちが周りに寄ってきたのでしょう。
けれども当時の私はそんな風には思わず、せっせと頑張って消費して自分を見失っていったのです。
世界旅をして素晴らしい経験値を得た私ですが、人間関係をうまく乗り越える経験値が足りていなくて、こうして良くない方に染まっていったんですね。
途中で限界を迎えて自分がおかしくなる前にと、転職をしました。鬱病になる前に、正社員として妥協せずに転職することが当時の私の目標であり、ちょっとした仕返しでした。
転職先はずっと気になっていたけど、友人や家族と離れるのは嫌だな…と選択肢から除外していた場所です。いわゆる地方移住です。こんなに辛いことが続かなければ、この決断は出来なかったと思います。とにかく当時は怒っていたし、悔しかったし、苦しかった。その負の感情がうまいことエネルギーになったようです。
そのおかげで、今は好きなものに囲まれていて、無事に人生は好転。今となってはその苦しみの全てが経験値として蓄えられて、優しさは無闇に使いませんし、おかしいなと思う人がいたら関わりません。
今では好きだったことを楽しめるようになり、昔からの夢もいくつか叶えることができて、毎日満ち足りた生活を送ることができています。
あの経験は全て確かに私に必要なものでした。物事は一回悪くなってから、良くなるんだと思います。起承転結の転のない物語はありません。転があるからこそ、壮大なラストを迎えることができるんです。きっと。
東京という地がそうさせたのか、あの会社が特殊だったのか。どちらもだとは思います。東京という地で生き抜けなかった自分の弱さも時には悔しくなります。
でも自分の人生を楽しむことが、私の一番やりたいこと。限りある時間です。自分を喜ばせながら、過ごしていきたいものですね。
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