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逃走線 其の一

 私は本を読んでいると、その本の文体や著者の思考に同調してしまう性格である。かく言う昨今は、『千のプラトー』、『THE GOD EQUATION』、『自我と脳』を読んでいるが故に、本来であればオーストラリアの思い出を時系列順に綴るだけの予定であったこのマガジンが、統一性のない形で、流れに任せて、立ち現れた線を重ね合わせる様に紡がれることになった。これらの思い出が描く線を『緑の逃走線たち』と表して束ねることにする。いや、きっと束ねることなどできない。束ねられるのは、読者の脳内で、彼らの言語体系の内でようやく果たされることだろう。

 さて、私はあの時、『1Q84』を読んでいた。あの時というのは、私がブリスベン近くのカブルチャーという地域のいちご農園に併設されたファームハウスと呼ばれるコンテナに住んでいた時のことだ。オーストラリアに着いてから五週間ほどが過ぎていた。メルボルンの滞在は、元より四週間を予定していて、学生寮も語学学校も四週間分の費用しか払っていなかった。もちろんお金を払えば、より長い期間のモラトリアムを楽しむことができたし、街での暮らしを楽しみ、語学の向上も図ることができたであろう。しかし、当時の私には(今もだけれど)十分な資金はなかった。それ故、英語力も人脈も未熟な私は、ネット上で見つけた手頃な仕事を求めて航空券を予約したのであった。
 ワーキングホリデービザで滞在していた私は、本来一年間のそのビザを二年間に延長するために必要な三ヶ月間の季節労働をこの際に遂げてしまおうと考えていた。それ故の選択であった。この期間で英語力も資金も蓄えれば良いのだとも考えていた。しかし、ネット上に日本語で掲載された情報には、英語に自信のない日本人が集まることは当然であった。
 私が所属していたチームの運営は日本人と台湾人によって行われていて、日本人と同数程度の台湾人と香港の出身者が集まっていた。彼らと会話するときには、英語でお互いの言語を教え合うことが多く、多少の言語力向上にはなった。しかし、結果としては期待したほどの英語力を伸ばす機会には恵まれなかった。もちろんもっと積極的に英語を話す努力はできたであろうが、日本語でも話せる環境ならばそれに甘えてしまうのが人間の性、あるいは逃れ難い弱さであろう。もし語学力を伸ばすなら、その言語を使わざるを得ない環境に飛び込むのが一番だ。

 語学力の向上と資金調達を目的としていちご農園での季節労働を選んだわけだが、前述の通り、英語力の著しい向上は見込めない環境であった。しかし、さらに私を後悔させたのは、私がファームハウスに着いてすぐ、数日間の仕事を終えると、しばらく仕事が無くなったことであった。苗植えから収穫前の中途半端な時期にチームに合流したため、到着してすぐは除草作業を与えられたが、それが済むと二週間もの間、仕事がなくなってしまった。航空券代を払った後の私には、仕事がないからといって他の地に移るだけの余力は残っていなかった。とはいえ、仕事が再開するまでの期間で飢え死にするほどの貧困状態でもなかった。かといって、贅沢はできないし、天候次第では仕事の再開時期も変わる可能性があり、穏やかな心持ちでいることは容易ではなかった。
 そこで私が暇を潰すために見つけたのが、ファームハウスに転がっていた『1Q84』であった。先住者が置いていったのであろう。全巻揃っていた。私はその本を読みながら、チームのメンバーとサッカーをしたり映画鑑賞をしたり、英語の勉強をして二週間余りを過ごした。そして、忘れてはいけないことは、その時も私は今と同じようにある女性に向けて文章を書いていた。手紙という体を成してはいたが、その実態は初めての海外で揺れ動く自身の心の記録であった。
 当時の鮮度を保って心の動きを表現することは難しいが、メルボルンでの生活とカブルチャーに到着するまでの出来事を書き記してみよう。

 メルボルンでの『チープな初日』を終えた私は、同室になった四人の日本人それぞれからこの街での生活に欠かせない知識や彼らのこれからの展望について聞き、自らのそれらを話し、数日間をかけて日用品店や銀行、銀行での口座開設、語学学校のクラス分けテスト、学生寮の他の部屋の人々との交流を終え、ただでさえホリデーが多く四週間の在学期間中三週間が週四日の授業という日程の語学学校に週三日しか通わずに、ビクトリアマーケットやペンギンの見える港などの観光地に行ったり、学校のコロンビア人やイタリア人を動物園に誘って断られたために学生寮の日本人たちを引き連れて動物園に遠足に行ったり、レンタカーを借りてグレートオーシャンロードへ行った帰りに豪雨に見舞われて崩落した石橋を決死の覚悟で渡り映画『Stand by me』さながらの刹那的な連帯感を覚えたり、宛もなくメルボルンの街中を歩き回って気の向くままに気になる道や建物を眺めて回ったり、酔っ払った美しい顔立ちの留学生になれないタバコを咥えさせ手に触れた薄く柔らかい唇の感触と蕩けた瞼に欲情したり、一日のうちに四季があると言われるメルボルンの朝晩の寒暖差と冷たい俄雨に洗礼を受けたり、その雨上がりの虹と雨露が反射した高層ビルと穏やかに色を深める古びた荘厳なチャペルとアートに溢れた街並みが織りなす独自の都会感を堪能したり、歩きながら巻きタバコを巻いて町中に私の煙をマーキングしたりしている内にあっという間に学生寮の滞在期間終了が迫り、延長も検討したがそそくさと次の仕事と宿を見つけて飛び立つ決意をし、それを同じ学生寮の仲間に伝えるとフェアウェルパーティをしてくれるというので朝まで飲み明かし、実際には朝方に寝落ちしてしまい目が覚めると家を出る予定時刻で飛び起きて荷物をまとめ、その間に仲間を叩き起こしウーバーを手配させ、酒臭い体のまま大きなSUVに飛び乗り、無事に空港に着いたものの、大事にしていた緑色のジッポライターを無くし、ポケットに穴が開いていたことに気がついて、嫌な予感だと思いながら空港につき、今にも閉じてしまいそうな思い瞼と萎びたソファに慣らされた歪な腰をどうにか駆動させて搭乗時間を待ち、飛行機に乗り込むと三つ並んだシートの窓側の席に座り込み、間のシートを一つ開けて隣に座った大柄なアジア人女性に挨拶を交わすと、彼女が堂々と二席を占領したことに驚き、「あなたは二席分のチケットを購入したのですか?」などとは聞けずにこちら側に向けられた頭皮に油がひどく固まっているのを見てひどく気分を害したはずなのに、四週間人肌に触れていなかったためか、日本を発つ時に空港まで見送りにけてくれた元恋人(渡航を決意した際に交際関係を『解消』してきていた)に毎日のように写真を送り連絡を取ってしまう自分の精神的な依存性を疎ましく思ったためか、はたまたあの夜の指先に触れた唇と横顔を自分のものにしてしまわなかった後悔のためかわからないが、私は高度一万メートルの機内の中で射精した。

 うん、概ねこのような内容であったはずだ。ブリスベン空港に着いた私は電車に乗ってカブルチャーを目指したのであった。
 そうしてチームに合流して、適当に買い出しを済ませると、これから人が沢山来るという空っぽのファームハウスに一人置いていかれたのであった。
 六畳ほどのコンテナの中には二段ベッドと冷蔵庫、机、小さなロッカーが配置されていた。ここで他人と暮らさなければならないことを想像すると期待よりも不安の方が大きく溢れた。
 コンテナの裏には溜池があった。ペリカンのような鳥が飛来した。夕飯を済ませて二段ベッドの下段に潜り込むと、上段の裏に「ニコちゃんマーク」とともに「smile」の文字が見えた。励まされたというよりは、毎日寝る前にそう唱えないと生きていけないほどに過酷な環境なのかもしれないと不安を増大させた。

 明日は朝早くから仕事があるという。私は目を瞑るとすぐに深い眠りに着いた。久しぶりの一人の夜だった。

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