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THINK TWICE 20200614-0620

6月14日(日) 梨泰院クラス

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 Netflixで『梨泰院クラス』を完走。韓流ドラマを全部観たのは、チェ・ジウとクォン・サンウが主演した2004年の『天国の階段』以来(笑)。
 1本が1時間半近くあって、しかも16本ですからね。すごいボリューム。一気に観るとさすがにヘトヘトになりました。

 基本的には「おもしろかった」以外の感想を書くのが野暮なくらい、徹頭徹尾エンターテインメント。ぼくがもっとも一生懸命ドラマを見ていた頃の『もう誰も愛さない』と『王様のレストラン』を合体させたような物語で、見てるとなんだか妙に懐かしかったです。

 韓国ドラマや映画に出てくる女たちは賢く、ずるく、強く、美しくて、男たちはみんなバカで、マッチョで、ダサくて、かっこいい。キャラクターの造形に曖昧な部分はぜんぜん無くて、腹が立ったら大声で怒鳴りあうし、男同士はもちろん、男が女を殴り、女も男を殴り、女が女を殴る。儒教社会なので、特に目上の男性を若者たちは尊敬(尊重)してる。

 そしてみんな清々しいくらいに迷いがないんですよね。何事も超ローコンテクストなの。*1

*1 いつ頃から当たり前になったのか、不勉強にも知りませんが、韓国の若い男性俳優陣のメイクってすごいですね。肌は陶器のように白くツルツルに、アイメイクは女性と同じでほんのり赤くしてあって、唇は紫やピンクの口紅を塗っていて。あれ、みんな気にしてないのかな。そのせいで

 主人公のカタキ役は韓国一の外食産業のドンだけど、経営しているのは豆腐チゲと豚肉の辛味噌炒めが売りの「鳥貴族」みたいな居酒屋チェーンです。でも超巨大な自社ビルを建てていて、警察の捜査さえも阻害できるほどの強大な権力を持っています。

 いっぽう主人公は無残に死んでいた父の敵をとるべく、ドンを失墜させ、自分の会社を韓国一にすると決意する。で、こちらもオープンしたのはキャパ30席くらいの小さな居酒屋。名物はこちらもチゲ鍋です。
 『スター・ウォーズ』を観ていたつもりが、いつの間にかどこかの村の雪合戦にすり替わっていったような違和感もなくはなかったけど、細かいことを言っても始まらない。ケンチャナヨ!

 あと、見慣れた日本やアメリカのドラマなら「もうそろそろここらへんでこの回は終わりそうだな」という盛り上がりから、30分くらいさらに続きますしね。最終回なんか、決着がついたのに、後半1時間くらい丸々使って、〈その後の主人公たち〉みたいな話が描かれていくんですよ。「みんな彼らのその先は気になるよね? 大丈夫、まかしといて。全部見せちゃうから!」ってサーヴィス満点なんです。
 この点、本場の韓国料理店に行ったとき、注文した料理以外にキムチやナムルやスープといった副菜が食べきれないほど出てくるけど、観ていてあれを思い出しました。

 日本のNetflixの視聴者数トップ10には、しばらくの間、日本のドラマも映画もほぼ食いこんでいません。
 ここ一ヶ月位は『愛の不時着』か『梨泰院クラス』がずっとトップで、そのあとに日本のアニメ作品(『鬼滅の刃』『バキ』『未来少年コナン』などなど)か「テラスハウス」あたりが続き、もう一本、人気の韓国ドラマの『ザ・キング』が入って、また日本のアニメ───みたいな様子です。

 「これだから日本の映画やドラマは……」っていう流れになると、ぼくが書きたくもなく読みたくもない文章になりますが、ほとんどの視聴者からすれば、食べ物と同じで、味がよくて毒が入っていなければ、産地がインドネシアでもイタリアでもアフリカでもオッケーなはず。*1

*1 どこで採れたのかわからなくて、不味くて、毒が入ってるほうが好き、という偏った人だって世の中にはいるでしょうしね。

 しかし、エンターテインメントと産地の問題について考えるとき、たとえば、ぼくが村上春樹が好きな理由の何分の一かには、彼が日本人である、ということが含まれています。もっと厳密に言えば、彼が日本語を母語にし、主に日本を舞台にした小説を書いている───ということに大きな価値がある、ということです。

 これは「日本人、日本文化最高!」みたいなナショナリズムではなくて、海の近くに住んでいるおかげで釣りたての新鮮な魚が食べられてうれしいという話にすぎません。

 ふだんぼくが日常聴いている音楽の8割くらいが外国産のものです。外国語にまったく通じてない自分にとって、日本語以外の言語で歌われる歌は、基本的にはただの〈音〉にすぎません。タイトルやサビの歌詞くらいは意識するけれど、歌全体を通して考えると、言葉の響き、抑揚、リズム、ボーカリストの声のトーンを好ましいと思っているだけです。

 むかし友人の結婚式の二次会のBGMを選ぶように頼まれたとき、ある曲───わりにジャジーでおしゃれなソウルミュージックだったんですが、念の為にリリックの意味を調べたら〈オレは彼女が一日中履きっぱなしだった下着を食べたい〉という、かなり倒錯した愛情表現を含んだラブソングでした。
 うっかりそれをかけたからといって、会場にいた100人くらいのお客さんに気づいた人がいたかどうかはわからないけど、ぼくはそれをリストから外しました。

 どれだけいろいろなシステムが進化し、情報はもちろん、モノが運ばれていくスピードが早くなったからといって、村上さんが書いた本が世界中のどの国よりも早く手に入るのは日本です。
 好きな作家がその人の母語で書きあげた文章を、同じ母語を使っている自分も読むことが出来る───というのはある種の特権です。

 特に日本語という世界の中でも超ローカルな言語を母語としているぼくらならなおさらです。ぼくたちは村上春樹の文章の中に出てくる「うだつのあがらない中年の体育教師みたいな服装」という比喩に対して、襟にアイロンのかかっていない、着古したミズノの白いポロシャツを瞬間的に想像できるし、〈紀伊国屋〉や〈スガシカオ〉といった固有名詞を辞書や脚注無しでも理解できるし、〈高松〉と〈西麻布〉の違いを把握できます。
 レインコートを着たままシャワーを浴びるように、外国から届く音楽や映画や小説を〈翻訳〉ごしに受け取っている自分が、全裸になって、心置きなくお湯を浴びるのは快感でしかありません。

 ぼくがどれだけビースティ・ボーイズの音楽を深く愛し、理解しているつもりでも、彼らのリリックの面白さは0.5%も理解していないでしょうし、『梨泰院クラス』を韓国の人たちと同じ感覚では楽しめません。
 それでも面白いエンターテインメントは社会システムや言語の違いを飛び越えて、環境に合わせて変異し、伝染していきます。
 これぞまさしくポップウィルス(c.川勝正幸)。

 それにしても。
 コロナ禍の前に見た『パラサイト』も、この『梨泰院クラス』も、母親の存在というのがとても希薄ですね。『梨泰院クラス』にいたっては、父親と子どもたちとの関係は愛憎いずれの側面に置いてもしっかり描かれる反面、母親については幽霊のようにその姿かたちさえほとんど出てきません。
 また〈父親殺し〉というのは『パラサイト』でも『梨泰院クラス』でもテーマになっていました。この点も〈母親の不在〉同様に、村上春樹の小説世界とも共通するし、村上さんの小説が韓国で人気が高いという事実とも呼応するテーマじゃないでしょうか。

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 余談ですが、キュートなヒロイン、チョ・イソを演じたキム・ダミちゃんは村上春樹の大ファンで、最も好きな作品は『ねじまき鳥クロニクル』だそうです。小柄に見えて、身長170cmあるのもいい。
 もし、ヒロ・ムライに『アフターダーク』を映画化してもらう際には、中国語を話せるという設定を韓国語に変更して、ヒロインの浅井マリを彼女に演じてもらうといいと思います。


6月15日(月) ぼくのレコファン景(1)

 先週末、ぼくのTwitterのタイムラインに激震が走ったビッグニュース。
 長く東京周辺の音楽好きの人々に愛されてきたレコファンの旗艦店であり、最後の砦だった渋谷BEAM店が閉店することになりました。

 ぼくが生涯で、何枚のレコードやCDを買ってきたのかわかりませんが、少なくとも1988年に上京して以降の10年間に限れば、レコファンに落とした金額はどのレコード屋より多く、相当なものになると思います。

 輸入CDならおおむね1枚1,980円くらいが標準的な価格でしたが、レコファンは同じものをもう100円か200円、下手すると500円くらい安く売っていました。*1

*1 その頃は円高ドル安で、1ドル=100円を切ることも多い頃です。レコード屋だけでなく、古着屋や雑貨屋など、外国で安く買い付けてくるような商売が少ない元手で始められるので、街にはそういうお店が盛んにできました。レコファンでバイトしていた友人から聞いた話だと、日本の輸入盤屋の多くが専門の問屋から仕入れていた中、レコファンは海外の業者と直接取引で仕入れていたため、より安い価格設定が可能だったそうです。こんな誰でも思いつきそうな方法を他店がやらなかったのは、ある種の"禁じ手"だったのかもしれませんね。


 またレコファンの大きな特徴は国内盤の新譜の割引販売でした。会員証を持っていると、たしか定価の1割引とか2割引で買えたんです。こんなことを堂々とやっている店はレコファンくらいでした。たぶんどこかからクレームがあって、そのサーヴィスは突然打ち切られ、値引きの対象は中古盤と輸入盤だけになっちゃったのですが、ビンボーな大学生だったぼくは、安さ重視で輸入盤を買うか、それとも歌詞カードや解説書やボーナストラックのために国内盤を買うか、レコファンの店頭でしょっちゅう悩んだものです。*2

*2 3,000円の国内盤が2割安くなっても、輸入盤と比較すると1,000円も差がありました。この価格差は今でもあまり変わりないけど、なんせあの頃はCD1枚のためにごはん抜いたりしてたので、もっと切実でした(笑)。

 レコファンの歴史は下北沢から始まるのですが、北口から歩いて3分くらいの場所にある、小さな雑居ビルの2階に一号店はありました。
 狭い階段を上がると、テナントが通路の片側に3つ並んでいて、真ん中が美容室、それを挟んで奥がロック、手前がジャズやブラック・ミュージックを扱っていました。客同士がすれ違うのもやっとの狭い店でした。
 南口に路面店が出来てからは、もっぱらそっちに通っていたので、こっちの店の記憶もかなり薄れてしまいましたが、開発で駅周辺の様相がガラッと変わってしまった今でも、建物はなんとか現存しているみたいですね。

 そのかわり2店舗に挟まれていた美容室のことが印象深いです。椅子と鏡はひとつで、店内にはレゲエなんかがゆったりかかっていて、カフェスペースもあって。美容室の客だけでなく、ドリンクだけ注文することも出来たんじゃなかったかな。当時のぼくはコーヒーよりクリームソーダやミックスジュースを頼みがちだったので(笑)、そこでジンジャーエールを注文したら、それまで口にしたことがなかった辛いほう(ウィルキンソン)が出てきて、驚いたっけ。

 髪の毛も一度か二度、そこで切りました。予約の電話もひどく緊張したし、切られている間もずっとうわついていたんじゃないかな。あの頃、自分よりはるかにオトナに見えた美容師さんも、今のぼくからすれば子供みたいな年齢の人たちだったはずです。
 しかし、ああいう種類の緊張をすることは、この先の人生にもう二度と無いと思うし、改めてそう考えると少しさびしいですね。


6月16日(火) ぼくのレコファン景(2)

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 レコファン関連のツイートを追っていると、東急ハンズの北側(オルガン坂)にあった渋谷店 *1 を懐かしんでいる人たちが多かったのですが、ぼく個人としては新宿店のほうが何十倍も思い出深いです。 

*1 同じビルの中にFRISCO(CISCOのCD専門店)が入っていて、そこにはよく買いに行きました。ニューウェイブ、ネオアコ、ギターポップなどに強かった。

 新宿店も何回か移転をしているはずだし、そのたびに店舗数も増減しました。終焉の地は西武新宿駅のPepeだったはずです。ただ、ぼくがもっとも足繁く通った新宿店は、新宿大通りの伊勢丹の並びにありました。

 1990年頃のことです。
 当時住んでいたのが八王子で、京王線や中央線でダイレクトに出られる繁華街が新宿だったから、休みの日だけでなく、大学が早めに終わった日も新宿にはしょっちゅう遊びに行っていました。
 また大学3年生の頃から求人情報誌の広告を作るバイトをしていて、オフィスが新宿2丁目にあり、夏休みなんかは毎日のように新宿に通勤していて、店の前がちょうど駅と職場の中間地点でした。

 バイトの時給もそこそこ良くて、フルで働くと月20万円以上になりました。親からの仕送りを合算するとかなりの収入だったので、人生であんなに稼いでた時期は無いんじゃないか、と。でもお金はいつも無かったんだよな、不思議なことに。どこに吸われてたんだろう?

 その頃の給料日の楽しみといえば、まずお昼に末広亭の近くのラーメン屋「桂花」で、いつもより奮発して太肉麺を食べて、バイト帰りにレコファンでCDを買う。財布に余裕があれば、東口でなにか映画を見るか、アルタに入ってたDEPT STOREで古着を漁る。そのあとアカシヤで400円のロールキャベツシチューを食べて、CDのライナーノーツや映画のパンフレットを読みながら、京王線に揺られて八王子に帰る───そんな感じでしたね。

 大学卒業後に10年住んだ吉祥寺のレコファンは、レンガ館モールという北口のランドマーク的ショッピングビルの地下に入っていて、ここもよく通いました。小さな輸入物のタバコ屋さんがある、伊勢丹(現・コピス)側の階段を降りて、通路の一番奥にありました。

 レコードマニアあるあるだと思うのですが、何をそこで買ったかという記憶よりも、むしろ何を買い逃したか、という思い出がいつまでも忘れられません。
 吉祥寺店はCDバブルの頃、同じビルのワンフロアをまるまる借りていたのですが、プレミアの価格の商品が陳列されたレア盤コーナーがあって、そこである日、ヤン富田さんのライヴCD『How Time Passes』が1万円で売られているのを発見しました。

 1993年、渋谷のパルコ劇場で2日間にわたって開催されたライヴの模様が収録されていて、そのライヴの参加者で、なおかつアンケートに記入した人たちに、ヤンさんが突如郵送で配布した───という限定300枚の私家版CDです。
 喉から手も足も出るくらい欲しかったけれど、1万円という金額にたじろいで、その場では買えませんでした。しばらく悩んでいるうち、誰かに買われたのか、売り場からはいつの間にか消えてしまいました。
 後にも先にも、そのCDが売られているところに出会うこともなく、ヤフオクやメルカリでも見かけたことはありません。*2

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*2 2000年にP-Vineから再発されたのですが、ヤンさんがステージ上のラジオで偶然拾った音を〈演奏〉する箇所があり、著作権に引っかかる音源があったため再発盤では修正が加えられています。

 レコファン渋谷BEAM店は1996年のオープン。場所はクラブクアトロの目の前で、開業当初は1階と地下がゲームセンター、2階と3階がJRAの競馬ミュージアム、そして4階にレコファン───こんな感じだったと思います。

 そのうち1階がホールに改装されて、吉本興業が使うようになり、地下にまんだらけが入り、3階は石橋楽器になりました。*3

*3 ───という記憶だったんですが、渋谷BEAMの開業は1992年5月とらしいので、レコファンの移転は4年も後なんですね。人の記憶なんて怪しいもんです。そういえば、レコファンの上にあるしゃぶしゃぶとすきやきの食べ放題の店にもよく行ってたなあ。昔は「モーモーパラダイス」という名前でした。

 90年代から2000年にかけての10年間、宇田川町界隈はアナログ専門店が新譜旧譜問わず、ものすごい勢いで増えたり減ったりしていました。ぼくもDJを始めたので、特に高円寺から渋谷に移転してきたDMR、老舗のCISCO、マンハッタンレコードなどに足繁くかよい、最低でも毎週1万円分くらいは新譜の12インチを買っていましたね。ぼくの家もレコード棚だけでは置き場が足りず、床置きしていたレコードの上で食事していた時期もあったほどです。*4

*4 当時の渋谷のレコ屋はスタッフも精鋭ぞろいで、ざっと思い出すだけでも、ZESTにはカジヒデキくんや仲雅史くん、CISCOにクボタタケシくんやスチャダラのBOSEくんの弟の光嶋崇さん、渋谷WAVEにはCOMPUMAこと松永耕一さん……といった人たちが働いていました。中でもファイアー通りにあったハイファイ・レコード・ストアで風呂屋の番台のような狭いレジで、長い足を折り曲げて座っていた田島貴男さんの姿が忘れられません


 HMV渋谷が先鞭を切り、1995年に今の場所 *5 に移転したタワーレコード渋谷店のようなメガストアは主に新譜CDを取り扱う専門店でしたから、渋谷BEAMのレコファンのように、広大なワンフロアで新譜も中古も、アナログもCDもいっぺんに探せる店というのはまだ他にありませんでした。
 何時間もかけて宇田川町を中心にいろんな店を巡った後、最後に食べる締めの炭水化物のように渋谷BEAMへよく足を運んだものです。普通のレコードやCDだけでなく、短冊のCDシングルとかレーザーディスクやビデオなんかもまとまった量が置いてあったので、よく買ったなあ。

*5 もともとあの建物は西武百貨店がはじめた「キッズファーム パオ」という施設でした。オープンは1992年。子供のためだけに作られたデパートというコンセプトで、洋服、おもちゃなどすべて子供向けの商品ばかりで構成され、館内もいろんな遊び心のあるしつらえになっていました。狙いは良かったと思うんですが、わずか2年で閉館。そのままタワレコに引き継がれました。あの黄色い外観も実はパオの時のままです。


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 ところで、日本最大級がレコファン渋谷店なら、世界最大級はおそらくロスアンゼルスのAmoeba Musicでしょう。2001年、ハリウッド・ブルバードにオープンし、2005年にぼくも訪れました。見てのとおり、店というより村です。1日がかりで掘っても、とてもじゃないけど見切れる量じゃありませんでした。

 地域の再開発によって、この店舗は今年秋に移転が決まっていて、すでに物件も確保していたそうですが、コロナ禍の影響で作業も進まず、ほかの店舗の営業もできないことから、経営そのもの先行きが立たなくなってしまっているとのことです。

 約4,000万円の資金調達を目指しているクラウドファンディングに、集まっている金額は現在3,000万円ほど。うーん、頑張って欲しいなあ。


6月17日(水) BLACK LIVES MATTER AGAIN

 土曜日に出るラジオのレギュラーコーナー、テーマを「BLACK LIVES MATTER」に決めたので、トークの内容と流す曲をどうするか、思案しています。

 radikoで時間帯に関係なく聞いてくださる人も多いんですが、朝10時からの生本番ということを意識しないわけにはいかないので、内容の的確さはもちろん、どういう語り口にするか、音楽もテーマに即していることは当然のこととして、朝から聞いてもあまり攻撃的に聞こえないものを選びたい。

 足したり引いたり、リリックを訳したりしながら、セレクトしたのが次の3曲。

N.E.R.D. / Don't Don't Do It! feat. Kendrick Lamarr

D'Angelo & The Vanguard / The Charade

Prince / Baltimore

 プリンスの「ボルティモア」なんて、MVを見たり、歌詞をしっかり読まないと、殿下流の爽やかなロックンロールにしか聴こえませんよね。

 この曲は2015年4月12日にメリーランド州ボルティモアで、今回のジョージ・フロイドさんのケースと同様に、白人警官の拘束が原因で亡くなったフレディ・グレイさんのために書き下ろされました。そして5月9日に公開され、翌10日、プリンスが所有するクラブ〈ペイズリー・パーク〉で緊急開催された「Dance Rally 4 Peace」という追悼ライヴで披露されたのです。

 しかし、また惨劇は繰り返されてしまいました。
 その舞台となったのは奇しくもプリンスの地元であり、くだんの〈ペイズリー・パーク〉も所在するミネアポリスでした。


6月18日(木) OBLIVION


 今日は朝からすごい雨です。そのせいか妙に眠い。
 一応、仕事はしてるけど、15分くらいの短い午睡を1時間ごとに3度も繰り返してしまいました。まあ、ぼくのような在宅勤務のベテランになると、こういうときは抵抗はしません。睡魔のなすがままです。

 ところで、今日、ある調べ物をしていて、自分が5年前に受けたあるインタビューをたまたま目にする機会がありました。

「日々の暮らしの中で大切にしていることがあれば教えて下さい」

 ───という質問に対して

 「他人のふるまいにうんざりしないこと。あとはパソコンのこまめなバックアップ」

 と、答えていて妙に感心しました。

 このインタビューに答えた頃、ちょうどパソコンのハードディスクを飛ばして、数年分の仕事のデータ、音楽ファイル、写真などを根こそぎ失ったばかりだったんだよね(笑)。

 その前の「他人のふるまい〜」というのはどうして書いたんだろうな。何かうんざりするようなふるまいがあったのかなあ。あったような気もする。でも、まったく覚えていません。忘却というのは人生を楽にしてくれる最強の武器だと思います。

 忘却とはちょっと違いますが、加齢のせいか、昔の自分なら絶対にしないような失敗をちょいちょいするようになりました。

 ついこないだの出来事ですが、朝ごはんのために卵を割っていて、殻をボウルに、中身をゴミ袋にほうりこんじゃったんですよ。あれはびっくりしました。さいわいゴミ袋はスーパーからまとめて持って帰った未使用のビニール袋だったので、卵焼きを作って、ちゃんとお腹にしまいました。

 そういえば昨日もあったぞ。遅くまで仕事していたので、深夜にハンドドリップでコーヒーを淹れたんです。マグカップにコーヒーを移し、まだコーヒーサーバーに残りが少しあったので、それごと仕事場に持っていこうと思ったんですよ。

 それでドリップの時に外していた蓋を口にはめ込むつもりが、なぜか熱々のコーヒーがたっぷり入ったマグカップの中に蓋を放り込んでしまいました。

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 アチャチャチャ〜〜って言いながらすぐに取り出しましたけど、ちょっと笑っちゃいましたね、ひとりで。夜中に。これ、どういうシステムで起きた失敗? って。

 まあ、命を落としたり、他人を傷つけたりしない程度の失敗はこれからもどんどんしていこうと思ってます。noteのネタになるし。
 ただし、そういう失敗があまりに日常的になると、いちいち気にしなくなって、書き留める前に忘れていきそうですけどね。


6月19日(金) Sean O'Hagan / The Wild Are Welcome

 ハイ・ラマズのショーン・オヘイガンが新しいシングル「The Wild Are Welcome」を昨日(18日)デジタルリリースしました。

 さっそくダウンロードしましたが、いつもの彼の芸風、彼の音楽的なスタイルを知っている人にとっては驚きしかない、モダンなエレクトリック・ソウル。一瞬、同名異人のリリースを疑ったほどの珍盤です。

 これは去年リリースした30年ぶり(!)のそのアルバムのシングル曲。これがまさに"いつもの芸風"です。

 先程の新曲を販売しているBandcampにショーン自身が書いた短いライナーノーツが掲載されてたので、ちょっと訳してみますね。

今年4月、動物たちが都市へと戻ってきました。ぼくはロンドンにいる野生のキツネたちやアナグマが大好きなんですが、都市部の周辺───エセックス州とかスウォンジーやエディンバラの外れにも羊や鹿、山羊たちが迷い込みはじめたのです。そこでぼくは"New Norm(=新しいあたりまえ)"にすっかり順応してしまった動物たちの会話を想像しました。当然のことながら、自由に活動できる人間と、ロックダウンされている人間が野生の動物を眺めるのでは、視点も真反対のものになります。

ぼくが30年間という月日をかけて探求してる〈Musical Landscape=音楽的風景〉を楽しむのと同じくらい、それらの向こう側の領域にぼくは入り込んでいきたいんです。いつものようなコードをつけることだってできるけど、ぼくは2020年のRnB体験に夢中だし、それらをひとまとめにして音楽に落とし込むための"新しい道具"を見つけたんです。

Livvy(*ショーンの娘で新曲のヴォーカルも担当)が情報を与えてくれて、彼女の助けで首尾よく制作が進むようになると、ぼくは機械的な加工を施した声に絡む女性ヴォーカルをサウンドとして欲しくなりました。Slyの『暴動』(*スライ・アンド・ファミリーストーンが1971年に発表した傑作アルバム)のサウンドも新しい表現と一緒にミックスされています。これがぼくの2020年の現在地です:SEAN SYLVESTER DRAKE 61

 最後の"SEAN SYLVESTER DRAKE 61"というのは、SYLVESTERはスライ・ストーンの本名(シルヴェスター・スチュアート)と、DRAKEはもちろんあのドレイクにちなんでるんですね。

 KIRINJIの堀込高樹くんも息子と一緒にケンドリック・ラマーやブラッド・オレンジ聴いているらしく、最近の彼の作品に多大な影響を感じるけれど、まさかショーンまでこんな大胆に変化するとはね。子→親インスパイア系は侮れないです。

 珍盤と言えば、あだち麗三郎さんの新譜もすごかったです。

 矢も盾もたまらず購入しました。これを流しながら「お買い物中のみなさま、ハードオフTVCMに出演している劇団ひとりです!」と、ひとりさんの営業(&ゴールデンタイムのバラエティ)用の声のトーンのものまねをするのが最近のマイブームです。

 ちなみにこの誰しも聴いたことがあるBGMは、著作権ロイヤリティフリーの音楽なんですね。知らなかった〜。


6月20日(土) RADIO LOVE

 午前10時からラジオの生本番。水曜日に書いたようにテーマは「ブラックライヴズ・マター」について。

 尺がだいたい20分で、曲もかけると、トークに割ける時間はだいたいその半分くらい。台本を作るわけではないのですが、いつもこれくらいの資料は用意しているよ、ってことで、今日ぼくがスタジオに持っていったメモを貼ってみます。これを見ながらラジオを聴くと楽しいかもしれません。

BLACK LIVES MATTER(ブラック・ライヴズ・マター)

まず、2020年5月25日にアメリカのミネアポリスで発生した事件。
被害者はジョージ・フロイド。

偽札の使用を疑われ、白人の警察官4名によって手錠を後ろ手にはめられて、路上にうつ伏せに倒され、身動きを取れないように押さえつけた上、フロイドさんの助けを無視して膝で首を7分間も圧迫したことで、彼は亡くなった。一部始終がスマホで撮影され、それが拡散することで大問題になった。

黒人に対する暴力、差別、人種主義に対する直接的な抗議運動「Black Lives Matter」は、一見He Loves Youみたいだけど、Matterが動詞で、黒人の命は大事だ、つまり黒人の命を軽視するな、という意味。

日本で大きく注目されたのはジョージ・フロイド事件がきっかけだが、昨日今日産まれたわけではなく、2013年頃と言われている。

1 - N.E.R.D. / Don't Don't Do It! feat. Kendrick Lamarr

N.E.R.D. が2016年にノースカロライナで起きたKeith Lamont Scottさんが警察に殺害された事件にインスパイアされて作った曲。
Don't Don't Do It!=やめてくれ、というフックは被害者の奥さんが警官たちに「夫を撃たないで!」と叫んだことに由来。
ケンドリック・ラマーは非クラシック音楽、非ジャズ以外の音楽家として初めてピューリッツァ賞を獲得。

2 - D’Angelo and The Vanguard / The Charade

All we wanted was a chance to talk
'Stead we only got outlined in chalk
Feet have bled a million miles we've walked
Revealing at the end of the day, the charade

ぼくたちは対話をするチャンスが欲しかっただけ
代わりに手に入れたのは遺体を縁取るチョークの跡
ぼくたちは血まみれになるほど途方もない道のりを歩んできた
まさにその日の終わりに暴き出す この茶番を

2014年12月にリリースしたアルバム『Black Messiah』収録。


この問題を理解するためのサブテクストとして、Netflixで2016年に配信された『13th -憲法修正第13条-』がYouTubeで無料公開されている。

「Black Lives Matter」(=黒人の命を軽んじるな)について、いかに自分が浅薄な知識しか持っていなかったかを痛感。

つまり、アメリカの黒人たちが訴えていること、彼らが戦っているものはレイシズム、すなわち人種主義との戦いだが、背景にあるのは新しい奴隷制ともいうべき社会システム。

どうして黒人の市民が犯罪者、もしくは犯罪者予備軍というレッテルが貼られ、市民を守るための警察にいじめられ、刑務所に送り込まれているか───それは結局、お金の問題。

アメリカの多くの刑務所がどんどん民営化されている。
と同時に、2000年以降、アメリカの受刑人口は50%近く上昇している。
常に刑務所は過密状態である。

囚人が満杯だということは運営する会社にとってはすごく大事で、管理する側としては、ガラガラの刑務所より受刑者で満杯の刑務所のほうが利益が上がる。

また囚人たちの労働力を企業は利用して、莫大な利益を上げている。
なぜなら囚人たちは矯正のためという理由で強制的に働かされるし、その対価は非常に安価。衣食住が与えられていて、お前らは犯罪者なんだから、このくらい当然だろう、ということ。

政治家たちはそういう企業から献金を受け取り、彼らの有利になるような法律を次々と作り上げていく───こういう事実は日本ではあまり大きく取り上げられてなかったように思う。

略奪行為に目を背ける人たちは多いし、容認するとはとても言えないけれど、ある黒人の女性作家は「わたしたちが奪うのは何ひとつそれらが自分のものじゃないからです」と言っていた。

どうあがいても奴隷のように粗末に扱われ、金持ちが甘い汁を吸う世の中に対する抗議としての暴動。

奴隷制の厳しかった南部では、白人の雇い主のところから脱走する黒人奴隷を監視し、逃げ出した奴隷を捕まえ、罰する奴隷パトロールから警察組織が出来上がった。警察を解体しろ、警察の予算を削れ、という主張はそういう歴史も背景にある。

他山の石ではなく、日本でも政治とカネの問題は後を絶たない。
世の中を救うための金が一部の組織や会社に中抜きされてることが最近問題になったばかり。

アメリカでも略奪を伴うようなデモは落ち着きを見せているけれど、木に吊るされた黒人の遺体が発見されるとか、ニューヨークで警官が買ったシェイクに洗剤が入れられてた、とか、より陰湿な事件が発生している。

プリンスの出身地であり、活動の拠点だったミネアポリスで起きた事件だったから、もし彼が生きていたら何をしてただろう?

3 - Prince / Baltimore

マイケル・ブラウンやフレディ・グレイのためにぼくたちが祈る声を誰か聴いてるかい?
休戦状態というのは平和を意味するわけじゃない
休戦状態だって? また血塗られた毎日を迎えたいのかい?
誰かが泣いたり人が死んだりすることに疲れたんだ
この世から銃という銃を無くさないか

 そして今日の放送の大事な裏テーマは、好きなアーティストの曲くらいは、何を歌ってるか、何をテーマにしているのかくらいはざっくりとでも把握して聴こうよ、ってことです。音を音だけで聴くのはせっかくアーティストが作った料理を、一番美味しい部分だけ食べて、残りをそのままゴミ箱に棄てるようなもんですから。 

ところで、今朝3時から放送された「霜降り明星のオールナイトニッポン0」は本当にすごかった。

 週刊文春を読んだわけじゃないのですが、どう考えてもせいや君のプライベートに関する報道は個人の尊厳をあきらかに毀損していて、メディアの暴力そのものです。事務所が法に訴えて、出版社はきちんと罰せられるべきだと思います(NHKやテレビ東京の対応も最悪でした)。

 だからこそ、昨日のラジオの霜降り明星の2人は立派だった。
 正直、自分がお笑い芸人じゃなくてよかった、と思いましたもん。あれを聴いたら笑えるどころか、震え上がってたでしょうね。

 M-1を獲る前年のオールザッツ漫才の霜降り明星のネタがすごくて(せいやが空手の道着姿で意味のないボケを延々と披露しつづけ、淡々と粗品が突っ込んでいくだけの5分間)、彼らのネタであれ以上笑ったことはなかったんだけど、今回の2時間はそれとも比較にならないくらいすごかったです。radikoなどで絶対に聴いてください。じゃないと絶交します。

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