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人と組織.14 改革とは何か!


今や政治でも経済でも企業組織でも「改革」という2文字が、登場しない時はない。

何故ならば, 日本という国も企業も改革なくして、これからの先の成長等望むべくもないからである。

然しながら、我々、日本人は、本当に現状を変えることを望んでいるのだろうか、という点になると私は、非常に疑問が残る。

つい最近の自民党の総裁選を見ても、国を動かす為政者の人たちでも「現状維持の安定志向だなあ」ということが、よくわかる。

要は、現状をいかに、円滑に、効率的に運営するかという点にその価値観があるのであろう。

そのために、調整力やバランス力等といった類の能力が重視されるのである。

組織の衰退には、驚くほど共通点があるように思う。

組織の硬直化、組織の壁、組織の防衛、驕り、既得権、総論賛成各論反対の構造、

変化への抵抗と回避といった現状の延長線的思考と風土等。

いかなる組織も仕組みも人が作り、人が運営し、人がマネジメントするものであって、それがおかしくなって崩壊するのは、人災以外の何ものでもない。

改革とは、いってみれば組織を破壊すること、いってみれば、組織の上位者達の人事の刷新である。

改革出来ない組織を見てみると上位層には、殆ど同じ考え方、同じ行動パターンを持ったが旧体制のDNAを強く持っている人たちが、根強く温存されたままになっている。

改革しえないのは、風土・体質そのものにある。

そのような風土を作り、維持してきた、これまでの為政者や経営者達の発想、考え方、行動パターンそして、その種の人達が組織の上位にあって、同じような判断と行動パターンを続けている限り何も変わらない。

近い将来、想定される危機の解決もおざなりで、ただ、将来世代に、そのつけを回しているに過ぎない無責任体質。

改革の最大の障害は、組織内部の政治力にある。

目に見えない変化を嫌い、これまでの状況を維持しようとする人達、既得権や既得権益を失いたくない負のパワー、負のエネルギーである。

改革とは、決して会議や合議から生まれるものではなく、ましてやボトムアップからなされるものでもない。

改革は、リーダーシップを発揮する指導者が、信念を持って現状を壊していくことでしかなしえない。

どんな改革であっても、それによって損をする人、現在の立場を失う人達が
必ず出てくる。

それが大きければ大きいほど、その死守に懸命になっている人達を説得し、納得させることの難易度は、かなり高い。

いろいろな手を打っても、結局、何も変わらない組織というのは、ピラミッドの上層部にいる人たちが、本当に変わることを望んでいないことに帰結する。

組織の停滞や倒産というのは、紛れもなく人災であり、トップを始めとする組織上位者の経営に対する考え方とマネジメントのあり方に起因している。

企業としてこれまで成長する中で、培ってきた成功体験の中から作り上げてきた仕組み、常態化した発想、物事に対する判断基準、問題点に対する判断や対処の仕方等の行動パターン等を白紙にして残すものは残す、捨てるものは捨てる、変えるものは変える、といった作業を通じて新しい仕組みと体制を組み直なおさなければ、生き残れないことを意味する。

既存の体制の中にある異質さや異なる考え方、出る杭や挑戦等の行動を進化の種として許容し、大事に育み、出る杭をさらに突出させるパワーが大勢を占めているのか、或いは、逆に変化を嫌い、それらを摘み取ったり、抹殺したりしようとする現状維持に懸命なパワーが体勢を占めているのか。

ここに成長と衰退、進化と退化、繁栄と滅びの分水嶺がある。

明日の明暗はこの一点にある。

どのように優れた戦略も、仕組みも、制度も、どんなに能力の高い人財で構成された組織でも、それを超えることは決して出来ない。

企業は、そのトップの器以上でも以下でない。

その器そのものということである。

例えば、トップが聞く耳を持たず、社員に指示したことを黙ってこなすことだけを求める経営とマネジメントを長年続けていたらどのようになるか。

社員は、まさにー日一日一個の卵を産むことを求められている養鶏場の鶏のようものである。

会社全体に問題意識を持ったり、時代の変化や環境の変化、自社の業績の変化に危機感を持たない社員を作り出しているのである。

停滞している風土の企業に共通しているのは、「数値目標と計画、そして社員を診ない処方箋と手術は、あっても人を活かす治療法を持っていないのである。

「悪貨は良貨を駆逐する」ことはあってもその逆はほとんどない。

為政者や企業組織のリーダーの人たちに対して、
「あなたは改革のために何をやっているのか」という質問をひとつ投げかければいい」。

即座に明快に答えることが出来ない為政者や企業組織のリーダー達は、今の時代、その任には不適当なのである。

何故ならば、今の時代、破壊することのリスクに比べれば、破壊しないことのリスクの方が、はるかにリスクが高いのではないだろうか。

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