羽虫の呼吸
こんなに寒くなったのに、
よく生きているものだなと思った。
二日前の朝、洗面所で顔を洗おうとしたら、
鏡の前のほんの隅っこに、一匹の羽虫が仔んでいた。
水でもひっかけてやれ、と思ったのだけれど、
その時間こえたのだ、スウスウと。
静かな、それでいて深い、呼吸。
かすかに震えている軟弱な羽根。
湿気の重圧から解放される時を待っているのだ。
と、ふと先日買った来年の日記のことを思い出した。
さすがに三年連用のものは買う気になれなかったが、
一年通しの立派なものを手に入れた。
その間位なら、なんとかまだまだ生きてゆけると思ったから。
それはおれ自身の決心でもあった。
今、もうここにあの羽虫はいない。
羽根が乾いて飛び去ったのか、
それともおれの知らぬうちに寿命が訪れたのか。
とまれ、神様にとっては、おれもあいつのようなもの。
根気よく羽根を乾かすように
年が明けたら、また新しい日記の一行を記そう。
Ⓒ2022 Akira Yoshiyama and AKIRA
詩集「この灯を絶やさぬために(詩学社1995年刊)」掲載作品
四国新聞読者文芸【四国詩壇】1994年度優秀賞受賞作品
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