恩師①:「破壊的創造」的カリスマ

 私のこれまでの人生を振り返ってみたとき、「良い先生」にたくさん出会ってきた、という幸福に気づいた。そんな恩師たちを、綴ってみようと思う。

 一人目は、小学校6年時の担任の先生である。先生は、当時ですら思っていたが、今でもますます思う、相当な異端児であった。まあこの文脈で「児」と言うのもややこしい話ですが。

 例えば、夏の暑い日にはしばしば、午後からクーラーの効いている図書館に移動して授業という名のゆっくり読書タイムを過ごすことがあった。当時、一般のモブ教室にはエアコンなどなかった。図書の時間でもないのに、こんなことをしているのは先生のクラスだけだった。

 給食がパンの日には、先生がこっそり教室に持ち込んでいたトースターで、こっそりパンを焼いてくれた。

 自習の時間にふと先生の方を見たら、カバンで隠しながらDSをやっていたこともあった。先生曰く、ドラクエでレベルアップがどうしても必要だった、そうである。

 先生のこうしたエピソードには枚挙にいとまがない。ここで書くのも憚られるようなこともある。普段からもとても明るく面白い先生は、それまでの(今思えば)保守的な先生像・小学校運営からは並外れた異端児であり、高学年の私たちにとってはまさに「破壊的創造」的カリスマであった。

 しかし私、そして当時の同級生の多くが先生を恩師と慕う理由は、これでいて児童に決して媚びていないところにある。先生の学級運営・指導は決して「なあなあ」ではなく常にテキパキとしっかりとしていた。効率的であり理性的であり、しかし小学生としての「あそび」を絶対に忘れない。私たちを12歳の大人として扱い、敬意を持って接し、怒る時はめちゃくちゃ怒っていた。

 卒業してからも今にわたるまで定期的に連絡をとっている間柄である。たまに先生とみんなで集まることもある。

 そうして卒業後10年以上経ってみんなで飲んでいる時、先生に「もうあんたのほうが何倍も賢いからなあ」と言われたことがある。それはそうだなと私も思う。

 しかし同時に、先生に「もうちょっと甘えて・頼ってくれていいのに」と言われたこともある。私の中の、根っからの長男気質である部分に優しく語りかけてくれたおそらく唯一の師である。

 間違いなく今の私を大きく形づくっている、人生の恩師である。先生の下で過ごした私の12歳は、私にとって一生かけがえのない12歳であり続けるだろう。



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