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『プラネタリウムのふたご』(著:いしいしんじ)

日本語で小説を読むことに長らく遠ざかっていた時期があった。

それは自分がアメリカで起業して(というか自分で食っていく選択をして)がむしゃらに仕事をしてた6年間。そしてそのあと子供が生まれてそれだけにまた必死になっていた5年。器用に両立とか出来ないので、かかりっきりでアメリカ人になって、そしてパパになった。

自分の中にテンプレとしてあったデザイン「事務所」の「仕事」と「そういうライフスタイル」の「家庭」の両方をうまく「見せる」ことが出来なくて。疲れて、いやになって、逃げるようにアジアに来た。でも「見せる」ことへのこだわりからは逃れられなくて。

金がなくなって、カンボジアに流れ着いて。そこでやっと「自由」ということの正体がわかった。

シングルタスクな、「見せる」自分に距離を置くことを、やっと体で覚え始めた頃。出来ないのにマルチタスクの真似事で、いろんなことに首を突っ込んだ。そんな中で出会ったある美術教育系NGOの友達に、本好きがバレて貸してくれることになった中の一冊がこれでした。他にも西加奈子とか、新しい(って僕がね、知らなかったから)作家の作品を色々教わって。サキさんありがとう。

小学生の頃からこども劇場なる団体に入っていたこともあって、童話系には弱いんですが、やられました。感動した。なんか気の利いたこと言えないけどね、登場人物一人一人の魅力に打ちのめされながら、その一挙一動にハラハラドキドキさせられて、その全てを包み込む世界に憧れる。高校生の時、同級生たちが見たこともない金髪おねーさんに憧れた(そして渡米する僕に勝手に妄想を膨らませて嫉妬した)みたいな感じ。現実感がないぶん、それが余計に募らせるみたいな。

本当に気の利かないこと言ってるな。多分、言いたいことは、「想像力が未来を救う」みたいなことなんだと思う。いや、違うな。未来じゃなくて、現在が助かるんだ。想像力、嘘を創り出して、騙して騙される力がないと、死んじゃうんだ、多分。

ここでいう想像力と、上に書いた「見せる」という行為は多分真逆だね。ただ定型化した絵を作って、見栄を張るということと、粋がって、一生懸命に想像して壮大な嘘をつくことは違う。この違いが、クリエイティビティなんだと思う。

まーいいや。読んでみて!

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