見出し画像

灼熱の決戦場へ

レースの号砲がなるのは6/30(日)AM5時。

開催地まで280km弱の距離があるので車で前乗りし車中泊することにする。

本来であればビジネスホテルや民宿に泊まり体を休めた方がいいのだろうが車中泊にも慣れているし路上でも寝れる身なので問題はない。

札幌から高速を使い5時間近くかけて車中泊場所へ到着。

道中、車の外気温計は常時30度以上を指していた。

まず遠い(白目)
遠軽という街で夕食を取る
辛味噌つけ麺大盛り

車中泊場所は温泉もある、トイレも近い、スタート地点まで車で10分の好立地。

サ室がリニューアルしたチューリップの湯
入浴前に景気づけのいっぱい。


オートロウリュに蒸し殺され立ちくらみを起こす。
汗を流し水風呂に浸かれば脳内の血管がギューッと狭まり血管内を流れる血の音が轟々と聞こえる。
心臓の鼓動のペースは遅くなり視界が歪み口元から涎が垂れてくる。
天井の模様は冒涜的なユークリッド幾何学を描きながら回り始めた。
密林の奥深く邪教の信徒が踊り狂い、忘れ去られた地下都市では二足歩行の爬虫類が金切り声を上げる。
宇宙の深淵の更にまた奥深くで眠る不定形の何かが身じろぎを起こす。

ああ、これは、これは...!

お兄ちゃん大丈夫かい?

おじさんの呼びかけに意識は現世に戻った。

過去10年で一番の“至り”方だった。

退館後、近くのセブンイレブンへおかわりを買いにぽくぽくと歩く。

イマイチ...かな
なんで檸檬堂とシン・レモンサワーを置いてないんだよ
晩酌会場(駐車場の片隅)

明日の大会に参加するとおぼしきランナー風のおぢおばたちが車中泊をしている。

俺も椅子を持ってくればよかったな


5年前、ここで車中泊をし、レースに挑み俺はリタイアをした。

あの時は一緒に来てくれた人が居たけど今は1人。

特に感慨もない。

あー、あの辺に車を止めて夜中に歩いて買い出しに行ったっけ。
そんな風にちらと思い出したくらい。
感情に波は立たない。

今のおれの心持ち。

秋風吹き荒ぶ五丈原の帷幕に座す諸葛孔明*1
麦城に至った関雲長*2
ライプツィヒの尖塔の上で増援を待つボナパルト*3
スターリングラードに包囲された第6軍を救うべく冬の嵐作戦の発動を決意したマンシュタイン*4

彼らの様な心持ちなのだと思います。
彼らの心情は推測に過ぎないけど。

以上。

ーーー
*1
諸葛孔明最期の戦い。
第五次北伐において膠着した戦線を打開できず孔明は陣中に没した。
過労死とも言われている。

*2
死して神となった武人。
通称「蜀の戦犯」「自尊心肥大糞髭野郎」。
壊滅的な外交センスと同僚麾下への傲岸不遜さは同盟相手と部下の裏切りを招き戦場の露と消えた。

*3
泥沼のスペイン半島戦争、ロシア戦役で戦力を擦り減らしたフランス帝国に対し第六時対仏大同盟が結成された。
ロシア戦役で佐官級の人員︎、古参兵を悉く失い、また麾下の元帥を育てる事を怠ってきたボナパルトはライプツィヒでそのツケを支払い敗北した。

*4
ソ連軍によりスターリングラードに包囲されたフリードリヒパウルス大将率いる第6軍(約33万人)を救出すべくマンシュタイン元帥はドン軍集団の新設及び指揮を命ぜられた。
作戦名は「冬の嵐」。
マンシュタインの天才的な用兵を持ってしてもソ連軍の包囲は打ち崩せず、マンシュタインは包囲された第6軍のパウルスに脱出作戦の発動を要請するもパウルスは麾下の疲弊と物質不足を理由にこれを拒否。
これを受けてヒトラーおじさんも改めて脱出作戦の発動を拒否した。

その後、第6軍は降伏。
降伏した9万6千名のうち、終戦後祖国に帰還できたのはわずか6千名だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?