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はぐれミーシャ
2020年10月16日 16:27
8月1日(火)運命の日である。これで俺の中でタシケントが終わる。いや、多分これからも続くのだろうが、タシケントを離れれば少しは気も楽になるだろう。長い長い旅の一区切り。5時前に目が覚めた。寝たのが2時近くだから、強烈に眠い。しかし、時間に遅れるわけにはいかない。眠気を振り払って身支度をする。ラリサ叔母さんとアントンが見送ってくれるのは知っていたが、アレーシアも空港に行くと言い出した。それは
2020年10月15日 14:39
7月31日(月)明日、タシケントを出る。朝8時15分の飛行機で。もう腹は決まっている。迷いはない。昨日あった一つの出来事も作用しているのだが、それを書く元気は今のところない。今日は忙しい。まず、彼女の家に送ってもらった荷物を取りにいかなければならない。1ヶ月前に両親が送ったものだ。宛名は彼女のところになっている。とはいっても、彼女のところに荷物があるわけではなく、郵便局に留め置きになってお
2020年10月14日 17:23
7月29日(土)今日はモスクワ行きの飛行機の切符を買わなければならない。昨日の夜、アレーシアが「いっしょに買いに行こう」と言い出したので、彼女のテニスの練習が終わる2時ぐらいまで家でごろごろすることに。昨日のこともあってラリサ叔母さんとは話したくない。ひとこと言ってやろうかと思ったが、我慢した。酒を飲んで騒ぐのは自由。それは俺には関係のないこと。でも、アレーシアのことを考えると・・・。俺は
2020年10月11日 22:09
7月28日(金)今日こそはなんとかパスポートを手に入れなければならない。12時に電話をする約束になっていたが、電話では埒があかない。直接行ってみることにした。12時ちょっと前に行くと、そこにフサンの姿はなく、そこにいたのは秘書のおばちゃんだけだった。パスポートはまだないと言う。預けてある機関に電話をしたのだが、責任者がいないから3時に来い、と言われたのだそうだ。仕方がない。そして、ビザ
2020年10月9日 17:05
7月27日(木)出きるだけ早くパスポートが欲しいところだが、今日は手に入れることが出来ない。その前にやるべきことをやってしまおう。問題は山積みである。まず、税関申告書の件。タシケントの空港についたときに、あるウズベク人の家族に税関手続きなどを手伝ってもらった。外国人は税関申告書を二枚記入しなければならない。1枚は入国するときに提出して、もう1枚は出国するときに提出しなければならない。しかし
2020年10月7日 15:29
7月24日(月)最近、よく夢を見る。親が出て来たり、日本の風景が出て来たりという典型的なホームシックの症状だ。あまりにもあからさまである。これではフロイトも分析のし甲斐がないだろう。ホームシックの夢ならまだいいが、今日の明け方は彼女の夢だった。そんなにいい内容ではなかったが、やはり恋しくなってくる。目覚めの気分は最悪。胸が苦しい。落語に出てくる若旦那もきっとこんな恋煩いをするのだろう。俺がタシ
2020年9月29日 22:46
7月23日(日)今日は日曜日。昨日、ここの娘のアレーシアと町に出かける約束をした。朝からわくわくしている。アレーシアは15歳。ちょっとしたデート気分だ。少しでも気持ちを盛り上げないと落ち込んじゃうからねえ。最近、彼女のことを思い出す時間が増えてきている。ここタシケントにいるかぎりこの苦しみは続くような気がする。出きる限り早くタシケントを脱出して新しい生活をはじめたい。今日はそのことを忘れよう。ま
2020年9月23日 14:54
それがある日、突然、「明日の昼、1時にうちまで来て欲しいね」とグーリャのほうから言ってきた。やっと会える。グーリャがこっちに来るのはわかるが、彼女のうちまで来いというお願いにはかなり驚いた。俺は出入禁止になっているはずなのだ。ラリサ叔母さんはそのことを聞いて、自分のことのように喜んでくれた。俺は今、ラリサ叔母さんのところに住んでいるわけだが、戻れるものなら彼女のところに戻りたい。彼女の家族が許
2020年9月18日 15:34
うちへ帰ると、そこにはグーリャとアーニャが待ち構えていた。彼女はいつものように「どうも」と言って、にっこり笑った。でも、俺はそれに答えることが出来ない。何と対応していいかわからない。それにずっとフサンと外を歩いていたせいで、またも日射病になっていたのだ。俺は適当に返事をして、転げ込むように自分の部屋に行き、ベッドへと倒れこんでいった。実際、立っていられなかった。何を言っていいのかわからない俺にとっ
2020年9月13日 04:03
7月7日とりあえず大学に行くことにする。11時ごろ大学に着いて、引越しのことを告げる。みなとても嫌そうな顔をしていた。彼らが言うには、外国人は登録(レギストラーツィア)をしなければならない、その場所以外に住んでいることがばれた場合、本人と大学側が罰金を払わなければならず、下手をすれば逮捕され日本に強制送還されるのだそうだ。大学側は二つの案を出してきた。しばらく我慢して寮に住むか、昼は借りた部屋で
2020年9月11日 16:18
7月6日7時ぐらいに目が覚めた。夢を三本立てで見てしまったので、よく寝れなかった。もう一度寝ようと思うが、それも出来ない。とにかくここを出たいという気持ちでいっぱい。ベッドのなかで今日の計画を立て、8時半には部屋を出る。計画といっても、俺はタシケントで一人ぼっち。手も足も出ない。これが東京だったら、頼る人間がいっぱいいる。もし非常事態になれば山形に帰ることもできるのだ。でも、いま俺がいるのはタシ
2020年9月9日 17:48
7月5日(書いているのは7月7日) 今日、ついに彼女の家を飛び出してしまった。もう愛されていないことを知っていながら彼女のそばにいることは苦痛以外の何物でもない。そのことが明らかになってから3日ほど耐えた。その間、どんどん溝は深まっていった。関係を修復したいと思いながらも、彼女が求めているような「ぼく」であることは出来なかった。愛が壊れたときに笑っていられるやつがいるか? 別れた彼女が友達になる
2020年8月27日 02:12
2000年6月25日の朝、僕はタシケントに向けて旅立った。グーリャと出会ったのは1月4日のこと。知り合って半年ちょっとしか経っていないのに、僕はすでにタシケントへ向かっている。我ながら早いと思うが、それまでもロシア語圏で日本語を教えようと思っていたわけだし。たまたま予定が早まっただけで、たまたま行き先がウズベキスタンになっただけのこと。この旅立ちが人生の重要なターニングポイントになるこ
2020年8月23日 00:16
グーリャがタシケントへ行ってしまった今、僕がするべきことはただ一つ。一刻も早くタシケントへ行くことだ。そのためにしなければならないことは山ほどあるはずなのだが、グーリャのところへ行くためなら、僕は何でもしよう、何にでもなろう。空港から戻った僕は、早速手紙を書き始めた。タシケントではインターネットを使うこともままならない。タシケントではグーリャは家族がみんな帰ってくるまで叔母さんのうちに