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わたしの京都生活

 特に勉強するでもなく1年浪人して、特に志望していたわけでもない京都の大学に入学したのは、もう30年近く前のことだ。
 遠方の大学に行くことになったトロい娘を親は大いに心配して、私を大学寮に入れた。
 鴨川のほとりにあるくせに、川方面の部屋はごく少なく、また、たとえ部屋があったとしても、窓を開けることは禁じられていた。そのせいで鴨川の存在を感じるのは、毎朝橋を渡って駅に猛ダッシュするときだけだった。

 そんな流されるように始まった京都生活はしかし、底抜けに楽しいものだった。
  特に田舎から出てきた私のような女は、お金もないのに、甘い顔のキャッチ(も学生である)にのぼせあがってホイホイとついていき、木屋町のバーで味のわからないカクテル(を作るのも学生なら、雇われ店長もまた学生である)を飲むのが刺激的で仕方がなかった。
 かっこつけて煙草を覚えたのもそのころだ。おかげで後年禁煙にすこぶる苦労することになるのだが。

 それまで知らなかったが、京都はとにかく学生が多い街である。学生が大人に混ざりあったり反目したりして独自の社会を構成しているのだ。
 自分と変わりない歳と属性の人々が、夜の街に溶け込んでイベントを主催しているのは、どこで自分との差ができたのか。そんなことを考えるのもまた嫉妬と好奇心が混じり合っておもしろいものだった。

 人付き合いが苦手な私にとって、集団生活の極北である寮生活は苦しくて仕方なかった。
 かと言ってお金もなく、バイトもしたくなく、友達も居場所もない私は、しょっちゅう寮を飛び出して、1人で街をふらふら歩いた。
 おしゃれな雑貨屋をしつこく冷やかし、ひと気のない神社に神妙な態で参り、古い建物にわかったような顔でうなづきながら、時間はゆらゆらと流れていった。変な若者がしたり顔でうろつくのもまた、許される街であった。

 オーバーツーリズムの話を聞いただけでうんざりして、ずいぶん足が遠のいているが、時間と虚栄心とさみしさを持て余し、ただただ歩き回ったあの街は、今でも私のような学生を受け止め続けているのだろう。
 あの優しい無関心を、今でもときどきとてつもなく恋しくなるのだ。

#新生活をたのしく #京都

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