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THINK TWICE 20201011-1017

10月14日(水) 筒美京平さんについて知っていること。

雑誌の仕事でバタバタしていたこともあり、先日の予言どおりnoteに向き合う時間が今日まで取れませんでした。仕事はせっせとがんばったおかげであらかた目星がつきましたけども。ふう。

さて、このあいだに起こった大ニュースと言えば───やはり筒美京平さんの逝去ということになるでしょうか。

ちょうど先週の水曜日(7日)に誤嚥性肺炎で亡くなられたことが発表されました。享年80歳。でも、なにか特別なことを語るには、筒美さんについてぼくの知っていることはとても少ないのです

1969年生まれのぼくが物心ついて、耳にした記憶のある最初の筒美さんの作品は、1974年の郷ひろみ「よろしく哀愁」、野口五郎「甘い生活」、1975年の岩崎宏美「ロマンス」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」あたりです。

都倉俊一が作曲を手掛けたピンク・レディーが1976年に大ブームになり、同時期にニューミュージックやロックが日本の音楽シーンのメインストリームを侵食し、純・歌謡曲の作曲家の勢力はだいぶ削がれていました。

80年代になり、主戦場を女性アイドルへの曲提供に移すことで、筒美さんは再び息を吹き返すのですが、当時のぼくはYMOに代表される新しい音楽に心を奪われていて、思春期まっただなかにもかかわらず、女性アイドルへの関心がほとんどありませんでした。

とはいえ、筒美作品はこのくらいの時期の金木犀の香りのように、街を歩いているだけでどこからともなく漂ってきました。握手券のおまけとして付いてくる、誰も耳にしたことがない形ばかりのミリオンセラーではなく、筒美さんの書いたヒットソングは花も実もある本物でした。

筒美さんのディスコグラフィをあらためて眺め直してみると、作曲家としての大きな分水嶺が1988年あたりに訪れていますね。1988年には近藤真彦「Made in Japan」、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」がリリースされ、それぞれオリコン3位。翌1989年に森高千里が南沙織の「17歳」をカヴァーし、こちらはオリコン8位です。

90年以降になると、NOKKOの「人魚」、小沢健二「強い気持ち・強い愛」「それはちょっと」のように、アイドル以外の人たちに提供したトップテンヒットしたり、あるいは鈴木蘭々「泣かないぞえ」のような妙に印象的な曲なんかも書きながら、森高千里の「17歳」のような旧作のカヴァーが増え、確実にヒットする曲を求められる、一線級の作曲家としてというより、昭和のヒット歌謡のにおい、あるいは〈筒美京平〉という大看板を求めた歌手やアーティストたちに重宝されていたように見えます。

しかしながら、筒美さんは1940年生まれなので、その頃ちょうど今のぼくくらいの年齢だったのですね……。

それでも、2003年のTOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」、2006年の仲間由紀恵 with ダウンローズ「恋のダウンロード」がスマッシュヒットし、どちらもこれぞ筒美流ポップソングという煌きに満ちていて、今でも大好きな楽曲です。

先週の水曜───まさしく筒美さんが亡くなられたその日のこと。

NONA REEVESの西寺郷太くんから「松山に来ている」と、突然連絡がありました。松山市のお隣の東温市というところにある劇場で、少年隊の錦織一清さんが演出したミュージカルがかかっていて、それを見に来たという話でした。その夜、郷太くんと錦織さんと三人で飲むチャンスがあったんだけど、タイミングが合わなくて、結局、お誘いを断ってしまいました。

今にして思えば、筒美さんと繋がりの濃い二人から、貴重な話を聞くことができたかもしれない……しかもものすごいタイミングで……と残念に思っています。

今度の土曜にいつものラジオがあるので、筒美さんへのトリビュートをすることに決め、この4曲をセレクトしました。

・野口五郎「グッドラック」
・小泉今日子「午後のヒルサイドテラス」
・ピチカート・ファイヴ「恋のルール・新しいルール」
・仲間由紀恵 with ダウンローズ「恋のダウンロード」

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ぼくはキョンキョン=筒美さんの印象がとても強いのですが、特に4枚目のアルバム『Betty』(1984年)は大学生の頃、たまたまM-1「素敵にNight Clubbing」を友だちに教えてもらい、自分でもすぐ中古レコ屋の100円コーナーから掘り出しました。

この『Betty』、アルバムの収録曲すべてを筒美さんが手掛けているのですが、シングル曲をいっさい含んでいないという非常に特殊な作品なんです。そんなアルバムをアイドルが出すなんて、後にも先にもこれくらいじゃないかな。

エルボウ・ボーンズ&ザ・ラケッティアーズの「ナイト・イン・ニューヨーク」をあきらかに踏襲した「素敵にNight Clubbing」、ラストに入っている「バナナムーンで会いましょう」も今回の選曲の候補作でしたが、筒美京平☓秋元康☓小泉今日子の初タッグ作品でもある「午後のヒルサイドテラス」(シングル「まっ赤な女の子」のB面)に決めました。

明るくてグルーヴィーで、ハイカラでモダンな歌謡曲を山ほど世に届けた筒美さん。音楽ビジネスがかつてない規模にまで萎縮した現在、彼のような才能が生まれる余地は日本だけでなく世界中どこを探しても、もはや無いでしょうね。そういう意味でも残念です。

10月15日(木) ユアンがヤバイよ、ヤバイよ。

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懐かしのアレが帰ってきた〜!

そう、ユアン・マクレガーの世界バイク旅、最新作です。2004年のユーラシア大陸横断編、2007年に放送されたアフリカ大陸縦断編もWOWOWで観てました。あれから12年も経ったんだ……。

共演はもちろんユアンの俳優仲間、チャーリー・ブアマン *1 。監督とカメラマンも前作とまったく同じですが、大きく違う点は、前作まではBBCが製作の番組で、今回はApple TV+の独占放送だということ。

*1 父親が『未来惑星ザルドス』『エメラルド・フォレスト』を撮ったジョン・ブアマンとは知らなかった!

南米大陸の南端(アルゼンチンのウシュアイア)を出発して、13の国、16の国境、13,000マイルを100日以上かけて走破し、ゴールはユアンの自宅があるロサンゼルスです。

ユアンはすっかりエコフレンドリーな人になっちゃったこともあって、旅に使うバイクはハーレーダビッドソンが開発した最新鋭の電動モーターサイクル「LiveWire」の特別仕様車。スタッフが乗る後方支援車も、アメリカ製の電気自動車RivianのSUVとピックアップトラック

ヘルメットにウェアラブルカメラを装着し、ドローンも飛ばしまくり。映像の美しさに思わず目を奪われてしまいますが、前作までは一流の俳優であるユアンが友だちとホームビデオを撮ってるような手作り感満載の映像で、それが番組の魅力でした。ここ10年で起きた劇的な撮影テクノロジーの進化はやや残念にも感じます。

現時点で第5話まで見ましたが、真冬の南米大陸ではバイクも車もバッテリーがすぐにアガってしまう上(カタログ値では、ハーレーは200km以上、車は600kmも走れるはずなのに)、田舎町だと電圧も足りず、夜通しコンセントを挿しっぱなしにしておいても満タンにならない。常にバッテリー残量との戦いになるところなんかは、まさに〈充電させてもらえませんか〉状態です。

今後は毎週金曜日に更新。週末の楽しみが増えてうれしいな。そういえば、Apple TV+ではソフィア・コッポラの『オン・ザ・ロック』もまもなく公開。こちらも来週金曜です。先に劇場で見た信頼の置ける友人もすごく褒めてたので、めちゃくちゃ期待してます。


10月16日(金) 染まらないで帰って

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旅といえば、1975年にリリースされた太田裕美の名曲「木綿のハンカチーフ」。ぼくが物心ついて最初期に好きになった筒美作品のひとつです。

この曲には知る人ぞ知る逸話があります。

4番まである長い長い歌詞を松本隆さんから受け取った筒美さん。このままでは曲にならないと感じ、どこかしら削ってもらおうと松本さんに連絡を試みました。松本さんははっぴいえんどの解散から間もなく、プロの作詞家としては駆け出しでした。このままの歌詞じゃ歌謡曲にならない、ヒット曲にならない、歌謡曲の流儀を教えてやろう、と筒美さんは考えたのかもしれません。

しかし、松本さんに運悪く電話は繋がりませんでした。しかたなく作曲に取り掛かったところ、歌詞にピッタリ合うメロディが浮かび、曲は完成してしまった───というのが顛末です。

歌謡曲の定形パターン(Aメロ1→Bメロ1→サビ1→Aメロ2→Bメロ2→サビ2→ブリッジ→サビ3)とはまったく異なる、Aメロ(男性主観)とBメロ(女性主観)の繰り返しで最後まで聞かせる形フォークソングやブルーズによくあるパターンです。

筒美さんの電話が松本さんにすぐ繋がって、筒美さんのアドバイスにしたがって歌詞が改変されていたとしたら、こんなヒット曲にならなかったかもしれない───そうなると、太田裕美さんの歌手人生や松本さんの作詞家としての歩みも大きく変わっていた可能性さえあったでしょうね。

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実は松本さんの書いた「木綿のハンカチーフ」の歌詞は、ボブ・ディランの「スペイン革のブーツ(Boots Of Spanish Leather)」にインスパイアされたものです。

「スペイン革〜」は1964年のアルバム『時代は変わる』に収録されていますが、ちょうど「木綿〜」が書かれる前年、1974年に『ボブ・ディラン全詩集』が晶文社から出版されたばかりで、松本さんもこの本を手に入れ、片桐ユズルさんによる対訳を目にしたのでしょう。

いずれの曲の歌詞も恋人同士の手紙のやり取りで物語が進んでいくという仕掛けは同じです。ただしディランの曲で恋人が乗り込むのは客船、見送るのは「木綿〜」が女性なのに対し「スペイン革〜」は男性(ディラン)です。


 おお、恋人よ、わたしは船出する
 朝には船出してしまうのよ
 海の向こうから送って欲しいものはないかしら
 わたしが行く国から

 いいや、恋人よ、送って欲しいものはない
 なんにも欲しいものはない
 ただ汚されずに帰っておいで
 あのさびしい海の向こうから

 おお、でもなにか欲しいかと思って
 銀とか金とかでできたものを
 マドリッドの山や
 バルセロナの岸辺から

 おお、真っ黒な夜からとった星と
 深い海からとったダイヤモンドだって
 君の優しいキスの方が良い
 僕が欲しいのはそれだけだ

 さびしい日に手紙が来た
 それは船出した彼女から言ってきた
 「いつ帰るかわからないわ」
 「それは私の気分しだい……」

 では気をつけて 西風に気をつけて
 嵐の天気に気をつけて
 そう、なにかを送ってくれるならば
 スペイン革のスペインブーツ

〜Boots Of Spanish Leather(対訳:片桐ユズル)〜


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無名だった頃のディランと知り合い、恋人関係になった女性、スーズ・ロトロ。ディランにとって、まぎれもなくミューズでした。『The Freewheelin' Bob Dylan』のアルバムジャケットで、ディランと仲睦まじく腕を組んでいるのが彼女です。

付き合って間もない1962年、ディランをニューヨークに置いて、スーズはイタリアのペルージャに半年ほど留学します。「スペイン革〜」はそのときの別離をモチーフにしています。

留学後、ディランのもとに帰ってきたスーズでしたが、『時代は変わる』録音時も、ふたりの関係はくっついたり離れたりを繰り返していました。堕胎というヘヴィーな出来事も経て、彼女はふたたびイタリアへ旅立ち、恋人関係は完全に断たれます。1966年のことでした。

恋人に対して「染まらないで帰って」と願う気持ちって、要するに〈ほかの女を抱かないで/ほかの男に抱かれないで〉というのが本音ですよね。

同じような本音を歌っていても、主体の入れ替わりだけでなく、ディランのひしゃげた歌声と可憐な太田裕美さんの歌声との対比、スペイン革で作られたブーツと木綿製のハンカチーフというまったく違うオブジェクト/テクスチャーに変化しているところがさまざまな考察に繋がっていくようで、いくら考えても興味は尽きません。

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