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師の走り

「十二月の約束だ」

 令和n年十一月三十日、K市より北にある町にて、弟子が訪れた。

 雪の浅く積もる晩のことであった。弟子に一年間の縛りを課し、資格ありとみなせば縛りを解く修行であった。
 顔立ち、出で立ちに表れている、研鑽の痕跡。たしかに磨かれている。しかし、核心には及ばなんだ。ため息をつき、老人は座したまま膝を掻いた。

「師よ、貴方の言いつけで俺は前回の十二月を手放したのだ。それを無下にせぬだけの鍛錬は積み、戻ってきた」

 弟子は黒いパーカーを被り、ジーンズにスニーカー。肩とフードに薄く雪を積もらせ、吐く息は白く、精悍な顔立ちで鋭い視線が師の眉間を刺している。
 とある山の、かつて寺だった小屋が今の道場であった。

「そのようだ。弟子よ。しかしお前よりさらに重い修練を積んだ者もこの空の下におる。天を翔るのは一握り。お前はその全てを抜いて頭とならねばならん」

「何度も聞いた。師がもはや老いぼれ、その座を降りようとすることもな」

「否、たしかに儂は老いた。しかし、世は儂らを求めなくなっておる」

「…少子化による需要の減少、AIやドローンによる無人化、俺たちはやがて淘汰される。
 だからこそ、それを凌がねばならん」

「やはり、見えておらんか」

 師がため息を吐いた。男は逆鱗をなぞられる心地であった。

「師よ、政府はいつでも俺たち民営サンタクロースを廃止し、完全国営化できるのだぞ。同輩は何人も国に就いた。閉業後は国から手当てが出る施策も施行された。国は俺たち民間サンタクロースを潰す気だ。それを凌ぐ手腕が必要になってくる」

「視野が狭いの。国が儂らを潰そうとするなら、もうとっくにそうしておる。しかしそれが叶っておらんのは、民営を絶やせずにいる理由があるのだ」

 外で強い風が吹いた。雪が舞い、松の枝がこすれている。

「お前は迫る荒波に、正面から切り分け進むか?それとも落葉のごとく浮いて漂うか?」

「何が言いたい」

「世は、いつだって変わっておる。新技術、新体制が古いそれを脅かす。インターネットが本屋を脅かし、蒸気機関が手工業を脅かすように。ではサンタクロース業は?戸建て住宅はおろか子供も減り、トナカイより自動車の方が免許を取りやすく、人手を確保しやすい。だが儂らサンタは、絶えておらん」

 師が言うごとに外の風が強まり、壁がギシギシと唸っている。

「だが脅かされんコツもある。世界が右を向いて走るなら、儂らも右を向いて同じように走ればよい。そもそもソリ航行術は、自転に従うのが原則よ」

 弟子はしばらく師の言ったことを飲み下していた。何を言っているのか分からなかったが、弟子は稲妻に打たれたような心地になった。十二月の縛りとは、それに目を向けるためであったか。

「師よ、まさか…!」

「民営を舐めるでない。儂も手を出したのじゃ。スマート配送」

 得意げに笑った師は、袴に隠した軸足で重心を前に投げ、眼前の弟子の袖と裾を掴んだ。反射で構えようと足を広げる動作を利用し、弟子を床に叩きつける。師が得意とする、周囲の流れを利用する戦法である。
 かろうじて受け身が間に合いすぐさま立ち上げる。見れば師は十歩以上先を駆け、門を蹴り開けていた。

 弟子も急いで駆けると、師は指笛を鳴らして言った。

「弟子よ、縛りを解くぞ!!」

 師の指笛に呼応し、トナカイを呼び出した。降り乱れる雪から煙のように生じたそれは形はあれど姿はぼやけ、逞しい角は枝分かれし、その先には青白い光の粒が零れ空に溶けている。老いを見せぬ太い四肢で荒い地を蹴り、師はその背にふわりと乗った。

 スマート配送、サンタ業界で話題の注文の受注から配送までをデジタル化し、管理コストを省きつつ、正確にしたものだ。サンタ業界は高齢化社会である。そういったデジタルツールを活用する師は、たしかに世の流れにうまく乗っている。

 対して国営のサンタ業界はというと、伝統産業の保護という名目で魔法のトナカイを使い続けている。トナカイに魔法をかけて空を走らせるのだが、その魔法もまた古く、電子機器と干渉してしまうため、スマート配送が実現しにくい。
 これは、トナカイ畜産連盟の利権による影響であり、国営のサンタはむしろ不便を強いられている。

 弟子も指笛を拭き、一頭の若い雌のトナカイを呼んだ。

 師は、あれほど容易く世の流れに乗っている。自分より老いているというのに。

「負けてたまるか」

 その心熱に呼応したのか、トナカイの鼓動が強まった。縛りを解かれ、一年ぶりの騎乗。頬ほ掠める冷たい風が心地よく、夜の森でも空間が見える。

 師は麓に向かって駆けて行った。老練なる見事な乗りこなしだ。枝分かれする角の光を目印に、弟子は師の背を追った。

 

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