雑感48:日本の思想

現代日本の思想が当面する問題は何か.その日本的特質はどこにあり,何に由来するものなのか.日本人の内面生活における思想の入りこみかた,それらの相互関係を構造的な視角から追求していくことによって,新しい時代の思想を創造するために,いかなる方法意識が必要であるかを問う.日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察.

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現代日本と書かれておりますが出版されたのは50年前。

私のような者が本書を読もうとしたことが大変申し訳なく、Ⅰ・Ⅱは非常に難解・難読で、果たしてこれは私が普段から話している日本語と同じ言語なのだろうか?私は本当に日本語を理解しているのだろうか?と不安になるレベルであったが、Ⅲ・Ⅳの講演形式の文体は比較的読みやすく、これらについて言えば、書かれていることの2割程度は理解できた、と思う。

全体を通して一貫して私にはよく分からなかったのだが、日本の文化・思想を否定しているというよりかは、他国(欧米)の文化・思想との違いを歴史や習慣とも結びつけて丁寧に考察しており、この他国(欧米)の文化・思想が流れ込んできた際に、日本がどのような反応を示したか、というようなことが書かれていたと思う。たぶん。

日本にはヨーロッパで言うところのキリスト教のような根底にある思想がなく、中途半端な状態で外国の思想が輸入されてしまったものだから、その根底にある共通の価値観というか、学問・社会の構造的な部分を理解せず、個別に深化(瞑想?先鋭化?)し、様々な思想が「雑居」している状態。「雑種」に進化していないところが悩ましいというようなことが書かれていた気がする。あと、このような状況の中、構造的なところにまで深く入り込んでいる「マルクス主義」は刺激的・革新的だったのだろうか。当時の人の話を聞きたい。

Ⅳ章の「である」と「する」の話が一番分かりやすかった、ような気がする。債権者「である」ことに甘んじていてもお金は入らない。請求「する」ことで初めてお金が手に入ります。

自由もそうなんでしょう。自由は降ってくるものではなく、勝ち取るもの。仕事柄、日ごろから「防災」について考えることが多いのですが、「防災」も政府や自治体が勝手に保証してくれるものではないです。市民も一緒になって整えるもの。これは自助・共助・公助の話か。

「である」文化の日本に輸入され、中途半端に成熟した民主主義が、政治家「である」人たちの私物になっているのだろうか。これは政治家だけの問題ではなく、市民も考えることだと思った。

という感じ。

久々に読書の時間がとれて良かったけど、難読であった。またいつか読もう。

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