1-⓻ 家族

　2月の札幌は寒い。
北国なのだから、当然ではあるのだが。
よく、雪が降ると暖かいんだよ！と人は言うけれど、今年は特に寒く、また積雪量もここ数年では1番である。まあ、そのお陰で雪まつりの雪像造営のための雪の確保には、手を焼く事はないだろうが。

「ああ･･･今日も寒いなぁ」
陽子は布団から出るのをためらっている。ベッド横のローテーブルに手を伸ばし、手に取ったスマホで時刻を確認した。
　6時半･･･いつもより1時間早い目覚めである。いつも布団の中で蹲る彼女を叩き起こすのは、母親の明美の仕事であるのだが、あいにく今日は休日であり、邪魔される謂れは無い。陽子は布団に潜り込み、YouTubeで乗馬の動画を見始めた。
　30分後、暖まった布団の中よりも、先程から鳴っている空腹音の解消を選択した彼女は、渋々布団から抜け出して、階下へと降りて行った。

　陽子が渡仏してから1年半が経過していた。その後フランスへは渡っていないものの、クリストフ家とはSNSで頻繁に連絡を取り合っている。
　さっぽろ雪まつりの様子を動画で撮影し、ウッド宛に送信すると、ローザとバルザがフランス産の高級バターとチーズを空輸で送ってくれた。
　乗馬の上達振りを動画送信すると、どこから聞きつけたのか（ほぼ間違いなくバルザだと思う）、ロッシが高級ワインを送ってくれた。
　そのお陰で、日本にいてもフランス産乳製品とワインには困らない。休日の朝に、チーズとワインを嗜むのもしばしばであった。

「さて･･･と」
陽子はテーブルの上に置いてある、とあるドーナツチェーン店の袋の中から、ハニーリングを3つ取り出した。
　フライパンにアマニ油を引いて、中火で熱してからハムを3枚乗せた。中心から5センチほどの穴を開けたハニーリングを、軽く焼けたハムにそれぞれ乗せ、開けた穴の中に生卵を落とした。
　5分後、卵の火の入り具合を確認してから裏返す。完成したハニーリングの匂いに誘われたはずはないと思うのだが、両親がリビングに入ってきた

「あら、珍しいわね、休みなのに。しかも朝食を作っているなんて。どおりで外は大雪だわ」明美が伸びをしながら、おまけにあくびも付け加えながら言った。

「うるさいなぁ」
鶏ハムサラダを盛り付けている陽子に、
「美味しそうじゃないか、このクロックムッシュ」と、父の茂雄が目を瞬かせている。
「これはクロックムッシュじゃないわ、父さん」
　陽子はテーブルに3人分の朝食をセットした。温かいコーヒーと、ロッシから頂いたワインを用意して、家族の朝食が始まった。

　陽子は現在、父が経営するアグリイノベーションビジネスの会社に勤めている。主に、作物の品種改良を手掛けており、糖度の高い苺や人参、真っ黒なサツマイモ、真っ白なトウモロコシなど、様々な作物の品種改良、開発を手がけている会社である。

　高校卒業後、進学先を農大にしたことには、特に意味は無かった。
　けれど、幼少期から両親と一緒に種を蒔いたり作物を収穫したり、土に触れる楽しさを覚えた、その影響があったと思う。　
　何事にも奔放な両親の性格が、彼女にも受け継がれているに違いない。

　しきりに、〝フランスに来ないか！〟と誘うウッドの事を（果たして、プロポーズの意味なのかわからないけれど）、両親とも特に敬遠する事なく、父は、
「フランスで農業をするのも良いかもしれないぞ！新しい作物を広めるチャンスだな！なんといっても肥沃な土地があるからなぁ･･･」などと、早く行ってしまえ発言も度々である。
　明美は既に海外旅行を楽しみにしているかのようであり、アメリカの高校に留学している弟は、
「僕も合流したいから、結婚式の時期を考慮してよ！」と言う始末であった。

　陽子はウッド達を驚かせようと思っていた。
　乗馬の上達ぶりには、ウッドもバルザもロッシも驚いた様子だった。特にロッシは、
「ウチの馬に乗ってくれ！」と軽口を叩き、陽子ははて？と首を傾げたが、
「昨年馬主になったんだ！」と聞き、
〝やっぱりお金持ちは馬が好きなのね！〟と、タキシード姿で表彰式に臨むロッシを想像しながら笑みを浮かべた。
　しかし、乗馬はカモフラージュである。本当の目的を達成するために、休日にはあるスクールにも通い続けていた。　　　
　〝きっとびっくりするだろうな〟

　陽子は自分を褒めてあげたい気分で、グラスにワインを注ぐ。ゆっくりと、味わうように、その高貴な液体で喉を潤した。そして、
「C'est bon･･･」と、呟いた。

　北の大地にも春が訪れた。
桜前線が北上中の最中に行われたクラシックレース･･･名牝ビワハイジの娘、まるで映画女優のような、すらりとした体躯のヒロイン、ブエナビスタが豪快な末脚で桜花賞、オークスの二冠を達成した。

　大通公園のリラの花が満開となり、公園が花の香りに包まれた頃の宝塚記念･･･父、黄金旅程から名付けられたという、ドリームジャーニーが、420キロの小柄な馬体を躍動させ、朝日杯FSに続くG1レース2勝目を挙げた。

　春のG1シーズンが終わりを告げ、夏競馬が本格化した7月上旬、陽子は成田空港へと向かった。

　彼に会うために。