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世界の子供たち ~カンボジア編~

カンボジアは、私が最初に外国旅行で、旅をしたいと思って旅をした国だし、みんな優しくて、大好きな国だ。


アンコールワットがあって、ここは、1日中見られる。私は1週間、ずっと通い続けた。遠くから見た全体も綺麗だし、細かい壁画も、いろいろな物語があり、見てて全然飽きない。


ところどころ4面に施された、神様の顔も、迫力があり、見るものを惹きつける。


カンボジアの人たちは、本当に優しい。カンボジアの旅行に一緒に行った友人が足に大きな怪我をした。そしたら、カンボジアの方々は、大人子供かかわらず、助けてくれた。


「お兄さん、安いよ!」後誘ってきた売り子の子たちが、足の怪我に気づき、すべての商売を一旦中止し「うちのおばあちゃんのところに良い薬がある」とか「うちの店来てくれたら消毒するよ」とかとにかく助けてくれようとした。


「大丈夫だよ。ありがとう。」と言って去ろうとすると、だいぶ遠くなってから、「あ、お兄さん!安いよ買ってって!」今更ながらに思い出した売り言葉、本当に、優しく、純粋な子達だった。


寺院に寄った。寺院には多くのところで、骨壷の塔があった。中は透けていて、頭蓋骨が積まれている。


その中には、その村に住む子供たちの父親や、お兄さんの骨が入っているそうだ。よく見ると、村には女性か子供、青年しかいない。


この国には悲しい歴史がある。ここで多くは語らないが、多くの男性が内戦の中で亡くなった。


この国の人たちは、痛みを知っている。だからだと思うが、3·11の時にもたくさんの救援物資を届けてくれた。日本の終戦時にもいち早く救援物資を届けてくれた国の1つだ。 


痛みを知っているからこそ優しい。人の痛みがわかるというのは、本当に尊いことである。


ーそれでも、子供たちは生きていかなくてはならない。多くの子たちは、「お前たちは生きていくんだ」と伝えられ、託されている。母親たちが伝えているのだ。


寺院にある学校には、大人の教師はいない。中学生位の子が教師役となって小さい子に教えている。みんな助け合いだ。


その子たちに何が欲しいか聞いてみた。私はてっきり、お金か食料を言うものだと思っていた。彼らの1人が即答「文房具と日本語の辞典が欲しい」


彼らは、文房具と日本語の時点で、日本語を勉強し、日本人にものを売りながら成長し、大人になったら日本の企業に勤めたいそうだ。


そういえば、この国から多くの看護師が日本に働きに来ていると聞く。きっと彼らのように夢を持って日本に来ているのだろう。


私はものを売る売り子と、このやりとりをした。ものを買う。値段の交渉してるときに、彼らは日本語がどうも遅い感じだったので、英語で交渉しようと持ちかけた。


彼らは、ネイティブ並みのスピードで英語をたたみかけてきた。私は即座に「やっぱり日本語で!」と言った。彼らはまだ、5、6歳ほどの少年たちであった。


彼らは幼い家に、貧しいために家を出され、大人まで、ものを売って、何とか生きていかなくてはいけない。そのために身に付けるのが英語と日本語。


それで、辞書を欲しかったわけだ。5、6歳ほどで既に母国語を含めた3カ国語を話せないと、生きていくのに苦しい。彼らは必死だった。


優しくて強いカンボジアの子たち。協力していけると、本当に頼もしいが、現状のまま育って、戦ったら、交渉では日本の子たちはカンボジアの子たちに到底かなわないだろう。

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