ウクライナ キエフ 革命後のマイダン独立広場

画像1 ウクライナ、キエフで起こった2月の暴動の残骸は、戦いと犠牲者のモニュメントとして広場に残されている。
画像2 キエフのマイダン独立広場でバンドの演奏を聴く男。
画像3 キエフ、マイダン独立広場にて演奏するバンド。
画像4 革命のモニュメントと化したクリスマスツリー。
画像5 マイダン独立広場は現在も暫定政権支持者や右派による占拠が続いている。テントには20人から30人が共同で生活をしている。テントにはどこかの村の名前が書かれている。
画像6 マイダン独立広場にあった郵便局は2月の暴動で荒らさされてしまった。そこで市民がマイダンフリーポスタルサービスを立ち上げた。国内外に無料で手紙を送る事が出来る
画像7 マイダン独立広場で活動しているのは彼らのようなごく普通の家族や友人であった。
画像8 イースターのマイダン独立広場。人々がなびかせているのはウクライナとロシアの国旗が一つになったもの。この場所では敵対関係にあるロシアをイースターの日は仲良くしようということだろうか。
画像9 マイダン独立広場を警備する右派。この日は右派の演説がマイダン独立広場にあるステージで行われた。この後右派の街宣車が広場になだれ込みこの後騒然とした。
画像10 マイダン独立広場で起こった暴動の犠牲者を嘆き悲しむ人
画像11 イースターのマイダン独立広場。国旗を掲げる男
画像12 ピアノを弾く夫人。この国で驚く事はピアノを引ける人がとても多い。マイダン独立広場にはこのような自由に引けるピアノがある。道行く人が私もとピアノの腕自慢をしていた。
画像13 彼女にピアノを聞かせる男
画像14 右派のテントに潜入した。このテントでは5、6人が暮らす比較的小規模なのもの。この時はウクライナの近い未来を議論していた。
画像15 マイダン独立広場にて
画像16 民謡を演奏する男
画像17 マイダン独立広場にて
画像18 マイダン独立広場にて
画像19 右派の男。後ろのテントで活動する彼はコザックのグループであると言っていた。マイダン独立広場にて
画像20 あらゆるものを使いバリケードを構築していた。マイダン独立広場にて
画像21 マイダン独立広場にて
画像22 戦うのは男だけではない。テントにはどこかの村の名前が書いてある。テントの裏には葉物が植わっていた。マイダン独立広場にて
画像23 彼はジェームズ。退役軍人で自分の意思でマイダン独立広場に通い政治活動をしている。マイダン独立広場では現在軍服を着ている者や、政治活動をしているものに対しマンダン独立広場を占拠している右派から禁酒令が出ている。だけどこのとき彼とこっそりビールを飲んでいた。
画像24 スケーター
画像25 コザックの民族的トライバルを強調する男
画像26 彼の胸にもチェルノブイリ事故処理に従事した証のメダルがある。このメダルを胸につけている彼の世代の人を何度も見た。それだけ多くの人が事故処理に動員されたのだろう。
画像27 彼女はアーニャ、ピアニスト。2月の革命で音楽学校を休学し、今はジャーナリストなどに翻訳をするボランティアをしている。
画像28
画像29
画像30

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?