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今さらですが、読書の秋(田柴子)⑭ 石原三日月さん

「勝手に誰かのお話または記事を読む月間」14本めです。

先日いったん中断いたしましたが、少し時間もできましたので、ゆるゆると再開したいと思います。

さて本日は、少し真面目に創作論?などを書いてみます。
少々長くなりますので、ご了承くださいませ。
それでは、この方のこの記事です!

https://note.com/mikazukistone/n/ne29e5cf045f0?sub_rt=share_pw

石原三日月さんです!
第1回でご登場いただいた霜月透子さんと同様、石原さんも過去に坊っちゃん文学賞の佳作を3回も受賞なさった方です。私はこの方の「非日常がすんなり日常化している」世界観が大好きなんですね。
コンビニがごく普通に浜に流れ着いたりとか、家が遊園地のゴンドラにちんまりぶら下がってたりとか。

ショートショートという分野については様々な定義がありますが、田丸雅智先生のお言葉によると
①短くて不思議な物語で ②アイデアとそれを活かした印象的な結末のある物語
ということだそうです。
私にとって石原さんは、たらはかにさんと並んで、まさにそんな感じの代表選手でした。

ところが石原さんは、記事の中でご自身では「奇抜なアイデアや斬新な設定」を用いている自覚はない、というようなことを書かれています。

おそらく、私は現実を原寸大で捉えることが苦手なのだろうと思います。仮定の針を目一杯振りきってみたり、一番遠くにありそうな異質なものをぶつけたりしないと、世界の有り様をうまく把握できないみたいです。

だからどんなに奇妙なことが起きるお話を書いたとしても、私にとっては生活のすぐ隣にあるもの、日常の裏側にペタリとくっついているものを書いている感覚です。

石原三日月さん『カモガワ奇想短編グランプリ大賞』より抜粋

私はこの記事を読んだ時、遠いむかしに、ある美術商の方とお話ししたことを思い出しました。
私は昔から画才はからっきしないのですが(図工2笑)、絵を観るのは好きでした。それでその方に聞いてみたんです。

柴「あの、現代絵画とかでよく判らない絵ありますよね。全部真っ赤っ赤に塗ってあって、タイトルが『邂逅』とか」
美「(笑) はいはい、あるねえ」
柴「ああいう人たちって、どうやってああいう絵に辿り着くんでしょうか」

その美術商の方は、あっさりと答えました。

美「ああ、それは簡単。あの人たちには世界がああいうふうに見えてるんだよ。ああ見えてるから、ああいうふうに描くの。それだけ。ピカソもゴッホも、ああ見えてるんだよ」

正直言って、芸術的センス皆無の私には、首をひねるばかりでした。
でも最近になって、こうして自分も物語を作るようになってからは、何となくあの時の言葉が感覚的に判るような気がしてきました。

仮に石原さんが海辺に立っていたとして、現実に流れ着いたコンビニがその目に見えてるわけではないと思うのですが(たぶん)、頭の中というかご自身の中ではそういう現象は、ごく普通の光景なのではないでしょうか。ファンタジーとかじゃなくて、「ま、そういうこともあるよね」みたいな。
それがこの方の「世界の見え方」なのではないかと、僭越ながら感じました。
(見当はずれでしたら申し訳ありません)

逆に、私はそういうことができません。本当にいつもいつも、嫌になるぐらいありきたりな設定ばかり。この世界ではキツネが口を利こうと、過去と未来を行き来しようと、別段驚くようなものではありません。
田丸先生の仰るような「不思議さ」は、どんなに掘っても私の井戸からは湧いてきてはくれないのです。

むしろ私が書きたいと望むのは、普通の生活に埋もれがちな些細な部分を掘り起こして、それが何なのかを吟味することです。

たとえば陸上の100m走は、本当に一瞬の勝負です。トップランナーならスタートからゴールまで10秒かからない。鍛え抜かれた身体による凄まじい回転数ピッチは、とても目が付いていきません。
そのレースの素晴らしさを堪能する一方で、私はそれをゆっくりスローでも見てみたいのです。

強大な爆発力を要するスタートは、どれぐらい腕を後ろに振り上げるのか。
低いクラウチングから体を起こして前を見据えた時のランナーは、いったいどんな眼をしているのか。
腿の裏を突き上げるほど引き付けられた踵が、どんな軌跡で次の一歩を生み出すのか。

もはや実況解説者(笑)

更に言うと、その前後も好きです。
スタート位置に入るまでのコールでの緊張感。
ゴール後の悲喜こもごもの表情。
そしてその選手一人一人が、今日のこの10秒のために、どんな鍛錬と生活を送ってきたのか。言わばバックグラウンドですね。

だから私、映画のメイキングとか、アスリートの密着ルポなんかが大好きなんです。
もちろん「夢が壊れる!」という考えもよく判るんですが、私はそれ以上に、あの素晴らしい光景が、いったいどうやって作られたかを「知りたい」側の人間なのです。

ここまで書いてきて判りました。
私はきっと「知りたい」のです。人の感情というものを。人の世の現象というものを。だから人の心の動きや、世の中の事柄を丹念に追って文字という形にしていく。そして誰かとその現象を共有したいのだと思います。
時に私の物語が説教臭く説明調になるのは、たぶんその弊害なのでしょう。
ここ最近の私の、大きな反省点でもあります。

すみません、ちょっと脱線しました。
冒頭で、私は石原さんの作品について「非日常がすんなり日常化している」世界観、と表現しました。

非日常なのに、ものすごくしっくり馴染んでいる。
T-レックスがコメダでお茶してようと、その足許の床を三葉虫がせっせと這って掃除してようと、全然違和感がないんですね。
(この部分は秋しばの創作です笑)

石原さんの物語の中では、その非日常的な日常が、まるで映画のように舞台のように繰り広げられます。初めて彼女の『上昇志向サーバー』(Gakken『夢三十夜』収録)を読んだ時は、物語というよりドラマか何かを観ているような気にさえなりました。
屋根を突き抜ける衝撃と、その破片がぱらぱらと散るのを自らの肩に感じるかのような臨場的迫力。
「これ、映像にしたらめっちゃ面白そう」と、石原さんのお話を読むたびに、いつも思っていました。
……と思っていたら、後々、石原さんはすでに劇作家として戯曲を書かれていると知り、めちゃめちゃ納得しました。

私が書くと、やたら事細かに描写しちゃうんですが、石原さんはごくごくシンプルな文章でそれを表現します。それでもありありとヴィジュアルを浮かび上がらせるのは、やはり「舞台」というものを深く見つめてきた方ゆえの感性なのかもしれません。

以前はこういう独特の世界観の持ち主を、本当に心の底から羨んだものです。
でも最近、ようやく少しずつ自分のカラーと課題が見えてきました。
私が目指すべきは、「石原さんや霜月さん、たらはさんみたいになること」ではないのでしょう。
そんなん当たり前や、と全方位から言われそうですが、やっぱり身近にすごい人、自分の好きな物語を書く人たちがいると、つい憧れるものです(笑)

でもどこかの野球のスーパースターの「(今日だけは)憧れるのをやめましょう」ではないですが、憧れるだけではだめなんですね。
それは原動力であり、時に刺激ではあっても、決して目標そのものじゃない。

じゃあ、その目標は?
―― 困ったことに、まだこれが不鮮明なのです。でもいいんです。
少しずつ、少しずつでも進んでいこうと思います。行き詰ったら(いつもだけど)有名な魔法の言葉を呟くとしましょう。

「面白いことになってきやがった」

だいたいいつも余裕がなくて、うまく言えないんだけど(笑)

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に、石原さんの素晴らしい作品群の中でも、私の絶賛してやまない作品をご紹介させていただきます。
そして「カモガワ奇想短編グランプリ」大賞受賞作『窓の海』が読めるのを心より楽しみにしております!
改めまして、石原さん、大賞受賞おめでとうございます!!


本日は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

*この記事は、以下の自主企画のもとに執筆しております。

#10月これやる宣言
#クリエイターフェス

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