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偶像崇拝をなぞる

誰かの何かになりたい。いつからかそう思うことが強くなった気がする。でもそれは人を助けたいだとか、夢を導く存在になりたいだとか、そんな高尚なものではなくて。

きっと、頭の中に『確固たる自分』というものをうまく描けないから、誰かに勝手なイメージ像を作ってもらいたいだけなんだと。勝手なイメージ像を、勝手になぞっていれば、勝手に勘違いしてくれる。と、勝手に勘違いできる。

何者でもなければ期待を裏切ることはない。不定形でいれば誰かとぶつかることもない。「自分にしかない生き方や理想を持て」という考え方もわかる。

けれど、何かを象ったら壊れるときがきてしまう。象った道を外れた瞬間に途方もない劣等感に苛まれてしまう。『自分』なんかなくても、自分を『他人じゃない』と思えればそれでいい気がする。

でもそれを手放しで良しとしているわけではなくて、今はその『勝手』をなぞることしかできないけど、いつか「これが自分だ」と言える何かが見つかったら、そのときは――

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652