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#創作大賞感想『僕は超能力者になりたい』 射谷 友里さん

作品の引用等がありますので、先に『僕は超能力者になりたい』本編をお読みいただくことをお勧めいたします。

まずタイトルを見て。

「ああ、超能力に憧れる男の子の話なんだな、なんか目的があるのかな、好きな子の心の中が見たいとか……」

……とか勝手に考えつつ、あらすじを見たら

「この世界で僕だけ超能力がない」

あー、そりゃあかんですわ、そりゃ欲しくもなりますわ、とまだ見ぬ主人公に同情した秋しばでございます。

「平凡な両親ですら」とあるものの、座っただけで椅子潰せるぐらいの怪力とか、それを一瞬で直せるとか、なにも平凡じゃない(笑)
てか、これを「平凡」と言える世界にお住まいだということですね、この主人公君は。重ね重ね気の毒としか言いようがない。

当然学校に行けば、わんさか超能力者がいるわけで。しかも能力のレベルによってクラス分けがされてるエグい世界。
そこにはあんなのやこんなのがいっぱいいるわけですが、読んでいて思いました。

「世の中にはこんなにいろんな超能力があるんかい!」

まるで職業みたいにいろいろあるもんだから、もう本当に「あるのが当たり前」に思えてきます。そりゃ主人公君(=千葉君)が肩身狭い思いするのも仕方ないでしょう。

でも実際にはあればいいってもんでもないらしく、それをどう使うのか、何のために使うのかで人は分かれるようです。と言うか、その使い方に人柄が出ると言ってもいいんでしょうね。
それって、この私たちの現実世界で言うと、ずばり「お金」なのかも。
お金の使い方って、その人の人柄がめちゃめちゃ出る気がします。
あとは「才能」か。
たまにいませんか? 「その能力、もっと別のことに使えよ」みたいな人(笑)

「上手く超能力を使えない黒田さんと、ピンチの黒田さんに梯子をかけてあげた千葉君、どっちが凄いんだろうね」

超能力がないからと言って、誰かの役に立てないわけではなく。
でもこんな世界で超能力がなかったら、やっぱり異端視されちゃうのもある程度は仕方ないかもしれない。でもそれだけですべてが決まるってのはどうもなあ……という現実世界でもありそうなモヤモヤが、この物語にはひっそりと埋め込まれているような気がします。

だから超平凡なワタシから見たらとんでもない能力を持っていたとしても、それを楽しんで上手に使って暮らしてる人もいれば、やっぱりこじらせてる人なんかもいるわけで。
そんなわやわやな世界が、どんどこ展開されていきます。

そう、射谷さんは「青春こじらせ系」を書かせたら泣く子も喜んじゃうような人なんですよ、今さらですが。
言わば、こじらせマイスター。
(あ、射谷さん自身がこじらせてるという意味ではありません、念のため)

ちょうどこの物語を読んだのが、自分自身の創作大賞応募作『蒼に溶ける』を完結させた後だったんです。自分で言うのもなんですが、なかなかドロついたお話だったもんで、射谷さんのこの物語を読んですごく爽やかな気持ちになって、あの懐かしの映画評論家さんのように「いやぁ、青春ってほんとにいいものですね!」と思ってしまいました(笑)

冗談はさておき、こういう学園モノというのは、なんかとても懐かしい気分になります。きっと今この瞬間にも、若い方々はこうやって笑ったり悩んだり、時には涙を流したりしてるんでしょうね。超能力があってもなくても。
て言うか、若さ自体がある種の超能力なのかもしんない……なんて柄にもないこと考えてみたりした秋しばでした。

ところでもしも自分が一つだけ超能力が持てるとたら、何がいいかな。
ありすぎて選べないけど、要らないものははっきり判ります。

人の心が読める超能力だけは、絶対に要らない!(笑)



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