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真っすぐ

この病院に入社して3年ほど
職場から徒歩7分の場所に
職員駐車場がありました

他の職員がその事実を知ると
ずいぶん遠い場所ですね
事務に言って替えてもらった方が
いいですよとよく言われたし
たしかに遠いなと思ったのでした

がしかし

俺は始業の2時間前に出勤する、という
ちょっと強迫的な性格の持ち主でして

遅刻しそうな時にあの距離はキツイですね
と他の社員に言われても

常に2時間の余裕があるから
はい、遅刻しそうな時は大変です
と、答えることにしていました

社会性、というスキルです

そもそも、この駐車場は社用車専用で
職員が使用しているのは
俺と看護助手のおばさん2人、計3人

7分間歩くのは、この職場でこの3人だけ
だから気にしなくていいような
些細な事なのですが
3人だけに何だか気にしてしまうことが
あるのでした

退勤の時に
この3人が何となく一緒になった時
ついつい考えてしまうのは

仲良く並んで駐車場に向かうべきか
それとも微妙な距離を保ちつつ
お互いの時間を尊重すべきなのか、です

非常に悩ましい

また、駐車場まで歩くルートが
人気のない商店街のほぼ直線

これがまた、なかなかの頻度で一緒になって
3人がほぼ10m間隔の直列で
駐車場まで歩くハメになるのでした

冬になれば、車の雪はねがあります
すると時間差があっても
結局3人は顔を合わせることになり

あれ?山ちゃんさんだったの?
気づかなかったぁぁぁ

あははは、〇〇さんでしたか、お疲れ様です

などという
微妙な初対面みたいな
こ芝居をうたなければならなかったのでした

人付き合いって、ホントめんど

そんな茜空の帰り道
影が背丈の倍にも伸びる秋の道

先頭のおばさんが足早に
駐車場に向かっていました
おばさんは小柄な身体に
大きなトートバックを抱え
もくもくと歩いていました

2番手は、俺
革のブーツの音が
左手の市営アパートに反響して
いい音を響かせている
この音が大好きだ

3番手、ラストは人懐っこいおばちゃん
スピーカーとは彼女のことで
あまり深いところを話してはダメだと
看護師から忠告されるくらい
要注意人物でした

男の俺は歩くのが早いので
1番手のおばさんを追い抜かそうと思えば
軽く追い抜かすことができるのです

がぁ

俺の足音が近づくと
おばさんは謎に小走りになるのです

きっと、すれちがいざま
お疲れ様でした
たったこれだけの声掛けが面倒なんでしょう

人には、そういうことがあるものです

3番手のおばちゃんは気分しだい
話たければ走ってでも追いついてくるはず
でもこの日は、こちらの動向を見ているようで

なかなか、近づいてくる気配がないのでした

駐車場まで、あと半分といったところで
先頭のおばさんは突如
直角に曲がりクリーニング店に入りました

あの大きなトートバックには
衣類が入っていたのか

俺は自分のペースで歩けるので
先頭がいなくなってラッキーです

がしかし

先頭のおばさんのイレギュラーな行動で
3人の意識的な10mの均衡が
崩れてしまったのです

途端に3番手のおばちゃんが
俺に走って近づいてきたのでした

あああぁぁぁ
めんどくせー、と俺の心

ねぇ

ねぇねぇ、山ちゃんさん

おばちゃんは案の定、話しかけてきました

あああ、〇〇さん
日勤でしたか、お疲れ様です

と、白々しい返答

するとおばちゃんは
生々しく俺を見上げると

山ちゃんさんってさ
まぁぁぁーーーーッすぐ
まぁぁぁーーーーッすぐ

歩くのね
すごい真っすぐよ、気づいてた?

と、言ってきたのです

何度も何度も俺の後姿を見てきたけど
こんなに真っすぐ歩く人
はじめてだと、強調しました

生まれてこの方40年間
そんなこと意識して生きてこなかったし

普通、誰でも真っすぐ歩きませんか?

と、率直な思いを伝えましたが

いや、違うのあなたの真っすぐは
すべて私の予想通りっていうのかしら

と、その手のプロみたいな顔つきで
断言するのでした

褒められてるのかそうじゃないのか
まったく分からないことを言われたので
礼を言うべきなのか迷っていると

あそこを曲がるときは
けっこう、大回りなのよね

おばちゃんは、そこが残念とばかりに
赤信号の交差点を指さします

このおばちゃん、どの尺度で見てんねん
ひとり勝手に緊迫していた俺が
ちょっと恥ずかしくなりました

背後では

クリーニング店から出てきた
先頭のおばさんの気配

3人の長く伸びた影

おばさんがアウトコースに位置しているので
今日は小回りを利かせろってことか

あの10mの間隔の均衡が破られ
結局、駐車場に着いたのは3人一緒

先頭のおばさんも
クリーニングに出したのではなく
受け取りだったようで
トートバックがパンパンになってました

すると3番手のおばちゃんが
鋭い目をして言いました

ここ、けっこう
遠いのよ

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