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私のお習字の話なの〜先生との出会いと別れ

今晩は。
今日は、ボートネタを書くつもりでしたが、
急遽、話題を変更させていただきます。

私の、お習字の先生とのお話しを、
書かせてください。

尊敬と、哀悼の思いで、記事を一つ、
書かせてください。


本日、娘と、お通夜に行ってきました。
九州に来て、子供達と、私に、
お習字を教えてくださった先生と、
お別れのご挨拶をしてきました。

先生は、綺麗にお化粧して、おニューのお着物を着ていらっしゃいました。
元気にされていた頃を思い出しました。
とっても美人で、小柄だけど、
いつも飛び跳ねるように、走っていらっしゃいました。

私の母と、同じ歳の女性でした。
子宝に恵まれなかった、とおっしゃっていました。


九州には、10年前に引っ越ししてきましたが、
縁もゆかりもない土地で、知り合いはいませんでした。

子供にはお習字を習わせたかったから、
大阪でも娘はお習字教室に通っていました。
九州にきて、ママ友さんもなかなかできず、
情報収集もままならない状況でした。

そんな時、息子のファミサポさんから、
市民センターで、お習字をやっているよ、
と教えてもらいました。
地域の公民館でやっている、カルチャー教室です。
娘の学童の先生の、叔母さんがお習字の先生だったこともあり、
学童の先生から紹介してもらい、
娘はお習字に通うことになりました。

その数年後、息子を通わせたことで、
私もお習字に通うことになりました。
そのあたりは、以下の記事でも、書きました。

おそらく、先生との出会いがなければ、
大人になってから、お習字を続けることは、
なかったと思います。

九州に来て、6年ほど、お習字を続けています。
ただただ、字を書くこと、
それに集中する時間が、私を助けてくれました。

何より、先生から、
上手ねー
って、おっしゃって頂けることが、嬉しかった。

自己顕示欲、自己承認欲求。
それを満たしてくれる存在でした。
そう書くと、お習字が穢れてしまいそうですが、事実だと思います。
自己否定ばかりだと、疲れますよね。

ここ数年、先生は急に体調崩されて、
どんどんしんどそうな顔になって、
最近は、かつらをつけるようになられて、
でも、詳しいことは聞けなくて。
多分、抗がん剤の治療をされていたのではないかと推察いたします。

2週間前の、昇段試験の提出日には、
お会いしたのに。
まだ、条幅の仮名が書けなかったから、
後で提出します、とお話したのが、
先生との最後の会話だったかもしれません。

その時に書いた、条幅の仮名が、この前の記事でした。
この前の日に、お会いしたのに。

先生に、
もっと優しい言葉をかけていたら良かった、
もっと労わってさしあげることはできなかったのか、
色々、後悔の念の方が、強いです。

でも、いつ亡くなるかなんて、誰にもわからない。

だから、私にできることは、
いつでも、最後だとおもって、これからは、
別れ際、嫌なこと、絶対言わないでおこう。

なるべく、相手へは優しい言葉を。
なるべく、相手への労りを。

私も、生きている間、生きるだけ。

私は、私のやることを、やりたいように、やるだけです。

暗くなってないで、自分の人生を、楽しみたいと思います。



なんのオチも無い記事ですが、
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

来週、元気になって、大好きなボートネタ、
書きたいと思います。

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