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ズレ

NGKに行った。笑いの殿堂。笑いとは緊張と緩和である。ズレるから面白い。戻ってこそズレが面白いと感じられる。次から次へと面白いが止まらない圧巻の2時間ちょいの記憶。笑った、いっぱい笑った。でも出る時は真顔になってしまった。怖くなった。

「知っている」と「わかりやすい」は正義。
なんというか、出てきただけで安心感を感じる。知らない人が出てきて、10分間の立ち話を聞くとなると少し変わる。「この人はどんな人なんだろう?」と構えてしまう。吉本新喜劇では色とりどりの衣装を着た演者の人がいた。諸見里さんは真っ黄色、島田珠代さんは真っピンク。超・原色。この人が1番変な人なんですよと言わんばかりの主張。にしても、珠代姉さんが出てきただけで笑いが起こってた。そしてそんな期待感を予定調和をぶっ壊すことで超えていた。舞台は生き物だった。そして、不安は安心感があってこそだ。

コミュニケーション。
お客さんとキャッチボールをするような漫才は、劇場全体を一つにしていた。圧倒的なキャラや世界観で貫き通すのもすごいが、耳で肌で間を乗らしたり外したり、ネタを引いたり押したりする芸人さんの腕に絶望した。PRの仕事もそうだけど語りかけるように、キャッチボールをするようなものなんだと思う。芸人さん、1000人以上の知らない人を笑わせるなんて、魔法使いや。夢の国より夢の国やで。

キー坊。
西川きよしさん。15分間ノンストップで喋り続けた。話すことは決まっているのか、いや、それこそコミュニケーションである。舞台下手にいた小学校3年生の子どもに向けて「じゃあ飛行機の話しよか」とその場その場で引き出しの中からネタを繰り出しているような感じだった。そりゃそうか。何年お笑いの仕事をしているのか。目に映る全ての出来事に「面白さ」を探していたら、15分じゃ足りないくらい面白い話は生まれるだろう。にしても15分。多分息継ぎなしで行ってた。一息で話してた。潜水世界一レベル。

阪巨さん。若っ。
漫才のトリはオール阪神巨人さん。15分。早い、とにかく早い。そしてネタが若い。老若男女が集まるNGKで、何十年も何千回も漫才している力はそりゃすごい。空間の前後も、声の奥行きも、話題の立体感も、圧巻だった。こんなものを毎日見れて、劇場・舞台の数も多くて、アドバイスを求めにいける環境にいる吉本の芸人さんが、M-1で強いのは当たり前だ。

イジリはパス、イジメはシュート。 
マイナスを笑う関西の文化って、良いなと思った。「なんでできへんねん」とか「何いうてんねん」とか「なんでやねん」って大勢が思う当たり前を基準に間違いを正してるわけで。言わば失敗。失敗をイジって笑ってる。でもそこには安心感があって幸せなものに変わる。
イジるには愛がいるし、イジる方もいじられる方も技術がいる。サッカーに例えると、イジるはパスで、イジメはシュートだと思う。パスは優しく受け手のことを考えて出す。相手を引き立てるために、相手にスポットライトを当てるために、点を決めてもらうために。上からドン!と叩き潰すのではなく、おじいちゃんに電車の席を譲るかのように「どうぞ」と優しく添える感じ。シュートは文字通りシュートだ。思いっきり蹴り上げる。自分が得点を決めたいから振り抜く。GKにとってもらうシュートなんて打つ必要はないからだ。自分のポイントを決めたいだけだから。イジリには愛がいる、愛がある、そしてボールを蹴る側にも受け取る側にも技術がいるのだ。

代わりなんて、山ほどいるわ。
玉座に座った王様と言われる人が居なくなっても、吉本だけでも6000人いる芸人の誰かが代わりに座る。紳助さんがいなくなった時もいつの間にか普通になった。どんな人もオンリーワンだが、どんな人にも代わりはいる。固執してはいけないが、固執してでも残したい結果もある。でも代わりはどんな人にもいて、その固執は誰かにとってはどうでもいい。儚い。苦しい。怖い。そんなことに気づいてしまった笑いの殿堂。笑いとは緊張と緩和である。ズレたら面白い。戻るからまた面白い。ズレたらまた戻ったらいいし、戻ってからまたズレたらいい。マイナスを笑おう。人生も。


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