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NHK俳句への投稿作・5月号

選者:夏井いつき先生 兼題「蛙」
藪医者の触診了る昼蛙
何もなき日々の幸福遠蛙
雨明けの朝や蛙の死のにほひ

夕蛙あしたになれば遠き街
京都府 草夕感じさん(5月号)

句の前になんですかこの変な俳号は笑。「くさゆうかんじ」さん? 雑草について調べた後ばーっとテキスト見てて、草のイメージが残ったままだったので目につきました。以前から思ってましたが組長選句欄はおもしろい俳号が多いですね。川柳の人のような。 白状しますが作品の内容よりもまず筆名の変さに惹かれて選を入れたことがあります。だから、おもしろい筆名は得かもしれませんね。
生まれ育った田舎を離れます。明日の今ごろ、ぼくは遠い街にいます。いつもうるさいなあと思ってたけど、カエルさん、さようなら。毎年夏になったら懐かしく君を思い起こします。田舎人の私は都会への憧れがけっこう強いですが、離れるとなったらそれなりに寂しいものかもしれません。


選者:山田佳乃先生 兼題「蓬」
蓬摘み犬が通れば犬を見る
片脚の雲水蓬踏みてゆく
犬も人も雲も尿ゆまりの蓬かな

子の摘みし蓬と蓬らしきもの
岐阜県 須坂大寒さん(5月号)

何かくすっと笑える、大らかな詠みぶりで好きです。むかし祖母と摘んだ蓬の入った草餅は、香りが濃くておいしかった。あの中にはきっと、山田先生も仰る「なんだかわからない草」や、普通に土も混じっていたことでしょう。それこそ犬が小便を引っかけた草も。だけど茹でて消毒してるから大丈夫、大丈夫。いちいち気にしていたら田舎では生きていけません。といっても間違えて見た目の似た毒草を食べて死亡、のニュースがたまにありますから気をつけなければなりませんが;;


選者:村上鞆彦先生 兼題「春塵」
春塵や九回裏の甲子園
春塵や拭ふすべなし下心
ぶちまけてどの本売ろか春の塵

一首目は佳作に採っていただきました。ありがとうございます!



春塵やカエサル像の目の虚ろ
愛知県 堀内照美さん(5月号)

カエサル像の目が虚ろにみえる理由は二つあります。一、春塵で視界がぼやけてそう見える。二、「ブルータス、お前もか」と叫びながら崩れ落ちるカエサルの無念を表現している。ガイウス・ユリウス・カエサルが暗殺で果てるのを私たちのほとんどは知っているので、「目の虚ろ」と書かれることで元老院での断末魔の様子をありありと想像することができる。するとこの春塵は、古代ローマの大英雄がどうと倒れる際に終幕のごとくまきあがった土煙にも思えてきます。
たまに「教養はなぜ必要か」話題を目にしますがこういうことだと思うんですね。カエサルがどのように死ぬのか知ってると知らないとでは鑑賞の楽しさ、作品の凄さへの理解がぜんぜん違う。教養、というほど大層なものじゃないか・・・「知識を積む」と言い換えます。小学校六年で日本の歴史を習った時「平安時代は大きな戦争がなくて貴族の皆さんは平和すぎてやることがなくて暇だったので源氏物語みたいなくそ長い話が書けたのだ」と思っていたアホです。
話を思いついてもそれを書き留める紙が当時は貴重だった。登場人物のめちゃ多い源氏物語の構想練るのに大量の紙を反故にしたと想像します。だから、貴族といっても貧しい身分の紫式部は権力者の藤原道長の後ろ盾によって紙がふんだんに使えてあの話が書けたのだ。ということを後年知って、衝撃受けました。昔の書物を読んで物事の起こった背景を知る、歴史を知るって大事なのですね。


選者:高野ムツオ先生 兼題「父」
祖父の来る父兄参観初燕
義父といふ人われになし春の宴
廃線のかたへに伸びて父子草

草の花ばかりなるかな父の庭
愛知県 山田由美子さん(5月号)

昭和天皇の有名なお言葉「雑草という草はない」。元は牧野富太郎博士の台詞だったそうな。天皇は博士から直接教えを受けられたこともありました。お二人とも植物を観察すればするほど、そのへんの草の可憐さ、奥深さのとりこになっていったのではないでしょうか。
「雑草という草はない」。するっと自然に出たものと想像します。わかります。私も花壇に植わってる花とか丁寧に剪定された庭木より、道ばたの名前もよくわからない草花のほうに惹かれるから。これってたぶん猫が好きな理由と同じで、「ほうっといても、いや、ほうっておくほうがいいから」。
めいめい、好き勝手にふるまった自由な状態での美が、いちばん美しい美に感じます。へんな日本語ですね。
作者のお父様も、名もなき小さな草花の美しさをよく理解している方なのでしょう。その人となりも何となく感じられます。