Akira Sugasawa

早稲田大学第二文学部卒。話の特集「40周年記念号」に寄稿。

Akira Sugasawa

早稲田大学第二文学部卒。話の特集「40周年記念号」に寄稿。

最近の記事

熱海、内田樹。

粗品というおちんちんみたいな名前のひとが炎上している。オワッタ、というのは面白い表現だ。おおむかしはなかった。ぼくの中学生時代くらいからだろう。オワッタ!とよく叫んでいた。 崩落したこと。 もうどうにもならないこと。 オワッタのは、アタミだけではない。 たとえば、天皇オッケーのウチダ教授。 ぼくはあのひとの明るい顔がこわい。 なにがたのしくて笑っているのかぜんぜんわからない。 こわいのである。 不安でしょうがない。 ウチダ教授にかぎらず、根拠になる表情を、われわれそれぞれ

    • 五輪はキャピタルの運動会である。

      みなくちぐちにばからしいまちがっているナンナノどうかしている。それはそのとおり。そしてそして、なんてことはなく、じぶんのまちがいに気づくのである。 猛然たる抵抗を絶対に選択しないこと。 いまもってできないこと。 むかしから、オリンピックなんてやんなくていいなんてひとはたくさんいた。 そのひとたちの話をまったく聞いてこなかったこと。 キャピタルの運動とは、ここまで醜悪なのだ。 スポーツがスバラシイというのはファクトではない。 体育が死ぬほど嫌いなひとだってたくさんいたはず

      • 選挙(爆笑!)、三浦瑠麗、塩崎恭久オッツー

        なにかとみまがう。ほとんどすべてのものをみまがう。とりちがえる。とりちがえていたままモノを話している。たとえばミウラルリというひとの目つき顔つき。話しているないようははなからどうでもいい。あの目つきと顔つきでじゅうぶんわかる。わからないひとは、ふははは、たぶんまちがっている。なにかはまちがわれている。まちがわれたまま、そのままときがながれていく。シオザキヤスヒサのうろんな目つき顔つき。セイジカをやめるんだという。ムスコが出るという。おすきに。 たとえばキャピタルの運動につい

        • ツァイ・ミンリャン最新作

          最敬愛するツァイ・ミンリャン最新作 「あなたの顔 your face 」を見てきた。 極小の個を凝視すること。監督はこれまでと変わらぬ強烈な反世界の哲学で、まったく新しい「エンターテインメント」を作り上げた。 この映画をみたあとでは、ニンシキ、カンガエカタ、カチカン、などの安手の言葉の使用とは、金輪際おさらばしなければならなくなる。 ニンシキ、など、世界に存在しているのだろうか。揺るがされ、剥がされてしまい、ああ、ぼくはなにもかも間違えてきまし

        熱海、内田樹。