【短編小説】編集者
あらすじ
本編
「また”異世界”ですか?」
「大丈夫、”おまじない”みたいなもん、ですよ」
「ですよね」
今、マンガ業界では”異世界もの”が溢れている
何でも”異世界”であることを前提にした方が売れるらしい
特に”Webtoon”と呼ばれる、いわゆるスマホで読みやすい”縦読みマンガ”の中に多く見られ、売上もかなり良いということだ
この出版不況の中にあっても、こと”マンガ”に限っては市場規模が拡大し続けており、これがWebtoonの登場によるものだとも言われているらしい
市場規模が大きくなると、当然、需要が高まり、多くの作品を供給する必要が出てくる
これまでマンガとは関わり合いのなかった会社さえも新事業として多く参入してきているようだ
多くの作品を提供するということは、作り手もそれだけ必要となる
そのような経緯で今私は、会社の会議室の椅子に座わり、編集者と打ち合わせをしている
「この作品で、印税、めっちゃ稼ぎましょうよ!」
「ですよね!」
編集者は、笑顔で意気揚々と親しげに私のやる気を引き出そうとする
私も深い共感をしたような笑顔で頷く
もちろん、印税は心から大歓迎だ
「問題は、その前提となるヒット作が作れるかどうかなんですが…」
「ですよね…」
果たして、これまでヒット作など出したことがない私の漫画が、読者に受け入れられるのだろうか…
私にとってこれは久しぶりの漫画制作だった
作るとなれば今度こそヒットさせたいが、自信がなかった
しかし、そんな不安を払拭するかように言ってくれた編集者の言葉が、私を後押ししてくれた
「大丈夫です!会社側に多くのノウハウが蓄積されてますから!安心してください!」
私はその甘くポジティブな言葉に乗ることにした
最初の打ち合わせから数週間後、
私は、編集者から教わったヒット作のノウハウを”てんこ盛り”にした作品のプロトタイプを作り、編集者へ見せていた
「いいですね!」
編集者の反応は好感触だ
「……」
しかし、反対に私には不満があった
いつものように中身の無い返事がうまくできない
普段は徹底したイエスマンの私だが、作品についてはやっぱり拘りも、愛着もある
だから、何度も修正され、言われた通りに作ったこの作品に感じる
”継ぎ接ぎのような違和感”を訴えずにはいられなかった
「でも…これって…お話が何かおかしくありませんか…?」
私は思い切って反対意見を述べた
すると、それを予想していたかのように
私の語尾にかぶせるような早いタイミングで編集者が言葉を返してくる
「どんなところがですか?」
編集者の目は笑っており、視線は原稿をなぞっている
「辻褄があっていないというか…展開が唐突というか…
主人公や登場人物にも、私、感情移入できないんです…」
私は珍しくやや興奮気味に、溢れてこぼれた言葉を積み重ねた
「例えばここ、どうしていきなり女性が足を上げているんでしょうか?」
「ここも、人が全員カメラ目線なんて、おかしくありませんか?」
「ここだって…」
すると、編集者は笑顔のままこちらを向き、冷静に返してきた
「大丈夫です!蓄積したノウハウは”科学的根拠”に基づいたものですから、必ずヒットしますよ!」
私は”科学的根拠”という、まるで”絶対正義”と称されているようなキーワードを掲げられて、言葉に詰まった
「いいですか、今は”職人的な感覚”なんていらないんですよ、もうそんなものは古いんです」
「人が”どういうものを観たときに、どういう反応をし、どのような行動をするのか”を知ることが大事なんですよ…」
「マンガはアートじゃない、商品なんです」
「……」
私もマンガが高尚なアートとは思っていないし、お金を頂く以上、商品なのは間違いない、それはわかる
しかし編集者の言う、肝心の”科学的根拠”がどういうものなのか、”描かされている”だけの私にはさっぱり理解できなかった
会社の大きなエントランスホールから建物を出る
私は社名が書かれた立派な門を改めて眺めていた
そこには、遺伝子組み換えやゲノム編集などのバイオテクノロジーの最先端企業、A社の社名が書かれていた
後日、A社は視覚情報から人間の脳を直接刺激し、目的の行動へと誘導する最新技術の開発に成功する
その素材として、"マンガ"が必要だったのだ
ただし、マンガはあくまでも一つの素材に過ぎず、
A社として重要なのは、物語のどのタイミングで、どのような絵を見せ、読者の視覚に刺激を与え、行動を誘導するかにあった
その"仕掛け"によって、ほとんどの人間は、企業の狙い通りに行動するのだという
マンガ内の物語がどんなに支離滅裂でも、A社にとっては目的が果たせればそれでいいのだ
大多数の高評価を得られたマンガは世間の話題となり、読んでいない人も話題に付いていくために読むことになる
仮に”仕掛け”が効かない人が、酷評をしたとしても、そのマンガを高評価する圧倒的多数の前では、一部の”ひねくれ者”、”変わった人”、”考えすぎ”などのレッテルを貼られるだけだろう
圧倒的な”同調圧力”の前では”多様性”など育たないのだ
しかし、その技術が倫理面で問題となるのは明らかだった
故に、A社は、それを秘密裏に自社の漫画に実装したのだ
そうして公開された"科学的根拠"に基づいた私のwebtoonマンガは、編集者の言う通り、大ヒットとなった
「ほら、私の言った通りでしょう?」
編集者は自信満々に言った
「…ですね」
私はなんとか、作り笑顔で相槌を打つ
「これからはあなたのように”素直な人”がいいんですよ、それがむしろ才能なんです」
私は編集者の言う”素直”という言葉に引っかかった
その言葉が以前パクリ疑惑で業界から干された私の過去を示唆しているように思えたからだ
言い換えれば、
「作家性もプライドものない、それがむしろ才能なんです」
と言われているようなものだ
その言葉を発した編集者の口は、上がっていた
私だってこれまで、マンガをヒットさせるために試行錯誤してきた
そこに拘ってきたつもりだ
しかし、その目的をいとも簡単に実現できるようになった今となっては、返す言葉などない
私は、人の意志そのものを編集できる編集者とのヒエラルキーを理解した
「ですよね」
私はこれまで通り、中身のない相槌を返せるようになっていた
報酬を手にした私は、代わりに何か大切なものを失っているような気がした
あなたから頂いた”先立つもの”を杖にして魔法を届けられるように頑張ります