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詩集「この灯を絶やさぬために」

8
18歳から20代後半までに書いた詩を、当時の詩の専門出版社である詩学社(残念ながら2007年に廃業)から、1995年11月に上梓させていただきました。掲載作品のなかから8作品を転…
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この灯を絶やさぬために

この灯を絶やさぬために

たいして険しい道ではないけれど
だらしなく続くなだらかな一本道で
せわしげに頭を左右に振りながら
黙々と自転車を走らせている

かわり映えしない風景 時折の強い突風
白昼のしらけた家々の狭間を縫って
誰かに会いに行こうとしているでもなく
何処かに目的があるというでもなく

―おれは、夢の中にいるんじゃなかろうか。

胸の内では ほんのひとすみの領域で
チロチロとか細く燃え続けている想いがあって

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至福の食卓

至福の食卓

僕は、大根の煮物が置かれた食卓の前にいる。
大根の煮物は、昔自分を食しながら、
一人の詩人が静かに泣いた夜のことを思い出している。

あの停電の夜、
(突然襲った闇に詩人はうろたえた。)
暗闇の中で盲目の妻と二人きり、
(彼女にとってはもとよりそれが世界のすべてだった。)
黙々と食事をしたせつない詩人のことを。

『俺は、どれだけ彼女のこの暗闇を理解していただろう。』

大根の煮物が好物になったの

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臆病者のためのトリステ

臆病者のためのトリステ

その陽のあたる静かな池のほとりで
ガァガァとおしゃべりを楽しんだり
尻尾を馬鹿みたいにバタバタとやったり
ときには気持ち良さそうに毛づくろいをしたりして
べつに生きることなんてなんでもない事なのさ、なんて

おまえたちをみていると
何倍も大きなはずのこの俺が
まるで世界中で一番壊れやすいおもちゃのようで
そんなふうに思えてきてやりきれなくなるよ

俺もおまえたちと同じ魂の拠りものなのに
俺の生はこ

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路地裏の猫ヘ

路地裏の猫ヘ

その幼きもの 非力なる汝よ
そんなに汚れたうす暗い路地裏で
何をそんな風に鳴いているのだ

せつないほどに艶を持つ鳴き声を
おれは以前にも聞いたことがある
慰める術もなく 聞いたことが

その幼きもの 非力なる汝よ
何が不安なのかどうか教えておくれ
このおれの手で救済させておくれ

おれはたった今 ある人に会ってきた
自信に溢れ 輝いた人なのだが
一緒に過ごすと おれの闇が見えてくる

あらがえな

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クールワールド

クールワールド

戦争がおわって五十年
凄まじいほどのメディアの中で
ぼくらが最もたくさんうけた恩恵は
生きてゆく為のバランス感覚が
苦労なく養えるようになったことだ

だれもがあんまリバカをしなくなった
だれもが無駄に傷つくことをしなくなった

ひとに気持ちよく受け入れられる方法を知っているし
じぶんが傷つかない為の逃げ方も知っている
テレビのドラマが ワイドショーがぼくらの先生になった

「ジュンスイ」というも

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冬の星空

冬の星空

天体級のクジラ達がゆっくりと泳ぐ
群れをなして静かに潜行を続ける

彼らの青光りする背中の上で
天使達は今夜も星々のさだめの夜話に夢中だ

愛されたいけれど愛せない
語らいを忘れてしまった淋しい星達

傷つけられたくないから傷つけない
不毛な契約をお互いに交わしたことさえ
悟られぬよう 砕かれぬよう
永遠にそのままの距離を保ち続ける

けれどもその懐には
狂気の鋒をしのばせていて
大気を凍りつかせ

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友への手紙

友への手紙

故郷の友に手紙を書いた

一行目には前略と記し
二行目には相手の身を気遣う文を
三行目には元気でやっています、と書いた

四行目…五行目…最後まで書き通して
はじめから読み返すと
「おれは」という書き出しが七箇所もあった

恥ずかしくなってせっかく書いた手紙を破り
それから二度書き直したが
いくじなしの一人称が減ることはなかった

三度目の手紙を破った時
もう一度自分自身で
なんとか頑張ってみよう

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羽虫の呼吸

羽虫の呼吸

こんなに寒くなったのに、
よく生きているものだなと思った。

二日前の朝、洗面所で顔を洗おうとしたら、
鏡の前のほんの隅っこに、一匹の羽虫が仔んでいた。

水でもひっかけてやれ、と思ったのだけれど、
その時間こえたのだ、スウスウと。

静かな、それでいて深い、呼吸。

かすかに震えている軟弱な羽根。
湿気の重圧から解放される時を待っているのだ。

と、ふと先日買った来年の日記のことを思い出した。

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