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「身体拘束がどれほど辛く、屈辱的なものか、院長に実際に拘束を体験してもらう機会を設けてはどうか」


2024年度の診療報酬改定に向けた議論に関する記事が、2023年7月7日に公開されていた。
今更ながら読んでみた。

入院医療においても「身体拘束」を可能な限り縮小・廃止していくべきである—。

その際、病院のトップ、つまり院長が「身体拘束の縮小・廃止」に向けて強いリーダーシップを発揮し、対策を計画・実施していくことが極めて重要である—。

入院医療における「身体拘束の縮小・廃止」のためには「病院長の意識・決断」が非常に重要―入院・外来医療分科会(3)

身体拘束の縮小のため、有識者が議論を重ねた様子が要約されている。
全てが記載されているわけではないので、実際の議論は不明である。

記事の冒頭について、倫理的観点からは至極真っ当。
これに基づいた議論が進められている。

まず医療機関における身体拘束の状況を見ると、いずれの病棟でも「0―10%未満」が最も多くなっていますが、一部に「身体的拘束の実施率が50%を超える病棟・病室」もあります。「身体拘束が想像以上に実施されている」と多くの委員が驚いて受け止めた一方で、身体拘束の中に「離床センサー活用なども含まれている可能性が否定できない」と指摘する声も出ています(身体拘束に限らず、今後の調査で「項目の定義」をより明確にしていく方針を確認)。ただし、「身体拘束の縮小・廃止を目指していく方向」そのものに明確に反対する声は出ていません。

「身体拘束」と聞くと、縛り上げられた老人をイメージする人も多いのではないだろうか。

もちろん腕や脚を拘束しなければならない場合もある。
例えば、脳に器質的な障がいがある場合。脳卒中、脳腫瘍、重度の認知症などなど。
こちらの説明や指示など全く通じず、むやみやたらに手足を動かして、挙句には柵がついたベッドから飛び落ちてしまう。
医療の人的資源には限りがあるので、24時間付き添っている訳にはいかないので、手足を縛ることもある。

しかし、縛り上げられることのみではなく、ベッドから勝手に降りようとした時に反応する「離床センサー」や、体につけられた管を抜こうとしないようにする「ミトン」など、患者の苦痛を最小限にできるような「抑制具」も「身体拘束」の呼称に含まれている。

そのため、「身体拘束」の具体的な再定義が必要なのではないか、とされている。

次に身体拘束の状況を見ると、「認知症のある患者で拘束が多くなる」「ライン・チューブ類の自己抜去防止や、転倒・転落防止のために拘束をするケースが多い」ことが分かっており、「認知症対策を総合的に進めていく」ことや「転倒防止策を工夫する」ことなどで、身体拘束の割合を減らしていく可能性が見えてきそうです。

この点については、「患者像を踏まえた職員配置を検討すべき(例えば認知症患者にはより多くのスタッフで対応する)」(秋山智弥委員:名古屋大学医学部附属病院卒後臨床研修・キャリア形成支援センター教授)、「認知症ケア加算1病院が、加算2・3病院と連携し、対応力強化を図る取り組み、認知症ケア加算を取得できない病院への取得支援などが考えられないか」(武井純子委員:相澤東病院看護部長)などの提案がなされました。認知症ケア加算では「身体拘束を行った日は40%点数を減算する」規定が設けられていますが、点数での対応も重要論点の1つになりそうです。

まとめると、認知症患者の対策として、

①対応できる人を増やす
②対策にお金をかけられない病院への支援をする
③抑制したら病院への手当を減らす


...③どした?って感じですね...
抑制したらお金くれないから抑制しないって、効果はあるのかもしれないですが、医療現場の実情考えてますか?という。

利益追求の側面が強い業界ならまだしも、人命救助の現場でそれしますか?と思ってしまう。

身体拘束の縮小・廃止に向けては「トップ(=院長)の決断が非常に重要である」と考えられ、井川誠一郎委員(日本慢性期医療協会副会長)も「トップの指示がなければ現場は動かない。トップの決断が大きい」とコメントしていますが、急性期病院ではその面が弱いようです。例えば病院長を対象としたマネジメント研修などで「身体拘束の縮小・廃止の重要性」を改めて説くことなどが考えられますが、「身体拘束がどれほど辛く、屈辱的なものか、院長に実際に拘束を体験してもらう機会を設けてはどうか」と提案する識者もおられます。

...さらにどうした????って思います...

前半部分の、「トップの指示がなければ人は動かない」は、どの職業でも感じたことがあるのではないだろうか。
医療現場もトップダウンの温床。
病院院長が音頭を取るべき、という考えは一理ある。

しかし、病院長が身体拘束をされてみるべき、というのは、物事の本質からも、本質の達成のための手段としても、大きく逸脱している。

もちろん、医療者たちは、身体拘束による心身への負担は十二分に理解しているつもりでも、実際には理解できていないのかもしれない。

最初は身体拘束に対する罪悪感を強く感じていたが、回数を重ねるごとにそれも薄れては行く。

ですがそれは、

身体拘束の必要性とリスクを十分に検討した上で行なっている

から。
辛さや苦しみを完全無視しているからではない。

まるで医療者が倫理観を捨てて、よぼよぼの老人たちを無慈悲に虐げているかのような議論は、愚かな考えであるとしか言えない。
臨床を舐めているのだろうな、と思ってしまう。

もっとも、津留英智委員(全日本病院協会常任理事)は「病院で介護スタッフを今以上に手厚く配置することは現実的ではない。AIやロボットの活用を研究・検討していくべきである」との考えを示しています。このコメントのうち「介護スタッフ配置は現実的でない」という部分に対し、「日本病院団体協議会では『寝たきりゼロに向けて、急性期病棟への介護スタッフ配置などを求めていく』考え(関連記事はこちら)を示しているが、介護人材配置は困難と述べる幹部がおられ、早くもほころびがでている」と皮肉る識者もおられます。

また、身体拘束の縮小・廃止に向けた医療機関の取り組みを見ると、▼「身体的拘束を予防・最小化するためのマニュアル等」「院内における身体的拘束の実施・解除基準」は9割程度の病院で策定されているが、急性期一般4-6・地域一般では策定率が低い(7割程度)▼「院内の身体的拘束の実施状況に関する病院長との共有」の実施率は急性期一般で低い(2割程度)▼「病院外の者が関わる事例検討会、対策検討」の実施率は非常に低い—ことも明らかとなりました。

このほか、「療養病棟で、24時間の身体拘束が多い状況である。その実態をより詳しく見ていく必要がある。身体拘束ゼロを謳う介護施設では、拘束をしなければならないケースでは療養病棟への転院を促すという話も聞き、本末転倒である。同時改定に向けて実態を把握し、適切な対応をとるべき」(田宮菜奈子委員:筑波大学医学医療系教授)、「ADL改善を目指す回復期リハビリ病棟でも24時間の身体拘束がなされており、不思議である。実態を把握すべき」(武井委員)、「転棟について、看護職員が法的責任を問われることもあり、結果、身体拘束につながっている面もある。そうした面への対応も進めるべき」(秋山委員)などの意見が出ています。

身体拘束を必要とするのは、上記のように人材不足やコスト管理、法的責任の有無など、様々な側面での問題がある。

これら以外にも、
①家族の退院拒否により入院期間が延長している
②入院期間の延長により認知症が進行する
③高齢者の増加と高度医療の進歩により綿密な安全管理が必要な患者が著増している
④身体拘束以外の薬剤による鎮静が困難な場合がある

など、多くの側面がある。

身体拘束をしたら助成金を減らす、
なら、
身体拘束が必要となる可能性が高い患者には高度医療を実施しない、
がイコールにならなければ、

高度医療を安全に実施できずに死亡する人間をいたずらに増やすだけになってしまう可能性がある。


身体拘束を実施するかしないか、という議論の前に、
なぜ身体拘束を必要としているのか、
現場レベルでの現実を見つめる必要があると、強く訴えたい。


厚生労働省をはじめとする医療有識者の皆様に、どうか届きますように。

(もうすでに届いてたらいいな!)


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