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瓶の街③ 結晶師 編 (全四話)

瓶の街③ 結晶師 編
著:増長 晃


 夕暮れ時、琥珀色の空が赤くなってきた。上級結晶師リベリスはとある寺院を訪ねていた。東部の国境を守るその都市は、かつては精霊遣いの恩恵があった。だが国境瓶が精霊の干渉を完全に立ち、精霊遣いはお払い箱となった。その代わり、精霊を拒絶する結晶の壁を運用するため、結晶師が登用された。
 これが精霊遣いと結晶師との間の格差意識を生じ、民衆は結晶師こそが自分たちの味方であり、精霊を操る精霊遣いこそ排除すべき敵であるという認識が浸透し、たちまち精霊遣いへの攻撃と迫害が始まった。
 コインタウン建国当初は食料不足や資源の枯渇、病人の対処などで国内は多忙と混乱を極め、精霊遣いたちの保護に着手できたのは、だいぶ後であった。
 国境瓶が精霊を排除し、ただでさえ精霊遣いたちは仕事を失くして貧窮していた。それに追い打ちをかけるように民衆からの迫害により、食事にもありつけない日々が続いた。
 忘れるなかれ。精霊遣いは、大霊災のなか国民すべてをコインタウンに避難させた功労者だ。にもかかわらず人々は救い主である彼らを平気で敵とみなし、さらに同じ対象を攻撃する同志たちを仲間だとみなし、さも自分たちの行いこそ正義であると錯覚する。
 集団心理のおぞましさを、リベリスはその時思い知った。
 木造の寺院は一階建てで、新しい木の肌を晒した門がリベリスを迎えた。門をくぐって、重厚な玄関の扉を二度叩く。この建築物は何もかもが新しい。というより、この瓶の内側にあるものは全て新しく、歴史は人々の記憶にしかない。
 重い扉が内側に開かれると、頭部を布で覆い隠した少年が顔を見せた。修行僧の一員だろう。
「やぁ。聖(ひじり)殿はおいでか?結晶師のリベリスが参りましたと伝えてくれ」
「はい。お上がりください」
 少年はリベリスを迎え入れた。少年からはファスティスという花で作られた香の香りを感じる。
 玄関を抜け、二人は本堂に入る。本堂は入るとすぐ結晶の祭壇がある。祭壇の上に、大きな結晶の塊が置いてあるのだ。あれは結晶師が作った物ではなく、天然に発生した霊素結晶だ。地下深くから掘り出されたらしく、純度の高さゆえに無色の結晶となっている。長年の圧力を受けて結晶構造は内部から壊れ、無数のヒビが入っており、白く色づいている。それがイモのように歪な形を成している。
「こちらの部屋でお持ちください。聖(ひじり)を呼んでまいります」
 そう言って少年は、小部屋のひとつにリベリスを案内した。その部屋は床から一段高くなっており、その部屋には靴を脱いで入るという、精霊信仰のしきたりがある。リベリスは靴を脱いで段に昇り、段の下に靴を入れた。ドアを開け部屋に入ると、少年が部屋のロウソクに火打石で火を点け退出した。
 ロウソクの黄色い光と琥珀色の空の光が広い窓から差し込み、部屋全体を黄色く映し出した。床は草を編んだカーペットで覆われ、靴を脱いで上がると心地よかった。床の上に肘掛けが二つある。寺院では古い習わしが浸透しており、つまり椅子に座る文化が無い。少なくともこの部屋は、人と精霊が触れ合う最適な構造をとられている。
 精霊のいない世の中といえど、歴史や文化を保存するために、王も各地の寺院の保存に積極的である。
「お待たせいたした。結晶師殿」
 リベリスが窓の外を眺めていると、背後から老人の声がした。この寺の長、聖(ひじり)という役職名で呼ばれる男だ。背は曲がり、杖が無ければ歩けぬほど老いてなお、聖(ひじり)の地位についている。この国全体でも聖(ひじり)はもはや数が少なく、しかも高齢化が深刻になっている。
 なによりこの男は、現存する精霊遣いの一人なのだ。
 精霊遣いは精霊の声や姿を捉えるようになると、その瞳が空の如き青になる。彼は老いて視力が衰え、しかも右目を失っている。だが残った左目はしっかりと空色だ。
 隻眼の老人の後ろから少年が二人、大きな木箱を抱えて部屋に入り、リベリスと老人の間に置いた。二人の少年たちは一礼し、部屋を出た。部屋に残ったのは木箱と、リベリスと老人の二人だ。
「お元気そうで安心しました」
 リベリスは言った。老人は残った左目でにこやかに笑い、ゆっくりと床に腰を下ろした。リベリスもカーペットに腰かけようとし、外套と剣を外した。
「おや、その剣はもしや、昇格されましたかな」
 老人が言った。リベリスが佩刀していた銀の剣は、鞘に三本の筋と、結晶師の紋である六角形の結晶模様が彫られ、剣の柄の柄頭には赤い霊素結晶と、赤い絹の房が下がっている。
 三本筋は上級学士、結晶模様は結晶師の所属、赤い結晶と房は王都に仕える者の印である。
「此度の論文発表により、上級結晶師への昇級と、王都配属が決まりました。貴方とお会いするのも、これが最後かもしれません」
「左様ですか。それはおめでとうございます」
 老人は笑みを浮かべて言った。その言葉に偽りはなく、真心からの祝辞だろう。だからこそ、リベリスは心が痛かった。かつてコイン王国三大学門と呼ばれた精霊学、錬金術、結晶学、これらは三つともコイン王国の偉大な学問として称えられた。しかし大霊災直後、まっさきに人々の救済に動いたのは、この老人含む精霊遣いたちであり、彼らこそ国民のほとんどを救った者たちだ。
 しかし彼ら精霊遣いたちは迫害や攻撃を受けた挙句、国境瓶により精霊を奪われ、彼らに救われた結晶師や錬金術師たちが今やこの国の基盤となり、称えられている。リベリスが昇格したのも、オレイシアという錬金術師との共同研究によるものだ。この国が栄えるにつれ、自分たち結晶師や錬金術師は甘い蜜を吸い、逆に精霊遣いたちは石を投げられている。
——錬金術も精霊学も、本質は同じだった。
オレイシアは言った。だが知識を持たぬ民衆にはそれが分からず彼らを攻撃する。民衆にとっては本質ではなく、認識が重要なのだ。
「早速、拝見しても?」
 リベリスが言うと、老人は頷いて木箱の蓋を開けた。中には古い形式の直剣が何本も入っていた。老人はそのうち一つを取り出し、剣を抜いて見せた。
「美しい…」
 リベリスは思わず言葉が漏れた。すらりとまっすぐ伸びる刀身は黄色い光すら白く反射し、切っ先に向かって細く鋭くなる刃は、見るだけで切れ味を察するほど精妙であった。だがその剣は、他の剣に比べ、少し短いようにも思えた。
「磨きにも鋭さにも技を込めて鍛えました。ゆえに精霊たちに喜ばれ、祝福を下さるでしょう。しかし人を斬れば大怪我をします。毎度言いますが、くれぐれも使い道を誤らぬよう。お伝えください」
 そう言って老人は剣を鞘に納めた。残りの剣を数えると、合計十本、頼んでおいた本数が揃っていた。短い剣は先ほどの一振りだけで、残りは修繕を依頼した大人用の剣だ。
「今回もお世話になりました。彼らも満足するでしょう」
「それは良かった。この剣が貴殿らの御身を守らんことを、精霊の加護がありますように」
 老人は手を合わせて祈った。リベリスは首を垂れる。
 この老人に会うのはこれが最後かもしれない。そう思い立って、リベリスは口を開いた。
「聖(ひじり)殿、私はどうすればいいのでしょう」
 唐突な相談だった。リベリス自身もそれを自覚したが、驚くほど速く返事が返ってきた。
「無駄なことをたくさんしなさい。無駄な時間が、貴方を救ってくれるでしょう」
 驚いてリベリスは、老人の目を見た。片方しかない空色の瞳は、自然体の微笑みを浮かべていた。
「貴方のことです。ご自分の立場の板挟みに苦痛を感じておられるのでしょう。王都に仕える上級結晶師。そして、“結晶団”の一員」
 リベリスは生唾を飲んだ。そう、リベリスはずっと昔から、この国に仇を成す“結晶団”の一員である。この剣は“結晶団”に横流しするために依頼したものだ。
 この老人は鍛冶屋だ。精霊を失った精霊遣いは、そもそも聖職者の側面を持っており、精霊信仰の盛んなコイン王国——もといコインタウンは、刀剣に神聖が宿ると信じていた。ゆえにこの老人も国から認められ、剣を鍛えているのだ。
 そう、この老人もいわば国の裏切り者だ。王に仕えながら、“結晶団”の味方をしている。リベリスと同じ立場にある。
 この老人が“結晶団”に味方する理由は分からない。
 リベリスは、相反する立場に身を置くことに苦しんでいた。大霊災以前からリベリスは国家に仕える結晶師で、国境瓶の開発にも加わった。それが結果的に、精霊遣いの居場所を奪った。
 そして結晶団に入ってから、自分の正しさが分からなくなった。何のために結晶師を務めているのか、そう考えていたのがいつしか、どうすれば自分を結晶師という役職から解放できるかを考えていた。
 やがて自分を失うのこと怖くなった。自分を肯定できなくなった。それを察したのか否か、老人は言葉を継いだ。
「貴方は聡く、そして思いやりのある方だ。ゆえに、他者の分までご自身の気持ちをお遣いになる節がある」
「そんな、私は…」
「そして貴方の悪い癖がある。他者からの評価を気にしすぎるところだ」
 その言葉を聞いて、リベリスは背に冷や水をかけられた心地になった。だが次の言葉は、その冷たさを温めていくものだった。
「貴方は他者の分まで気を遣い、期待に応えようとする。素晴らしいことです。しかし往々にして、他者からの評価と己の理想像は合致しないものです。自分はこうありたい、と自分に願いを抱いても、他者からどう思われるは他者が決めることであり、自己の理想像は実現しないことがほとんどです」
 窓から指す光が弱まり、部屋は蝋燭の光で満ちた。踊る火の影が老人の顔の深いしわを躍らせる。
「貴方はめでたくも、上級結晶師に任命された。だが貴方はその役目を完全に全うする必要はないし、ましてや自分の定めた目標を達成させる必要もありません。仕事とは、評価を得るためのものではありません。成すべきことだけを為せればそれで充分です。ただ貴方には、もう一つの苦悩があるようですね」
「やはり、精霊遣いの前で隠し事はできませんね」
 リベリスが言うと、老人は笑った。深いしわが更に深くなり、隻眼に宿る光が躍るほどに笑った。
「もう十年も精霊の声が聞こえておりませんよ。しかしその代わり、人をよく見るようになった。おかげで人々の心の挙動に敏感になりましてな。精霊がいなくなれば我々がお払い箱というのは杞憂でしたな」
 老人は再び大笑いした。彼にこう言ってもらえると、リベリスも心が軽くなった。そして思わず笑みを零した。
「貴方は国に仕える結晶師にして、国に抗う“結晶団”。二つの相反する立場をその御身ひとつで担うのは、さぞ堪えるでしょう。これから多くの迷いに直面するでしょう。だがそれは、貴方が真摯で誠実なお人柄であるがゆえです。目の前の苦難に苦しまぬのは、それに向き合おうとせぬ愚者です。ほとんどの人間はいつだって悩み苦しみます。特に貴方は、一人で多くの苦難に挑もうとする努力家です。それが自分のためか他者のためかはさておき、私は、そうやって悩み苦しむ貴方を心から労り、尊敬します」
 そう言うと老人は床に手をつき、首を垂れた。驚いてリベリスも頭を下げる。
 それよりリベリスは胸の内で老人の言葉を繰り返した。真摯で、誠実で、思いやりのある人柄。誰かからそう言ってもらえたのは初めてだ。もちろん他者からの評価が正しいとは限らないことも踏まえた。だが、他人の口からそう言ってもらえるのは、堪えきれぬ喜びがあった。その喜びが涙となって零れそうだった。
「貴方に足りないのは自信です。貴方は言葉遣いも、立ち居振る舞いも、思慮の深さも、みな立派なものですよ。胸を張りなさい。それでもまた立ち直れぬことでもあれば、またいつでもおいでなさい。私はいつでもここにおりますし、片目で老眼でも手紙くらいは読めますよ」
 老人がそう言った時、部屋のドアがノックされた。迎えの馬車が来たと知らせがあった。外はもう暗くなっている。いよいよ部屋がロウソクの光で満たされた。
 リベリスは今度こそ自ら頭を下げた。この人の言葉、この人の笑顔、この人の人柄に救われた。そしていつでもこの人の言葉を聞けるということ。
 自分がどんな立場にいようが、どんな苦難に直面しようが、胸を張っていこう。自分を見失っても、この人のためにそうしようと思えた。

 馬車を引いてきた御者の男とリベリスは、二人がかりで剣の入った木箱を馬車の荷台に運び入れた。そうしてリベリスは荷台に隠れるように入り込んだ。荷台は幕がかかっており、外から荷物やリベリスの姿は見られなかった。
 暗くてよく見えないが、そこには先ほどの木箱の他に、防具や旅装束、結晶雑貨、備蓄食料や医薬品があり、国軍宛ての荷物と混ざっていた。
 “結晶団”へ提供する物資だ。これから馬車に乗り、彼らと合流する。
 馬車が発車すると、あぜ道に車体が揺れ、しばらくして落ち着いた。石畳の国道に入ったのだろう。規則的に並ぶ街灯の光も見えるようになった。
 あれは結晶灯だ。球体の霊素結晶をガラスケースに入れ、レンガを積んで作った背の高い柱にぶら下げている。結晶灯は昼間の光を吸収し、暗くなると発光する。天然の霊素結晶と違い、人工的に精錬された結晶は球体や正多面体など、目的に応じた形状を取る。結晶灯は昼間の黄色い光を吸収するため、当然同じ色の黄色の光を発する。
 リベリスは幕の隙間から外を覗いた。灯りの下で詩を歌い聴衆を喜ばせる者、酒場から零れる灯りと談笑、仕事から帰る者や、はたまた夜勤に出かける者。夜の街は人々の営みであふれていたが、小麦畑だけが、静かに眠っていた。
 町の賑わいが遠ざかり、結晶灯の光と鈴虫の音色で満たされ、馬の蹄の音と馬車の車輪の揺れがリベリスの体の芯まで伝わってくる。リベリスは荷台の奥に隠れた。ここから先は、姿を見られてはいけない。
 馬車が角を曲がり、体の芯が外に引っ張られた。そしてようやく肌寒さに気が付いた。コインタウンの辺境に近づいている。
 やがて馬車が停まり、外で男の声がした。甲冑の揺れる金属音もする。東の砦に着いたのだろう。
「どこから来た。目的は?」
「へぇ、結晶師協会からの遣いのもんです。武具と甲冑の納品でさぁ。あと医療品や結晶雑貨。はて、“暦(こよみ)は正しかったかなぁ”」
「ほう。では“暦(こよみ)を見に行くとするか”。納品ご苦労。こっちだ」
 王国騎士と御者は事務連絡を交わし、所定の納品物を治めに馬車を進めた。だが、その会話には“結晶団”の一員のみが知る合言葉も含まれていた。
 つまり、この騎士の男も“結晶団”の一員だ。王国騎士の中にも団員が複数忍んでいる。国軍の内側から“結晶団”が活動しやすいように暗躍しているのだ。彼は御者を案内すると見せかけ、“結晶団”のもとに導いている。
 馬車が砦の中を進んでいくうちにやがて止まった。松明の明かりが幕の外から見える。甲冑の音と足音が数人分外にある。音の響きから、どうやら屋内に入ったことが分かる。
 荷台の積み下ろし口の幕が外され、数人の兵士がこちらを覗き込んでいた。
「合言葉は?」
 リベリスが問いかけた。
「“青空のために”」
 兵士の一人が答えた。“結晶団”の合言葉だ。リベリスは荷台から降りた。壁も床も天井も石でできたその部屋に窓はなく、坂道が後ろにあった。馬車はそこから入ってきたのだろう。そしてここは、砦の地下だ。
「今日はうまくいったんじゃないか?」
 リベリスが言うと、兵士は答えた。
「今日はセクターっていう真面目騎士が不在だからな。あいつ、根は優しいが、“結晶団”を目の敵と思っている。あいつが休暇中でよかった」
「そうか。騎士も大変だな」
 そんな会話を挟みながら、皆は荷卸しの作業を進めた。馬車から降ろした荷物を台車に移し、砦の奥へ運ぶ。
「それじゃ、あっしはこれで。結晶師の旦那も帰ります?」
「いや、俺は彼らに会ってくる」
「そうでっか。旦那は国家の人間だ。顔を見られちゃあマズい。あっしはここで晩飯でも食いながら待ってやす。馬も休ませなきゃ」
「ああ、助かるよ。また後で食堂で会おう」
 リベリスと御者はそこで別れ、騎士たちの付き添いで奥へ向かった。外套で顔と剣を隠し、なるべく人と会わない通路で目的地へ向かった。
 リベリスと、二人の騎士と、台車を押す騎士二人の合計五人が、隠された通路へと進んでいく。
「ここです」
 先頭を言っていた兵士が、通路の途中の何もない石の壁を指して言った。
 リベリスは懐から紫色の結晶を取り出し、チョークのように持って壁に線を描いた。
「通れるぞ」
 騎士は頷き、石の壁に体を埋め込んだ。すると彼の体は石の壁をすり抜け、向こう側へ消えた。リベリスもそれに続く。
 石の壁は結晶が投影した幻影だ。街で見た結晶灯と同じ原理で、結晶に覚えさせた映像を投影し、何もない所に壁があるように見せるのだ。だが普段はそこに壁がある。石の壁の代わりに、結晶の壁があるのだ。だがその結晶は両開きの扉の形をした厚い結晶だ。リベリスが持つ結晶の鍵の結晶構造と、記録させた図形を描くことで鍵が開く。
 あまりにも厳重な仕掛けだ。だがそれだけ、王国の目に留まると危険なものが、この先にある。壁の幻影をすり抜けた先は、スロープ付きの階段が下に続いている。松明の代わりに結晶灯の薄明りがその通路を照らした。台車と騎士が全員入ったところでリベリスは鍵を閉め、各々は歩みを進めた。
「そういえば、新入りがいるようだな」
「ん?」
 リベリスが問うと、壮年の騎士が応じた。
「いや、納品する剣を一つ見せてもらったんだが、修繕ではなく鍛造物が一つあった。しかも子供用の短い剣だ」
「ああ、たしかに新入りがいる。トスっていうガキだ」
「志願者か?」
「何年も前から志願してきた。まぁ、子供はみんな“結晶団”に憧れるよな。それがどうかしたか?」
「“結晶団”は隠れた組織、だから表の顔が必須だ。憧れだけで入団するなら、今後が苦しくなる」
「ああ、分かるよ。俺だって国境警備と“結晶団”のパイプ役、相反する両方を務めるのは堪える。だが成し遂げて見せる。家族を連れて、故郷に帰るんだ」
 その語末には肌で感じ取れるほどの熱意が込められていた。他の騎士たちも同様だと、口を結んで頷いて見せた。
 そうして進んでいくうちに、目的地に着いた。そこには、二人の老人と三人の子供の五人グループ、そのグループが二つの合計十人。加えて数人の騎士たちがいた。皆、“結晶団”である。
 “結晶団”に格差は無く、ゆえに“団長”と呼べる人間はいない。だが団の活躍に結晶師は不可欠で、騎士より王国に近い立場にあるそのため、最寄りの結晶師が団員の指揮を執る暗黙のルールがある。この場合、リベリスが彼らを指揮する。
「諸君——“青空のために”」
 リベリスが言うと、そこにいる全員が“青空のために”と返した。全員を見渡し、リベリスは口を開く。聖(ひじり)の言葉を思いだしながら言葉を紡いだ。
「今年に入って三回目になる遠征だ。いや、諸君にとっては本拠地に帰るのかもしれないな。剣と防具、その他の物資を持ってきた。これをもって瓶の外で、どうか生き抜き、“彼ら”を救ってくれ。離れていても我々は結束し、力を分け合い、やがてこの国に青空を取り戻せる。それが明日じゃなくてもいい。やるべきことを、こなすんだ」
 リベリスの短い言葉に、十人は強く頷いた。老人の一人が「もっと長く喋っていいんだぞ」と茶化し、皆が笑った。
 早速騎士たちは老人たちと少年たちに剣と物資を配った。彼らは“鳩(コルン)”。瓶の外に出て、つまり“霊域”に足を踏み入れる者たちだ。“霊域”に入れば人は精霊の呪いを受ける。だから彼らは呪われないための工夫をするのだ。
 たとえば、旅装束。長距離の移動を想定した造りだけでなく、まず内側に金属を仕込む。精霊は金属を嫌う。鉄製の薄い防具を体に巻き、その上に赤紫の外套を着る。精霊は光沢に寄ってくるため、それを隠すためだ。また剣を持つのも緊急時や護身用の他に、同じく精霊避けの意味がある。これは王が錬金術師や結晶師に剣を持たせるのと同じ理由だ。
 また精霊の呪いは、子供と老人だと発症しにくいと言われている。成人を過ぎると“鳩(コルン)”からは除名される。
 そして最も重要なのが、目隠しである。
「おいトス。セクターに目隠し取られたってな」
 壮年の騎士が言いながら、トスと呼ばれた少年に目隠しを渡した。背はリベリスの胸ほどで、細身の金髪の少年だ。
 目隠しは青い布の生地で、中央に金の糸で大きな瞳の絵が描かれている。これを目に巻くと、瞳の絵が眉間に当たるようになっている。他人が見れば、視線は眉間の瞳の絵に誘導され、そこを見てしまう。つまり、精霊に眼球の位置を誤解させるようになっている。
 精霊の呪いは、目から発症する。
 だから目を守るのだ。目隠しは薄いベールと同じ繊維でできており、目を覆っても前が見えるし、金属の光沢を隠すように、眼球の反射光も隠せる。
 リベリスは剣の木箱から一振りの短い剣を取り、トスに近づいた。
「初めまして。トス。俺は結晶師のリベリスだ」
「あ、どうも初めまして」
「外に行くのは初めて?」
「二回目だよ。一回目は十年前の大霊災のとき、親が俺を抱えてきたらしいけど、瓶に逃げてきたのは俺だけ。きっと外で生きてるよね」
 少年は声変わりが始まっていた。リベリスは少年の傍に片膝をついて、剣を手渡して言った。
「この剣は、空色の目をした精霊遣いが鍛えた剣だ。よく磨かれ、切れ味も一優品だ。だから精霊に祝福されやすいし、身を守るときも安心できるだが、気を付けてくれ——」
 リベリスは一呼吸おいて、言葉を継いだ。“結晶団”は絶対に覚えておくべき心得だ。
「すべてには表裏がある。精霊に祝福されるということは、呪われるリスクもある。鋭い剣は身を守るのに便利だが、自分や味方を気付ける危険性がある。何が言いたいか分かるか?」
「善悪を一方向で判断するな。便利と危険は同時に伴う。爺さんたちがずっと言ってたよ」
「そうか、なら心配ないな」
 リベリスは少年に剣を渡した。
 剣を授かる。この国においてそれは、一定の地位を認められた証である。しかし“結晶団”に身分差は無い。だから代わりに、この少年にどうか幸のある事を願った。
「装備の確認は終わったか?支給品の確認をするから耳だけ貸してくれ」
 “鳩(コルン)”たちは大きな四角い木箱を背負って歩く。その箱に入れる結晶器具のひとつに、特殊な瓶がある。
「これは浄化瓶だ。錬金術で結晶に【火】の性質を付与し、水や空気の浄化ができる。これを各コロニーに届けてほしい」
 オレイシアと共同で研究し、ともに昇級した研究結果だ。早速横流しした。だからせめて、彼らに願いを託した。
「この浄化瓶の基礎理論を開発した敏腕の錬金術師が、瓶の外にいるかもしれない。テーラという名だ。もし生きていたら協力してくれるかもしれない。呪われていたら、解放してやってくれ」
 荷物を整えながら、各人は頷いた。やがて彼らは木箱を乗せた背負子を背負い、長距離移動に備えた杖をつき、目隠しを巻いて出発の準備を整えた。
 トスも同様の装備を固めた。子供だと思っていたが、大人や年長の子供と並ぶと頼もしく見える。背負う木箱は彼の上半身を同じくらい大きいが、やがて背丈が追い越すだろう。
「じゃあ、これより出発する。またな」
 老人の“鳩(コルン)”が手を振りながらそう言って、鉄の扉を開けた。金属は精霊を拒絶する。鉄の扉の向こうは、精霊の巣窟だ。国境瓶は地下にも広がっているが、人が通れるほどの隠し道を開けている。そこを通って階段を上り、地上へ出るのだ。
 目隠しをした“鳩(コルン)”が一人ずつ扉の向こうへ消えていった。この先は霊域、人の棲めぬ災害の爪痕の世界が広がっている。
 その世界は国民の誰も、王でさえ知らない現実が確かにある。
 大霊災より十年、しかし瓶の外には、大霊災の生き残りたちが暮らしている。

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