見出し画像

青春は誰のもの?

青春という言葉から連想する言葉たちは、
学生生活、制服、恋愛、友情、仲間との日々、夏休み、部活、文化祭、

思春期や青年期のイメージが強い。

青春(せいしゅん)は、季節の「春」を示す言葉である。転じて、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉として用いられる。

文学の中では中学、高校生を中心とした10代の青少年を題材に描かれることが多い。近年の先進国では、大学進学率の向上により学生の高年齢化が進み、20代から30代までを「青春」に含む見方もある。

Wikipediaより抜粋

人生の春って、青少年の時期を言うのかな。
もうすぐ30歳になる私は、春を迎えることも、青春を謳歌することも、二度と無いのだろうか。

大学に進学したフォロワーの話を聞いて、
「ウワ〜!青春だね〜!」と言った後、
青春という言葉について、なんとなくぐるぐると思考していた。

例えばだけど、大人(青年期を終え、成人期に入った人たち)だって部活みたいな感じでスポーツをやったり、仲の良い人たちと海に行ったり旅行したりするし、
でも、青春とはなんか違うような気がして。

だけど、青春に似たような感覚を、ときどき、感じることもある。

初めて彼のバイクの後ろに乗って、怖がりながら風を浴びたとき。
私服のまま海に入って、波から逃げて笑ったとき。
友達とのカラオケで、平成の懐メロを歌って踊ったとき。

青春"的"な体験は、日常に転がっているのではないかと思う。
また、ノスタルジー(存在するかしないかは別)も関連しているのかもしれない。

学生がチャリで2ケツするシーンは、日常でも映画やアニメでもよく目にするだろう。
夏の海は青春の象徴のひとつであるように思うし、平成の懐メロは当時を想起させる。
思春期、青年期に青春という青春を体験したかは置いておいて、私たちは、既視感のある、ノスタルジックなものを、青春と錯覚するのではないか。
それは、青春であっても良いのではないか。

青年期が終了してからも、青春を感じたって良いはずだ。
なのに、青春は私たちのものではないようにも思える。

青春に置換する言葉は見つからない。

青春の擬似体験というものは精神を豊かにすると思う。
大人になって感覚が研ぎ澄まされ、
青春"的"な体験は、独特な切なさ、虚しさも孕み、よりエモーショナルなものになっていくように思う。

記憶のバグで、思春期、青年期の青春はあまり覚えていない私は、
これから、青春を取り戻したく思う。

例えばだけど、浴衣でお祭りに行って、ヨーヨー釣りをしたりさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?